ちょうど一年前の今日時間は夜中の11時頃 この日はものすごくお店も そしてイベントあり前日夜中遅くまで仕込みをして朝6時くらいからイベントに駆り出されておりました、その間にも芋の子会のイベントなどスタッフ総出で頑張った1日でした 仕事も終わり自宅戻りとにかくお腹が痛かった記憶だけがありました、レトルトのちゃんこと缶詰のちゃんこの話しが佳境に入り11月1日にはテレビの取材と東京より今回の契約の皆さんが盛岡にいらっしゃる約束の日でかなり緊張しておりましたが
夜布団に入り電気を消した瞬間突然酷い耳鳴りと息苦しさで何とも言えない状態になり一時、考えてとにかく救急車を嫁さんに頼んでくれとお願いしてやっと着替えて自分は自力で玄関まで出たのは覚えています、生まれて初めて自分の為に救急車がきてベットに乗せられて 救命士の皆さんに とにかく医大に連れて行って欲しいとお願いしました それからは記憶がポツリポツリですが救命士さんに息苦しいと言ったら大きく息をしてと言われたのと隣であの嫁さんが私の手を取り涙を流していたのが見えましたがそのあとは全く記憶が無く医大に着いたよ言われたのが最後でした、次に私が気がついたのはそれから10日後だった様です、その間本当に色々な夢を見ていた様に思います。
10日目に目を覚ました時もまだ幼稚園くらいの娘に お父ちゃんと言われて目が覚めた様に覚えています、目が覚めた時には口の中に大きな竹筒を咥えさせられ手足には全て何かされておりICUのような部屋に寝かされておりました、数日経って男性の看護師さんから後10分救急車の到着遅かったら
菅原さん命が無かったですよと言われ病院で処置の途中でゴミ袋に3袋くらい胸から水を吐いたと言われました、確かに倒れる数日前からものすごく水を飲んだ記憶がありました、レトルトのちゃんこを作りたいその一心から約4年ほぼ休み無しで、レトルトのために過ごして来た代償がこれでした、本当にICUのベットの上で竹の筒を口に刺されて死にたいとも思いました でも私が退院するのを信じて歯を食いしばって頑張ってくれている店のスタッフや私の入院の次の日に笑顔がほとんどなかった中で
必死にテレビのちゃんこの取材を受けた女将さん そして今まで比較的マイペースだった娘がこの時には必死に母親に寄り添う娘に変わってくれた様です、そして何より私が昏睡状態の時に東京から最後の打ち合わせに来て下さった皆さんが (とにかく親方が元気になるまでこのプロジェクトは待ちます)と仰っていただき私の体調を一番に考慮して頂き私の回復を一番に考えて下さいました、この話しを私が知ったのは役10日程してからでした その時には本当に涙が止まりませんでした、その時には
1日も早く此処を退院して自宅に そして店に戻るそれしか頭にはありませんでした 当初退院までは2ヶ月くらいかかるだろうと言われておりましたがそれから役半月で病院は退院にこぎつけました
でも それから役一月くらいは自宅で療養しながら遅れているレトルトの事やお店の事、私が出来ることは全てやりました、私がレトルトのちゃんこで目指した 普段なかなか各家族や忙しいお一人住まいの皆さんに保管が楽で比較的気軽にちゃんこを召し上がっていただき元気になってもらいたい
私が病気になってやはりこのレトルトちゃんこはたくさんの皆さんのお役に立てると確信しました
私のお店ちゃんこ太五郎がたえずお店の根底にある ちゃんこで皆様を元気に この気持ちのまさに
中心になる商品だと思います、この趣旨に賛同して下さった皆様からは本当にたくさんの励ましと
ご支援を賜りました、今回のクラウドファンディングは本日が最終日になりますがまだスタートしたばかりですこれからも皆様のお力をお借りして頑張って参りますのでどうぞお力添えよろしくお願い致します。
そしてこのレトルトのちゃんこと缶詰のちゃんこが本格的に販売が始まりお店に余力が出来たら必ず
今苦しんでいらっしゃる能登の皆さんにこのレトルトちゃんこを召し上がっていただきたいそれが私達の希望です 本当に残りわずかですがよろしくお願い致します。