わたしはパレスチナ系アメリカ人のアーティストです。雑誌のデザインや本の装丁、ポスター、美術館の展示を手がけています。
今はニューヨークに住んでいて、イラストレーションを教えたり、ラジオ番組の共同ホストも務めています。Unbound: The Arts and Culture of Palestine というパレスチナの音楽やアート、文化を発信するプログラムです。
生まれ育ったのは、合衆国メリーランド州のボルティモアでです。ここで両親は小さな商店とカフェを開いていました。Sultana's というお店で、お客さんたちは、父と母がアメリカへ亡命してくる前の話を聞きに、そして、自分たちの話をしに、店に通っていました。
母は、ヨルダン川西岸のラーマッラーで生まれ育ちました。お店が暇なときは、タトリーズと呼ばれるパレスチナ刺繍をしていました。父は、ガザのすぐ北にある(原文ママ)ラムラという、地中海に面した街からの難民でした。
当時、「パレチチナ」という言葉を使うことは、ありとあらゆる場で禁止されていました。学校の授業でも、それから、衣服にも、「パレスチナ」が出てくることはありませんでした。だから、姉が「パレスチナ」と書かれたカリグラフィーのタトゥーを腕にしたときは、上着を脱ぐたびに誇らしげな顔をしていたのを覚えています。(つづく)
※『もしぼくが鳥だったら――パレスチナとガザのものがたり』の画作者アマル・カルザーイさんが寄せてくださったプロフィールメッセージをお送りしています。
※※プロジェクトは【残りあと5日】となりました。ご支援と拡散のご協力をお願い致します。
edited and translated by Yugi Publishers