Xにて連載中の「怪童中西太フィロソフィー」第71話から第80話です。
第91話
昭和37年、太っさんは29歳でプレーイングマネージャー(選手兼任監督)に就任する。翌38年には大逆転でリーグ優勝を果たす。希望して監督になったのではないだろう。若くしてのプレーイングマネージャー、どんなに苦しかったことか。それが8年間続く。
第92話
昭和44年、西鉄監督を辞任、現役も引退。これから太っさん劇場の2幕が始まる。ヤクルトアトムズを皮切りに、西鉄を含めると8球団の監督、コーチを務める。日本ハム、阪神、ヤクルトスワローズ、近鉄、巨人、ロッテ、オリックス。まさに野球遍路だ。
第93話
指導した選手は数知れない。若松勉、杉村繁、伊勢孝夫、八重樫幸雄、宮本慎也、岩村明憲、青木宣親、デーブ大久保、石井浩郎、大石大二郎、掛布雅之、岡田彰布、真弓明信、イチロー、新井宏昌、田口壮、金村義明、ブライアント、ペタジーニなどと言われている。
第94話
皆、個性的なバットマンたちだ。こうした太っさんの門下生から、孫弟子ともいえる村上宗隆、山田哲人など新たな人材が育っている。でも太っさんは「自分が優れている点は、人と一緒に汗を流すことが得意だということ」と、決して自分が指導したことを自慢しない。
第95話
ベースボールマガジンにこんなエピソードが。近鉄時代、太っさんは金村義明に「中西や長嶋でも全打席ヒットが打てるか」と問いかけた。「打てません」と答えると「一日一善でいいんや」つまり一本のヒットでも四球一つでもいいんだと、彼の気持ちを和らげた。
第96話
高松市民栄誉賞受賞時、記念誌の太っさんの言葉の一部。プロ野球に求められているのは「米国が日本選手の器用さ、細やかさを学び、日本は米国の伸び伸びとした選手育成を取り入れる。互いにいいところを取り合う気持ちが大切だ」。現在、それが実現しつつある。
第97話
今の選手に必要なこととして、「思い切ったプレーをすることが大切。勝ち負けは二の次。空振りをしても次につながる振りができればいい。踏ん張ってバットをよりシャープに振る、ボールをより遠くに投げる、これが大原則だ。」と。
第98話
高校野球界に一言。「勝つことを目的にプロ野球並みの人集めをしているところや設備が整っているチームが勝つのは当然。試合の勝ち負け以前に、まず野球選手としての教育、基礎作りが第一。指導者は、選手の目線に立って自ら手本を示しやってほしい。」
第99話
「俺は大学に行き、地元の銀行に入ってお袋を楽にしてやりたかったんだ。」数年前、僕にこう話してくれた。太っさんの生家は八百屋。店売りだけでは生計が立たず、母の小浪は行商に出ていた。遠く県外へ行くこともあった。小浪の後ろ姿から得難いものを学んだ。
第100話
「人に迷惑をかけるな」など、生きていく原則を小浪は幼い太っさんに教えた。一日一善、人の悪口を言うななど、太っさんは僕たちに人としての在り方を、身をもって示してくれた。太さんのような野球選手にはなれないが、その生き方は、少しは真似できそうだ。
最終話
太っさんは郷土出身の浅野翔吾に期待し、大谷翔平や山本由伸の活躍するワールドシリーズ、熱戦のDeNAとソフトバンクの日本シリーズを喜んでいるだろう。西鉄対巨人のシリーズが蘇る。中央公園に太っさんの銅像が建ち、水原、三原の3人が並ぶ日を待ち望む。