どさん娘さんをパン屋に改装する告知をして以来 たくさんの方のどさん娘ヒストリー伺いましたどの思い出もあたたかいものでしたもちろん私にも"真田町にラーメン屋さんができた"と、嬉しかった記憶があります今日は大家さんにも立ち会っていただいて、当時の話に花を咲かせながら看板撤去を見守りました元は田んぼだったそうです・・・・・・・・・・・・・・・・・・外した看板は想像よりはるかに重く頑丈で複雑に作り込まれていましたラーメン屋→パン屋大きな看板を三面に掲げた店主の気持ちきっと大きな "挑戦" だったのでは想像すると胸が熱くなりますありがとうございました と頑張ります をモチーフの娘につぶやいて新しい看板制作の打ち合わせもしました若パンもまだまだチャレンジャー大きな看板作ろう‼︎さぁどうなるでしょう乞うご期待‼︎
朝の真田町はまだ霧の中でした作業が進むにつれ霧も晴れあたたかい日差しのもと無事機材搬入終わりましたおじちゃん達のチームワーク素晴らしかった良い仕事見させていただきましたスズキ産業さま搬入の達人おじさま東信ガスさま電気の担当者さまありがとうございました機材が入って厨房らしくなってきましたパンが焼ける日はまだ先ですがすでに楽しいどさんこ→若パンただいま70%くらいクラウドファンディングも70%くらいたくさんの方にご支援いただきましたありがとうございます皆さんのコメントにものすごくほんとに励まされています引き続きご協力よろしくお願いいたします
今ではしっくりきてる"若林パン"の屋号ですが、最初の頃は古風な名前から「老舗の家族経営のパン屋らしい」「おじさんが作ってるらしい」など皆さん様々なイメージを持っていたようです今まであまり屋号の由来は説明してこなかったけど良い機会なのでこの場をお借りしてー・私は"若林を代表するパン屋"ですと出身の真田町で名乗りたかった・私に至るまでの先祖、両親〜脈々と続く若林の歴史の中にパン屋の私を刻みたかったこんな思いに至ったのは母、祖母との死別が関係している母が亡くなってからもうじき15年が経とうとしている病気だった祖母が亡くなったのは5年前92歳大往生だった家族との別れは悲しかったけれど不思議と寂しさは感じなかった私の中に彼女たちのDNAが、記憶が繋がっていると感じる瞬間があるからだ判断に困っている時、やり切った達成感を味わう時、ちょっとしんどいなと思う時…様々な場面で登場する彼女たちの面影実際真田町で販売していると母と間違われる事も多い恥ずかしいような嬉しい気持ちになる母が舌をだしながら「やだくて〜」と笑っている気がして仕方がない・・・・・・・・・祖母の介護をしながら暮らした数年は"おばあちゃん子"の私にとってかけがえのない時間だった身体が弱ってきてぼんやりした時間が増えて、夜なのに"おはよう"と言う日が続いたある日しっかりした偉大な祖母に戻る瞬間があって「やるからには思いきりやりなさい」と私の目を見て言ったそれが"若林パン"の始まりいつか仲間が増えてこの屋号を変えたくなる日が来るかもしれないそれはそれで良い今は"若林パン"として思いきりやる時だDNAがそう騒いでいる
気づいたら国技館や巡業に通う、いわゆる"スー女"になっていたあれ?なんで相撲好きになったんだっけ?家族の影響か? ウルフ?若貴? いや、パン屋で働き始めたからだーパン屋は仕事が早い時間に終わるから相撲中継のあたりがパン職人にとってゴールデンタイムあちこちの店舗で働いたけどどの店でもおじさんパン職人の相撲好き率は高く場所が始まると朝から昨日の取り組みの話題でやいのやいのパン屋で働き始めて3、4年目くらいの若パンは技術的なことを見直したい時期でパンのこと教えてもらいたくて気難しいおじさんパン職人の懐にはいるべく相撲を見始めた相撲の話題から親しくなろうとしたなんてあざとくあさはかな若パン結果 その頃覚えたパンの技術はなんだったか忘れちゃったけど相撲の楽しさを知った特に好きなのは巡業長野、松本、佐久、東御コロナ前までは時間を見つけては行っていた間近で見れて、サインをもらったり、写真を一緒に撮ったり"郷土力士"長野県出身の力士が土俵にあがると会場全体で応援するあの感じが好きだ力士に赤ちゃんを抱っこしてもらって健やかな成長を願う感じも好きだスポーツとエンタメと神聖な儀式が一体化してるとこが好きだその全てに力士の稽古という基礎があって歴史があってそういう世界観が好きなのだ---------------------------------------クラファンのリターンを考えている時ふと浮かんだ"若パン初場所"の光景思い浮かんだままを書いたのがあのイラスト 手が動くのが早かった胸が熱くなるそんなひとときを共に過ごせたら真田の郷土パン屋の最高なスタートになるんじゃないかしら。