2024/09/17 15:49
1964年頃の私たち。初代、藏田繁登おじいちゃんと私。私は2歳ごろだと思います。
初代繁登おじいちゃんはシベリア抑留を解かれて戻ってきました。原爆投下は免れたものの、食糧不足にあえぐ広島県東広島市で、3人の子どもを抱え、酒造会社で働くおばあちゃんは、いつ帰ってくるともわからない夫を待ちながら、懸命に食べ盛りの子どもたちの生活を守っていたと言います。
おじいちゃんが始めたのは京染屋さん。織り上がった縮緬(絹)やウールの反物を、カタログのデザインを選んでもらって染める手配をするお店です。なぜおじいちゃんがこの商売を始めたのか、今はもうわかりません。食べるものさえなかったのに…。
開業は1945年の冬だそうです。田んぼも資産も定職も持たない家族が、必死で生きていく時代でした。