皆様、あけましておめでとうございます。本年も頑張ってゲストハウス宮古島を営業していきたいと思いますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします!今年はついにリノベーション開始ですここまでご支援していただいた金額はなんと779,500円!もう感謝をお伝えする言葉も見つからないぐらいです!多くの方に頂いたご支援を大切に利用させてもらいますので、完成の日まで暖かくお見守りください。そして・・・クラウドファウンデーション終了まであと14日!ラストスパート、皆様のご支援やシェアよろしくお願いいたします!!シェア、ご支援はこちらのQRコードから出来ます。皆様にとって良い年になることを祈ってます!
最近、腰が痛くて朝立ち上がれないしゅうさんです・・・2020年2月、ヤツらは突如世界を襲った! ”COVID19”横浜のクルーズ船から発覚した未知のウィルスは瞬く間に世界に広がり、人々の日常をあっという間に奪い取ってしまった・・・そして世界中が都市封鎖、街から人影が消えた・・・これに関してはほんの少し前の事なのでいちいち解説は要らないでしょう。当然日本全国民が外出を自粛を余儀され、もちろん宮古島も医療崩壊の危機も近いとアナウンスされ、観光客はもちろん街行く人も姿を消した。「GWは宮古に来ないで」/観光客や出身者に訴え – 宮古毎日新聞社ホームページ -宮古島の最新ニュースが満載!-堅調に右肩上がりだったゲストハウス宮古島の売上も2020年の春~秋ごろには全くゲストは来ず、給付金や補助金などがなければ完全に倒産している位の苦境でした・・・来ない観光客を待っててもしょうがなく、この際手を付けれなかった場所の改装をしよう!と始めたのがキッチン、リビングルーム。共用スペースは休業しないと手を付けにくい場所なのでゲストがいない日々はちょうどよかった。2020年11月にはキッチンカーで本格ドネルケバブ店「エムズケバブ宮古島」を開業!地元のお客様メインでテイクアウトの風潮のこの時期にマッチし結構頑張れた。これがあったから生きていけたかな。もちろん今もやってますよ~♪2021年以降も繰り返す非常事態宣言などに苦しまされ、なかなか以前のようには回復しない。いったいいつまでこんなことが続くのかと不安のどん底でした。もちろん多くの方が同じ境遇に立たされていたのですが・・・そんなこんなで2023年春まで続いたコロナ騒動はついに終焉を迎えるのでした!そして今に至る・・・次回ゲストハウス宮古島ヒストリー最終回!アフターコロナ~です。ちなみに今日(12月30日)はしゅうさんの誕生日!59歳になりました!!来年は還暦年!あ~段々じじいになっていく~(汗)
ようやく風邪もおさまり、クリスマスで飲んだくれていたしゅうさんです!東日本大震災の影響も収まった2012~2015年ごろから宮古島は徐々に観光地として脚光を浴び始めました。きっかけはテレビで人気を博したこの番組2010~頃から始まった「紳助社長のプロデュース大作戦!」という番組の企画で芸能人が民宿の主人になりその姿を放映していくという内容。実際には番組のロケ地で実在はしない民宿だったのですが、多くの有名芸能人がロケのために宮古島にやって来てこの番組のファンの観光客が連日ここを見に訪れ、しまいには観光バスまで来るというバズり方をして宮古島の知名度が一気に広まりました!当時はテレビの威力はすごいな~と驚くばかり・・・2015年にはずーっと工事していた「伊良部大橋」がついに開通!海の上を走る全長3000mを超す長大な橋は一気に有名観光地になりました。さらに伊良部大橋の開通で車でアクセスできるようになった下地島空港が2019年に民間空港としての供用開始!写真の「17エンド」と呼ばれる下地島空港の滑走路北端の景色はビューポイントとしても有名になりました!宮古島で初の定期運航の国際線として「香港エキスプレス」が下地次空港に運航開始したのもこの年。運航後はゲストハウスにも一気に香港からのお客さんも増えたのを記憶しています。そして伊良部島の海岸線の景色が一変!オーシャンビューの土地が根こそぎ買い漁られ、バカスカと高級ホテルやコンドミニアムが経ち始めました!この道路沿いが高級リゾート街になる日も近い・・・このころから徐々に増え始めたクルーズ船の寄港も2019年ごろには年間300回にもなり、降りてくる乗客が観光地だけでなくスーパーや量販店などに殺到し、ごみのポイ捨て問題や地元民が落ち着いて買物できない等今もちょっとした問題になっています。地価500倍も 伊良部大橋開通でホテル急増 宮古島バブル(1) 〈熱島・沖縄経済〉1 - 琉球新報デジタルゲストハウス宮古島も2015年ぐらいを境に海外からのお客さんがかなり増えて、夏場はこれまでにないぐらいの満室状況が続く年が多くなってきた!写真のドミトリールーム(男女別の相部屋)もフル稼働でした。2014年には49歳にしてついに結婚!メグも42歳とお互い高齢での初婚という・・・先住犬のコタローが虹の橋を渡り、新しくコロがやってきたのが2015年♪やがて当時の行政による公共の建築物やホテルの乱立による建築価格、家賃の高騰、2010年ごろまでは40万人前後を推移していた入域観光客数が2019年には100万人を突破するなどで、島のインフラや受け入れ態勢が追い付かない「オーバーツーリズム」の現象が起こっています。このままどうなってしまうのか・・・戸惑いながらも日々やってくるお客さんをさばくのにいっぱいいっぱいの日々でついに史上最悪のアレがやってきます!続きは次回に~クラファン実施期間も残すところあと20日!最後までご支援よろしくお願いいたします!!!
