この中西太氏銅像建立プロジェクトは、高松一高野球部OB会、桜紫会(高松一高同窓会)、高松讃紫会(高松高校・高松商業・高松一高野球部OB連合会)及び趣旨に賛同する者で構成する実行委員会が推進します。
中西太氏は、甲子園での活躍により怪童と呼ばれ、プロ野球では本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回など、数々のタイトルを獲得した球界屈指の強打者です。
また中西太氏の偉大さは、現役引退後に選手育成に心血を注いだところにあります。WBC優勝監督の栗山英樹氏、阪神監督の岡田彰布氏、元メジャーリーガーのイチロー氏や岩村明憲氏、掛布雅之氏、若松勉氏、金村義明氏、宮本慎也氏など球界を代表する指導者や選手を育成した日本球界のレジェンドです。
中西太氏は、高松一高並びに郷土香川の誇りであり、その偉大な功績を後世に伝えていく責任を強く感じています。
中西太氏銅像建立実行委員会会長を拝命しております、高松第一高等学校同窓会会長の山下幸男と申します。
日本野球界のレジェンドである中西太氏が昨年5月に逝去されて以降、野球王国・高松の礎を築き、多くのプロ野球選手、指導者を育て、多く国民に夢と希望を与えてくれた同氏の功績を顕彰する銅像建立の機運が高まっております。折しも、高松市役所前の高松市中央公園は、かつて名選手を輩出した高松市中央球場だったことから、水原茂氏(高松商業卒・元読売巨人軍監督)と三原脩氏(高松高校卒・元西鉄ライオンズ監督)の銅像がありますが、現在、同公園は高松市において再整備事業が進められており、両氏の雄姿に中西太氏が加わることで、野球王国・香川の名を全国に轟かせた3人が揃うことになる、またとないチャンスです。
このため、中西太氏の母校である高松第一高等学校の野球部OB会や同窓会、また、同氏と親交のあった有識者、野球関係者、さらには地元自治体の首長や財界の方々の参画をいただいて立ち上げた実行委員会において、銅像を制作し、高松市に寄贈する建立プロジェクトを推進します。
つきましては、その財源を、銅像建立の趣旨に賛同をいただける皆様からの寄附金で確保するため、全国の皆様に呼びかけさせていただきます。
皆様のご支援をお願いします。
このプロジェクトの目標は、中西太氏の銅像を高松市中央公園に建立することです。この公園はかつて中西太氏ら幾多の名選手を輩出した高松市中央球場の跡地に整備されています。現在、高松商業高校出身の水原茂氏、高松高校出身の三原脩氏の銅像があり、そこに中西太氏の銅像が加わることで、「野球王国・香川」を築いた偉大な3名が揃います。
これにより、彼らの功績を永遠に語り継ぐことができ、次世代の子どもたちにもその偉大さを伝えることができます。また、高松市中央公園のリニューアルに合わせて銅像を建立することで、「野球王国・香川」の復活の機運を醸成する絶好の機会となります。
[銅像建立のイメージ図]
現在、高松市中央公園は高松市の事業として令和9年初夏のリニューアルオープンを目指した取り組みが進められており、再整備に合わせて中西太氏の銅像を建立する予定です。
私は中西太と戦後すぐの旧制中学時代に一緒に野球をした者です。彼は最下級生として3年間、ボール拾いをしていました。その後の甲子園での活躍は、本当に凄かった。プロ野球でも素晴らしい成績を残し、沢山の選手や指導者を育てた。どんなに忙しくても関東の高松一高野球部OB会には来てくれた。太の銅像を何としてでも、水原さん・三原さんの銅像の横に作ってほしいなあ。みなさま応援、よろしくお願いします。
上春三郎(高松一高野球部OB会名誉会長・S24卒)
昨年の中西さんのお別れ会の時にご来場された栗山英樹氏が「中西さんの銅像を建立したい」とおっしゃっていた話を耳にした時、いつかそうなったら良いなと思っていましたが、まさか、こんなに早く実現に向けて動き出すとは!令和9年夏、高松市中央公園に水原氏・三原氏の銅像とともにそびえ立つ中西さんの銅像を想像すると、とても楽しみでなりません。
