「基本的にもっと大口の企業様を相手にしているところがメインなので、ちょっと、ご紹介できるところはないかもしれないですね。」
眼鏡のブランドをやるぞ!と意気込んで、自分のデザインした眼鏡を形にしてくれる会社を探すべく訪れた某眼鏡協会で、頂いた言葉がこれでした。
持参したコンセプトやデザイン案をまとめた資料を見てもらう間もなく、しがない個人事業主の私は最初から丁寧な門前払いにあったのでした。
前投稿の活動報告でもお話しさせて頂いたとおり、当時の私は眼鏡のデザインはおろか、眼鏡業界についても何も知らない状態でした。もちろん生産元のつてなどもなく、急に出鼻をくじかれた気分でした。
そこからは、眼鏡協会の会員リストに記載されている会社や工房に1件1件アタックしていくという地道な生産先探しが始まりました。
その過程で、なぜ私の構想する小さな眼鏡ブランドが生産元を探すのが難しいかがわかってきました。
「ジュエリーなどとは違い、眼鏡は工業製品であること」
「特に私の作りたいメタルフレームの眼鏡は、金型から作る必要があり、通常まとまったロット数での生産が必要になること」
(だからそもそも企業相手想定だったのですね)
「眼鏡職人はジュエリー職人ではないので、そもそも私がデザインする形を実現させるには、難しい手作業の工程と試行錯誤が必要であるということ」
これらを踏まえ、ジュエリー職人に眼鏡を作って頂くことも考えたのですが、やはり使う方の使用感や目の健康のことを考え、眼鏡職人を探し続けました。
そんな簡単にはいかないものだな、と思っていた最中、一本の折り返し電話を受けました。
「あなたが送ってくれたコンセプト資料を見たんだけど、見たことないデザインでちょっとおもしろそうだなと思って。」
そんな返答をくれたのは、鯖江で先代から引き継いだ小さな眼鏡工房を経営されている好奇心旺盛な職人さんでした。
その職人さんは通常の眼鏡の生産のかたわら、様々な機能を持つ眼鏡を試作しては眼鏡の可能性を探っている熱いパッションをもった方でした。
「難しそうだから形にしてみたい」と言ってくれる最初の職人さんと出会えたおかげで、BOOKARTの商品化実現への第一歩は開かれたのでした。
その後、数々の打ち合わせや試行錯誤を重ね、形になるまでは一年近くの時間がかかりましたが、この職人さんの技術とパッションをなくしては、“グラフィックデザイナーが作った眼鏡ブランド”は誕生しませんでした。