少し間が空いて更新です。風邪をひいて咳が止まらない・・・病院で検査したらインフルではなかったが微熱もあるので療養してました。少しずつインバウンド客も増えてさぁこれからというタイミング2011年。あの日がやってきた・・・東日本大震災震災地から遠い宮古島は少し揺れたぐらいで被害はほぼなかったのですが、しばらくは津波警報が出されてました。そして地震後に襲い掛かってきたのは・・・「自粛ムード」TVがらははお笑いやバラエティー番組などが消え、ACのCMがひたすら流れるという異常な光景・・・https://youtu.be/dIf_Jh5Q6pI?si=b3STG2lnD5nBrRwM国民みんなが日本全国旅行に行ってる場合じゃない風潮に巻き込まれ宮古島も観光客が激減!もちろんうちも4月ぐらいまでは「やることないから」とやってくるある意味自由な(笑)カイトボードのお客さん(ありがたかった!)と、中止か議論されたがなんとか開催した4月のトライアスロンに出場する常連さんたちもやって来て何とかなりましたが。5月ごろを境にお客さんが激減!春の観光掻き入れ時のGWなんかすべてキャンセル!タチが悪かったのは福島原発の放射能問題で世界中に「日本は危険」というニュースが広がり、インバウンド客もしばらく姿を消しました。そんなこんなで客も来ず暇で輸入も減り、どうしようもないのでユニマットのホテルに客室清掃のバイト行ったり(これが結構ベッドメイクとかの勉強になった)、夏前はマンゴーの収穫のバイトに行ったりと何とかしのぎました!そして宿は暇に任せてまたまた改装!はなれ(自分の住居)の屋根の上にテラスを増築し(未だ活用されてないからもったいなかったな~)はなれに初めてスラブ打ち(型枠作ってコンクリート流し込む作業)で増築したり・・・カイトの仲間に手伝ってもらいながら母屋とはなれとの間にトタン屋根張ったり(14年たった現在すでに錆びて朽ち始めているが・・・)なんでもしまっせ~な改装を繰り返していたのでした!そんなこんなで夏が過ぎた頃に朗報が!「スカイマークエアライン、那覇⇔宮古線就航」しかも3800円と格安!バーゲンだと2800円になっていた!案の定就航から宮古に足を延ばす人が激増!うちにも多くの方が来てくれました、ありがたや~!しかし宮古に就航しているJAL、ANAも同じ値段に値下げして対抗、まさにスカイマークいじめ!そんなこんなで結局2015年にスカイマークが経営破綻し宮古線はなくなって、JALとANAは元の値段に戻ってしまいました・・・走行しながらも生きながらえ、ついに宮古バブルがやってくる!!続きは次回に~~頭丸めて出直しやっ!!
外出してたりなんやかんやでまた間が空いてしまった~~!ということで時を進めよう(サボり)これから増えるであろう外国人のお客さんを取り込むためにガイドブックやボチボチ出始めていた旅のレビューなども使いゲストハウスにも多くの外国人客が来てくれるようになりました♪このころから必死に英語を勉強し、何とか対応できるように頑張った!夜はみんなで宴会もしてヒヤリングも強化されたな~。まさに昔旅先で合った出会いの場所の宿が出来始めていった時期でした。この後も年々外国人のお客さんは増えていき、コロナ前の辺に至っては、夏場は日本語いらない状態でした!リフォームは相変わらず毎年あちこち続けていてバス、トイレを2部屋に増設したり樹脂製のデッキを貼ったり庭の芝を張り替えたりと終わる事のない改装が続きました!ちょうどこのころ、1代目のわんこ、コタローがうちで飼われ始めました!仔犬の頃のコタローとメグ愉快なスタッフたちもたくさん働いてました!!トライアスロンもちょうどこの時期に始めた。若いな~・・・そんなこんなで毎年ネタが尽きないゲストハウス宮古島ヒストリーはまだまだ続いていきます!!