初代の藏田繁登と妻のはるみについて京染店を始めた二人は、昼夜を分たず働きました。お店は現在のJR西条駅のすぐそば。お店は繁盛して、東広島市志和地区にも支店を持っていたようです。この写真は1950年頃でしょうか。お客様の笑顔を見てください。農作業の合間に集う女性たちのおしゃべりが聞こえるようです。ここにいる間だけは、お茶を飲みながらおしゃれの喜びを味わっていたのでしょうか。お客様に喜びや苦労に寄り添うこと。藏田呉服店のこだわりでした。藏田はるみについて書きます。女性相手のお商売ですから、繁登には色々あったようです。はるみだけが働き詰めでした。お客さんの対応、家事と育児を一気に引き受けていました。嫁としての務めにも苦労したようです。しかし、はるみには夢がありました。それは子どもたちに良い教育を受けさせること。より良い人生を選ぶ可能性を子に渡すこと。資産もなく、楽しみも持てない毎日ですが、はるみは中高から子どもたちを市外に出し、最高の教育を受けさせます。近所や親戚から何しようるんか…という声もあったでしょう。教育は最も回収率の高い先行投資。二代目父へ。そして三代目私へ。私が今この仕事を始めるのも、はるみの先見性あってのことです。
1964年頃の私たち。初代、藏田繁登おじいちゃんと私。私は2歳ごろだと思います。初代繁登おじいちゃんはシベリア抑留を解かれて戻ってきました。原爆投下は免れたものの、食糧不足にあえぐ広島県東広島市で、3人の子どもを抱え、酒造会社で働くおばあちゃんは、いつ帰ってくるともわからない夫を待ちながら、懸命に食べ盛りの子どもたちの生活を守っていたと言います。おじいちゃんが始めたのは京染屋さん。織り上がった縮緬(絹)やウールの反物を、カタログのデザインを選んでもらって染める手配をするお店です。なぜおじいちゃんがこの商売を始めたのか、今はもうわかりません。食べるものさえなかったのに…。開業は1945年の冬だそうです。田んぼも資産も定職も持たない家族が、必死で生きていく時代でした。
無事9/12(木)にプロジェクトを公開することができました!なんと300人近くの方がページを訪問してくださいました。何よりご支援くださった方、本当にありがとうございます!!コメントには全て目を通しています(^^)募集期間は10/31(木)まで。この日は決起集会ということで、久々に対面でメンバーとも会うことができました。お仕事終わりにお子さんを連れてきてくれたメンバーも!次に何をすべきか?PRはどうするか?改善点は何か?などなど、作戦会議も行いました。メンバーからコメントをいただきました。『自分らしく生きたいと思っていても、毎日忙しく バタバタと日常生活を送っていませんか?このモヤモヤした気持ちを吐き出せる相手がいたり、誰かに相談できたら、きっと明日は変わります!辛い、誰か助けて。その気持ちに蓋をせず話してください!私たちがあなたのお困りごとを解決できる糸口をつなげます!「来音」は自分自身がふと立ち止まり 振り返り 自分らしさを発見できる場所です。幸せを毎日感じられ、より豊かな人生を私たちと一緒に歩みましょう!そんな場所「来音」に是非応援どうぞよろしくお願いいたします!』今後も追加リターンや進捗報告など随時更新していきます!