Check our Terms and Privacy Policy.

女性たちが「なりたい私」を叶える場所に。80年続いた呉服店をリノベーション!

廃業し空き家となっていた「くらた呉服店」は祖父母と両親が着物を通して女性たちの生活や社会進出を支えた場所でした。ここをシェアオフィスとして生まれ変わらせ、次の時代につなぎます。転職や復職、キャリアアップ、起業…挑戦を決めた女性たちが情報と仲間を手に入れて自信を持って前進できる場を誕生させます!

現在の支援総額

1,050,000

105%

目標金額は1,000,000円

支援者数

71

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/09/12に募集を開始し、 71人の支援により 1,050,000円の資金を集め、 2024/10/31に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

女性たちが「なりたい私」を叶える場所に。80年続いた呉服店をリノベーション!

現在の支援総額

1,050,000

105%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数71

このプロジェクトは、2024/09/12に募集を開始し、 71人の支援により 1,050,000円の資金を集め、 2024/10/31に募集を終了しました

廃業し空き家となっていた「くらた呉服店」は祖父母と両親が着物を通して女性たちの生活や社会進出を支えた場所でした。ここをシェアオフィスとして生まれ変わらせ、次の時代につなぎます。転職や復職、キャリアアップ、起業…挑戦を決めた女性たちが情報と仲間を手に入れて自信を持って前進できる場を誕生させます!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

1964年頃の私たち。初代、藏田繁登おじいちゃんと私。私は2歳ごろだと思います。


初代繁登おじいちゃんはシベリア抑留を解かれて戻ってきました。原爆投下は免れたものの、食糧不足にあえぐ広島県東広島市で、3人の子どもを抱え、酒造会社で働くおばあちゃんは、いつ帰ってくるともわからない夫を待ちながら、懸命に食べ盛りの子どもたちの生活を守っていたと言います。


おじいちゃんが始めたのは京染屋さん。織り上がった縮緬(絹)やウールの反物を、カタログのデザインを選んでもらって染める手配をするお店です。なぜおじいちゃんがこの商売を始めたのか、今はもうわかりません。食べるものさえなかったのに…。


開業は1945年の冬だそうです。田んぼも資産も定職も持たない家族が、必死で生きていく時代でした。

シェアしてプロジェクトをもっと応援!