山口富士雄(元阪急ブレーブス・高松讃紫会名誉会長)
かねてより、高松市中央公園に中西太氏の銅像建設を望む声が数多く寄せられていました。昨年5月11日に中西太氏がご逝去され、同年11月3日に高松一高野球部OB会が中心になり、「怪童中西太さんお別れの会」を開催しました。このお別れの会をきっかけに銅像建立の機運が一気に高まりました。
中西太氏は高松一高時代に春夏合わせて3度甲子園に出場し、「怪童・中西太」として全国にその名を轟かせました。高校卒業後は西鉄ライオンズに入団し、本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回など、数多くのタイトルを獲得しました。また、西鉄ライオンズをはじめ、日本ハムファイターズや阪神タイガースで監督を務めたほか、多くの球団でコーチを務め、現阪神タイガースの岡田彰布監督やWBC侍ジャパン前監督の栗山英樹氏、元メジャーリーガーのイチロー氏や岩村明憲氏など、数多くの選手を育てた指導者でもありました。その功績から、平成11年には野球殿堂入り、平成12年には高松市市民栄誉賞第1号が授与されました。
昭和20年7月の高松空襲で、九死に一生を得た中西太氏が野球を始めたきっかけは、小学校の担任の先生から三角ベースボールを教わったことでした。松島小から高松一中に入学、折からの学制改革により引き続き新制高松一高へ進学したので、同じ校庭で6年間も学んだことになります。この間に接した多くの人々と豊かな人間関係を築き、郷土愛を育みました。誰に対しても優しく、細やかな気配りを忘れない性格から、「太っさん」の愛称で呼ばれる素晴らしい人物です。
< 「怪童」中西太の野球人生 >
1.小学校時代
昭和20年7月4日未明の高松空襲、小学生の中西太氏は、自宅近くの防空壕に入らず少し離れた場所に逃れ、九死に一生を得た。終戦を迎え焦土と化した高松で、松島小学校6年生の担任牧野先生に三角ベースボール教わったことが野球との出会いだ。グラブもバットもない中で、夢中で野球に興じた。昨年11月3日に行われた「怪童中西太さんお別れの会」では敏子夫人が「子供の頃の遊びが、生涯の仕事となりました。」と話されていた。
2.中学・高校時代の活躍
昭和21年4月に中西太氏は、高松第一中学校(旧制)に入学する。その頃は、教育制度改革の間で、本格的な練習をしたり、試合に出たりすることができなかった。上級生の練習の手伝いなど下積み生活が3年ほど続き、学制改革により併設中学3年生となり、そして高松一高へと進むことになる。
昭和24年春、選抜高校野球大会に出場、まだ高校に入学していなかったが中西太氏は出場が認められた。この大会では1回戦で関西(岡山)に勝利したが、2回戦で名投手福嶋を擁する小倉(福岡)に敗れる。
同年夏、全国高校野球選手権では、2回戦水戸商(茨木)、3回戦芦屋(兵庫)に勝利、準決勝の湘南(神奈川)に3―2で惜敗する。湘南は全国優勝を飾る。
昭和26年夏、1回戦岡山東(岡山)、2回戦福島商(福島)、3回戦芦屋(兵庫)に勝利したが、またも準決勝で、4-3と平安(京都)に涙を飲む。平安は全国優勝を飾る。
こうした、3度の甲子園での活躍により「怪童」と名付けられ、「高松一高に中西太あり」と全国にその名を轟かせた。
3.プロ野球での活躍
卓越した打撃成績
・新人王(1952年)・最年少20歳でトリプルスリー(打率3割1分4厘、36本塁打、36盗塁)(1953年)
・本塁打王5回(1953年、54年、55年、56年、58年)
・打点王3回(1953年、56年、57年)
・首位打者(1955年、58年)
・通算本塁打244本、通算打点785打点、通算打率3割7厘
・ベストナイン9回
★監督・コーチ歴
