いよいよ、クラウドファンディングも終盤です。
まさか、100名を超えるなんて思いもしていなかったです。
今週末に製造開始ですので具体的なレポートをできると思います!
楽しみにしていてくださいね。
「トモ先生、先日マジックを披露したら、失敗してしまいました。」
僕の講座では「宿題」を課します。
それは、次の週までに必ず〇人に見せるという宿題です。
「学び」に来るのであれば東急ハンズや書籍で勉強すれば十分です。
僕のセミナーに来るのであれば「気づき」を得てほしい
その思いから座学だけでなく、実践を課すのです。
学んだマジックを実際に披露することで、
言葉の影響力に気づくことができるのです。
しかし、失敗してしまうことはもちろんあります。
でも僕の中での本当の失敗の定義は「成功したかもしれないのに、やらなかったこと」です。
人の前で披露して、相手に見破られてしまったり、
手順を間違えて不思議なことが起きなかったとしても、
それは失敗とは言わないでほしい。
その勇敢なる挑戦の結果に対して、「失敗」という言葉のラベルはふさわしくないのです。
まさにエジソンの言葉を借りれば、
失敗したのではなく、「うまくいかない方法を知った」のです。
この話題を話すとき、オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」を思い出します。
貧乏だけど、お互いを愛し合っている若き夫婦の物語。
妻デラは、夫ジムのためにジムが大切にしている懐中時計にぴったりの鎖をプレゼントとして買いました。
ジムは、デラの綺麗な長髪を梳かすための櫛を買いました。
ところが、愚かなことに、
お互い相手へのプレゼントの資金をつくるために、
デラは髪を売り、ジムは時計を売ってしまったのでした。
そう、お互いのプレゼントは無用の長物と化したのです。
語り手はこう語ります。
And here I have lamely related to you the uneventful chronicle of two foolish children in a flat who most unwisely sacrificed for each other the greatest treasures of their house.
「ここまで私は、アパート暮らしの愚かな子羊たちの平凡な物語を、つたないながらご紹介してきました。二人は浅はかにも、家にあった最高の宝物を、それぞれ失ってしまったのでした。」
ですが、こうも締めくくります。
But in a last word to the wise of these days let it be said that of all who give gifts these two were the wisest.
「しかし、現代の賢者である皆さんに、最後にこう言わせてください。贈り物をするあらゆる人たちの中で、この二人は、もっとも賢い二人なのです。贈り物をあげたりもらったりする皆さん! この二人のような人間こそが、もっとも立派な人たちなのです。世界中のどこでだって同じです。彼らは、賢者なのです。」
彼らは相手を驚かせることには失敗してしまいました。
ですが、作者は本当の賢者とはサプライズの成功失敗にかかわりなく
自分の大事なものを投げうってまで、相手を驚かせようとした心の持ち主だと言いたいのでしょう。
その点、受講生たちは、大事な時間を削ってまでセミナーに通い、
誰かを幸せにしたいと願ったまさに賢者。
そして、賢者とは原文で”magi”。
すなわち、magicianである彼ら、彼女たちは本物の”magi”なのでしょう。
本日もお読みいただきまして、どうもありがとうございました!