BOOKARTは、ブランドリリース直後からmadame FIGAROなどのメディアに取り上げていただいたこともあり、ありがたいことにとても好調なスタートを切りました。
元々本業のグラフィックデザイナーの仕事の傍ら、注文を受けてはお手紙と一緒に眼鏡をお客様へお届けする日々がしばらく続きました。
小さいながらもすべてが順調に見えていた中、第二の試練がやってきました。
そう、世界中を巻き込んだコロナ禍の到来です。
一度目の試練についてはこちら↓
ブランド立ち上げ、最初の試練と出会い
当時、BOOKARTの眼鏡の販売はインターネットのみでしたので、最初はコロナ禍の影響をあまり感じていませんでした。
しかし、コロナ禍と政界情勢の悪化の影響は確実にBOOKARTの眼鏡の産地である鯖江を苦しめていました。
鯖江の眼鏡作りのシステムはとても独特で、街全体がひとつの大きな工場のように機能しています。眼鏡の生産には様々な工程があり、それぞれの工程を得意とする職人気質の小さな独立した工房が協力して、一つの眼鏡を仕上げていきます。
しかし、小さな工房の多くは、コロナ禍での物資不足や生産予定の変更に耐えられるだけの企業的な体力を持ち合わせていませんでした。
また、職人技を必要とするため、後継者が簡単に見つからないという慢性的な問題も抱えていました。
その結果、ピースがひとつづつ欠けていくように、小さな工房が次々と幕を下ろしていきました。
BOOKARTの眼鏡の生産にも大幅な遅れが生じ始めました。廃業してしまった工房が担っていた工程を他の工房にお願いしてスケジュールを組み直しても、どこも手一杯。
少し進んだと思えば、またどこかが欠けていく。
そんな状況が長らく続き、ついにBOOKARTを支えてくださった職人さんの工房も倒産を余儀なくされてしまいました。
しかもこの時、BOOKARTは、まだお届けできていないお客様からの予約を抱えていました。
お待たせしているお客様がいるのに届けられない。
そして、それをコントールできない無力さ。
この時期は、ブランドを立ち上げてから一番辛い時期でもありました。
まずはこの予約分をなんとか届けるために、現在の生産先である若い社長が率いる眼鏡工房を新しい生産先とし、生産を再開しました。
金型なども一から作り直す必要があり時間もかかりましたが、少しずつ前進し、今もなおコロナ禍からの立て直しに取り組みながら、日々奮闘しています!
そして、倒産してしまった工房の初代の職人さんが形にしてくれた特別な眼鏡を、現在も作り繋げていくことができたことにも、日々感謝を感じています。