監督
・西鉄ライオンズ(選手兼任、1962年~69年)
・日本ハムファイターズ(1974年~75年)
・阪神タイガース(1980年~81年)
コーチ
・ヤクルトアトムズ ヘッドコーチ(1971年~73年)
・阪神タイガース 打撃コーチ(1979年)
・ヤクルトスワローズ ヘッドコーチ(1983年~84年)
・近鉄バファローズ‘打撃コーチ、ヘッドコーチ(1985年~90年)
・読売ジャイアンツ 打撃総合コーチ(1992年)
・ロッテマリーンズ ヘッドコーチ(1994年)
・オリックスブルーウェーブ ヘッドコーチ(1995年~97年)
・ヤクルトスワローズ アドバイザー(1999年~2000年)
※上記のように8球団で監督やコーチを歴任する。この間に、WBC侍ジャパン前監督の栗山英樹氏、現阪神タイガース監督岡田彰布氏、元メジャーリーガーのイチロー氏や岩村明憲氏、掛布雅之氏、若松勉氏、金村義明氏、宮本慎也氏など多数の日本球界のレジェンドたちを育て上げた名伯楽
受賞・顕彰等
・野球殿堂入り(1999年)
・高松市市民栄誉賞第1号(2000年)
・現役時代のユニフォームやトロフィーなどの資料49点を高松市に寄贈(2007年)
・高松市民文化センターで寄贈された上記資料が公開、展示される(2008年)
・高松市がこども未来館「たかまつミライエ」に怪童中西太コーナーを設置(2016年)
・高松讃紫会(高松高校・高松商業・高松一高野球部OB連合会)の名誉会長に就任(2016年)
・2023年5月11日ご逝去。同年11月3日に高松にて「怪童中西太さんお別れの会」を開催
・2024年6月1日中西太氏銅像建立実行委員会を設立
球史に残る名試合と三原ノート
・1956年、57年、58年に三原脩氏率いる西鉄ライオンズは、同郷の水原茂氏率いる読売ジャイアンツを下し、3年連続の日本シリーズ連覇を果たした。奇跡の逆転勝利と言われたのが、58年のシリーズだ。西鉄は3連敗し崖っぷちに追い込まれるも、稲尾投手の4連投、中西太氏のホームランなどにより4連勝し、シリーズを制覇した。中西太氏の義父でもある三原脩氏の采配は、「三原マジック」と呼ばれ、「三原ノート」として書き綴られ中西太氏に受け継がれた。後年、この「三原ノート」は中西太氏のヤクルト時代の教え子であり、当時のWBC侍ジャパンの監督であった栗山英樹氏に伝わり日本のWBC優勝の陰の力となった。
< 「太っさん」の言葉、人柄 >
・高松第一高等学校創立60周年記念誌に中西太氏は以下のように寄稿した。
「私が当時の高松一中に入学したのは、昭和21年でした。小学校6年生で終戦を迎えた私は、兵隊になる夢も消え、焦土と化した高松に唯一焼け残った高松一中に入学し、新制高松一高を第4回生として卒業しました。私の高校時代の思い出は、そのまま野球部の思い出につながるわけですが、私が野球部に入部したのは近所に野球部の先輩がいたという単純な理由からでした。その野球を今、職業としているのですから、人生はわからないものです。軍隊帰りの先輩達は非常に厳しく、殴られることもしばしばで、われわれは、無我夢中で練習をしました。現代の若者は、もっと自由に自己主張できるようになりましたが、まずは諸先輩の意見に耳を傾けることも必要ではないかと、今、思います。学生時代には、とにかく自分のやりたいことに熱中し、辛抱強く努力すれば、何か将来の道が開けるのではないでしょうか。」
・「何苦楚」が座右の銘
中西太氏の義理の父で西鉄、大洋、近鉄、ヤクルト監督を務め、4度の日本一などで名将とうたわれた三原脩氏(高松高校)が座右の銘とした「何苦楚 日々新也(なにくそひびあらたなり)」が源。仏教用語の一つで「何事も苦しむことがやがて一人ひとりの心の礎(いしずえ)になる・・・」の意味で、中西太が生涯のモットーとして受け継いだ。
・「長所を生かす」を大切にした指導
