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女性たちが「なりたい私」を叶える場所に。80年続いた呉服店をリノベーション!

廃業し空き家となっていた「くらた呉服店」は祖父母と両親が着物を通して女性たちの生活や社会進出を支えた場所でした。ここをシェアオフィスとして生まれ変わらせ、次の時代につなぎます。転職や復職、キャリアアップ、起業…挑戦を決めた女性たちが情報と仲間を手に入れて自信を持って前進できる場を誕生させます!

現在の支援総額

1,050,000

105%

目標金額は1,000,000円

支援者数

71

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/09/12に募集を開始し、 71人の支援により 1,050,000円の資金を集め、 2024/10/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,050,000

105%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数71

このプロジェクトは、2024/09/12に募集を開始し、 71人の支援により 1,050,000円の資金を集め、 2024/10/31に募集を終了しました

廃業し空き家となっていた「くらた呉服店」は祖父母と両親が着物を通して女性たちの生活や社会進出を支えた場所でした。ここをシェアオフィスとして生まれ変わらせ、次の時代につなぎます。転職や復職、キャリアアップ、起業…挑戦を決めた女性たちが情報と仲間を手に入れて自信を持って前進できる場を誕生させます!

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父は大学卒業後、トヨタで働いていました。田舎には帰りたくなかったのでしょう。母和子は神戸の地主の娘で、ねえやに育てらたわがまま娘でしたが、遊び半分で東京で働いていたところ父と出会い、二人は家庭を持ちました。好景気に支えられ、二人の生活はそれなりに楽しかったと聞きます。


しかし、二人は1960年ごろ父繁登に呼び戻されます。繁登の開いた蔵田呉服店が忙しくなったのかもしれません。お嬢様育ちだったため、母は料理も家事もできません。髪も自分で洗えない。定期的に鍋島美容院に通っていました。


しかし、ここで母は商売人として目覚めるのです。放漫経営だった呉服店の売掛金の回収に奔走し、ぐんぐんと売り上げを伸ばしていきます。義理の妹や弟がいた家庭で、おんば日傘で育った母はどんな思いで過ごしたのでしょう。


かすみがその頃生まれるのですが、母はやっぱり料理は作れません。気がつくとお手伝いさんが家に入り、母はいつも自宅兼お店でお客様対応していました。だから、私のおふくろの味はお手伝いさんと酒飲みの父の酒の肴でした。

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