(昨年の狂奏祭に参加された、no山future夫@nofuturedays様にレポを書いていただきました)
2023年の「狂奏祭」は、ただの学園祭ではなかった。
8月10日、河原町でいつも通りの仕事を終え、職場から徒歩で30分程度。
日本有数の観光地である京都も、夏休み期間とはいえ夜になると少しは静かだ。
しかし、あらかじめ予想していたがそれ以上に、近付くにつれてどうも様子がおかしい建物がひとつ。熊野寮だ。
到着するや否や、中庭からはみ出る勢いで(しかしみんな偉いので、モラルやルールはきちんと守った上で)ひしめく出店やステージのテント、学生たち。その主張。
フィクションやルポで触れることはあれど、直接目の当たりにすることが叶わなかった学生運動全盛、さながらその時代の再演。
突拍子のない若いドライブ感に突如巻き込まれ、30代を目前に控えて草臥れていた自分は、思わず胸がいっぱいになる。
人混みをかき分け、食堂へ向かうと、程なくして、イベントそのものの大トリでもあるパソコン音楽クラブの演奏がはじまった。
何度か暑さに機材がやられ、音が止まるアクシデントもあったが、むしろそのライブ感こそが観客の魂を揺さぶり、煽り、煮え立つボルテージの最高到達点をこれでもかと、上へ上へと引き上げる。というか、仕方がない。そりゃ音も止まるだろう、という熱気の中である。運営、演者、観客が三竦みでぶつけあった凄まじい高揚感はフロアからステージへ、そして普段はそれぞれの生活が――友情や恋や、軋轢や和解や、成功や諦念が――営まれているであろうそれぞれの部屋、繋ぐ廊下、寮全体の其処此処で、眼が眩むような眩しさと熱量を湛え、本日限りという短い消費期限が切れる寸前、持て余されたエネルギー達が、灯を絶やさんとして必死に燃え盛っていた。普段から外界との隔絶がある(……それを望んで享受している、かのような佇まいでもある)独特の生活空間として「寮」が存在しているとはいえ、この日は更に異様なスピードでその独自性、異常性を拡張、加速させ、内に閉じながらにして今にも外へ向けて開かんとする、漂流教室か、はたまたビューティフル・ドリーマーか、いやいや、つまるところ、世代や性別、思想を超え、参加者はきっと皆一様に。出来るだけ今が長く続いてほしい。この時間が終わってほしくない。という祈りを乗せてそれぞれに、主張や気持ちのやりとりや、演奏、ダンスなどを、中庭で、食堂で、そこかしこで繰り広げていた。思い起こせば、もう戻れないあの日に、その事実が美しく、何にも代えがたい。
終始蒸し風呂状態だった食堂では、学生たちの未来に幸あれという思いも込めつつ、いくらかのドリンクと、適当な食べ物を購入し、いただきながらライブを鑑賞していた。
汗まみれの帰り際、実行委員の方がステージに立ち、感謝を語りはじめる。そそくさと部屋から出ようとしていた自分も思わず足を止めてしまう名演説。それもまた熱い。
せっかくこんなに良いものを体感させてもらったのだからと、財布の中にあった数千円を気持ちよくカンパ箱に投げ入れ、会場を後にした。
自分が滞在した時間は終演までの90分弱と短いが、それでも改めて、2023年の「狂奏祭」は間違いなく、ただの学園祭ではなかった。青春とか、モラトリアムとか、そういう言葉では片付けてはいけないレベルの、ある種の危険な企み。時代のしっぽを掴んで振り回してやるという謀略、その爆発。あの狂乱の宴が毎年、連綿と続いていくのなら、日本の未来だって少しは明るいのかもしれない。
「狂奏祭」がひとりでも多くの人からの共感と支持を得ながら、可能な限り自由に、今年も、そしてこれからも開催され、永く運営されていくことを願ってやみません。