「人を見て法を説く」「花は咲き時咲かせ時」も三原脩氏から引き継いだ言葉。中西太氏の指導した選手は皆、個性的でそれぞれの特性をいかんなく発揮している。個々に応じた指導、タイミングを逃さない指導で才能を開花させた。
・「一日一善」など、選手を引き付ける言葉
ベースボールマガジンの2023年8月号は中西太特集号。その中に、中西太氏の素敵な言葉が散見される。
ヤクルトスワローズ時代のことだ。
「誰が始めたかが大事じゃない。若松君も指導者になってからやっていたし、みんなが選手のことを考え、工夫してきたもの、それが伝統や」「教えているようで、教えられているんだ」という言葉も残している。教え子たちがどんなに立派な成績を修めても決して自慢をすることもなく「自分が優れている点は、人と一緒に汗を流すことが得意だということ」と語った。
元近鉄バファローズの金村義明氏にはこんな言葉掛けをし、彼を飛躍させた。
「中西や長嶋でも全打席でヒットが打てるか」と問われ「いいえ、打てません」と答えると、「そう、一日一善でいいんや」、つまり一本のヒットでも四球一つでもいいよ、という意味で、とても気が楽になったとのことだ。背中に、打てるようにとおまじないを書いてくれたこともあった。中西太氏の人柄をよく表しているエピソードだ。
「太っさん」と呼ばれ誰からも敬愛される中西太氏。彼は自分のためではなく、人のために生きた。家族のため、チームのため、仲間のため、野球界のため、90年の人生を捧げた。高松市中央公園には大先輩である水原茂氏と三原脩氏の像が立ち、彼の像が建立されることを待っているようだ。怪童と呼ばれ、球界きっての強打者でありながら名伯楽、中西太氏の心と雄姿を後世に伝えたい。皆様方のご寄附、ご支援を心よりお願い申し上げます。
○領収証・お礼状を特製クリアファルに挟み込み、当実行委員会の封筒に入れて郵送いたします。
○希望される方に、銅像制作状況の経過報告ならびに除幕式(開催詳細未定)等のご案内をさせていただきます。
本プロジェクトの寄附金は、税制優遇措置(個人:所得控除、法人:全額損金算入)の対象となります。
送付する領収証は確定申告等で使用できます。
・大切な寄附金に対する領収証を送付する特製クリアファイルと当実行委員会の封筒は下図のようなイメージです。(※デザイン等変更になる可能性があります。)
本プロジェクトへのご寄附は『中西太氏銅像建立実行委員会』への寄附となり、弊団体が寄附金の受付及び領収証発行を行います。
このプロジェクトの寄附は寄附金控除の対象になります。
「寄附金控除」をお受けいただくためには、確定申告の際に、『中西太氏銅像建立実行委員会』が発行した領収証をもって確定申告をしていただく必要がございます。(領収証の発送は2025年1月中に送付いたします)
※領収証はCAMPFIREではなく当団体が発行・郵送いたします。
最新の活動報告
もっと見る中西太氏銅像建立実行委員会のXでエッセイを連載しています
2024/10/14 08:0010月11日から、中西太氏の母校である高松一高野球部OBの方から「怪童中西太フィロソフィー」をご提供頂き、毎日更新で連載しております。https://x.com/nakanishi_6中西太氏へ愛情がひしひしと伝わる内容になっておりますので是非ともご覧頂ければと思います。また、当実行委員会として、一人でも多くの方に中西太氏の功績を知っていただきたく本プロジェクトを開始しました。Facebook、Instagram、XなどSNSのアカウントをお持ちの方は是非とも本プロジェクトをご紹介頂ければ幸いです。本プロジェクトのURLは「https://camp-fire.jp/projects/786189/」です。何卒よろしくお願いいたします。 もっと見る
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