外出してたりなんやかんやでまた間が空いてしまった~~!ということで時を進めよう(サボり)これから増えるであろう外国人のお客さんを取り込むためにガイドブックやボチボチ出始めていた旅のレビューなども使いゲストハウスにも多くの外国人客が来てくれるようになりました♪このころから必死に英語を勉強し、何とか対応できるように頑張った!夜はみんなで宴会もしてヒヤリングも強化されたな~。まさに昔旅先で合った出会いの場所の宿が出来始めていった時期でした。この後も年々外国人のお客さんは増えていき、コロナ前の辺に至っては、夏場は日本語いらない状態でした!リフォームは相変わらず毎年あちこち続けていてバス、トイレを2部屋に増設したり樹脂製のデッキを貼ったり庭の芝を張り替えたりと終わる事のない改装が続きました!ちょうどこのころ、1代目のわんこ、コタローがうちで飼われ始めました!仔犬の頃のコタローとメグ愉快なスタッフたちもたくさん働いてました!!トライアスロンもちょうどこの時期に始めた。若いな~・・・そんなこんなで毎年ネタが尽きないゲストハウス宮古島ヒストリーはまだまだ続いていきます!!
ついに支援額が50%を突破しました!!皆様のご支援本当にありがとうございます、感謝感激でございます!目標額が高い金額なので、なかなか達成はしないだろうなと思っていましたが、始まってみれば多くの方にご支援いただきました。あと一か月ちょいプロジェクト期間は続きますが最後までご支援よろしくお願いいたします。こちらからご支援、またはシェアしてください。よろしくお願いいたします!!今後の予定1/14プロジェクト終了1月中旬~ リフォーム開始 2部屋を拡張、バス、トイレ、テラス設置、1部屋拡張&テラス設置、水回り配管の更新、貯水タンクの設置4月上旬 工事終了予定(間に合うのか・・)
また日が空いてしまった!なかなか終わらないゲストハウス宮古島ヒストリー、2005~2006年ころから宮古島ではまだほとんど見なかったインバウンド(当時はこの言葉すらなかった)のお客さんを呼ぶために色々やってみた。まだスマホどころかネットでの検索もまだ普及してなかった時代、海外旅行の定番はこの「Ronely planet guide」という日本でいうところの「地球の歩き方」の世界版のような分厚い雑誌一つで世界中の人たちは海外旅行をしていた、今も持ってくる人いますが。この雑誌に掲載されたら一気に旅行者が殺到する絶大な威力!これに載せるためにうちではおなじみ、英語教師のティムさんに手伝ってもらい投稿をしてもらった。するとやはり、宮古島には全然いなかった外国人がちらほら来出し、うちにも止まってもらうことが多くなりました!他の宿泊施設はというと、ゲストハウスどころかリゾートホテルでもまだつたない英語のインフォメーションしか出来ておらず、このころから独学でかなり勉強し、少しは英語をしゃべれるようになったおかげで外国人観光客からはいい評判が付きはじめました!インバウンドを意識したのはこのころからではなく、実は宮古島に移住するずーっと前からの事。遡る事1992年、27歳にして初の海外旅行を世界一周という無謀な旅に出ました!当時働いていたスキー学校のイントラ仲間ともう一人は彼の友人でなんと、出発当日まであったことがないやつでした!旅行後は燃え尽きたの如く、サッパリ音信不通になってしまったけど元気にしてるかな~映っている外人さんはオージーのJoon、故郷のデンマークにシベリア鉄道乗って帰るところで出会い、デンマークでは彼の家に泊めてもらった!世界一周と言ってもメインはヨーロッパ各国巡り、どうせ行くならと乗り鉄魂炸裂でシベリア鉄道、極東のウラジオストック~モスクワを7泊8日で結ぶ特急に乗ってヨーロッパまで行きました!ロシア(前の年までソ連だった!)のウラジオストックまでも、当時起横浜港から出ていた客船「ロシア号」というのに乗り3泊4日の船旅。モスクワから北欧にわたりドイツ~オーストリー~イタリア~トルコ~フランス~イギリス、そして大陸を渡りアメリカと4か月間バックパックで旅をした!一応旅行経路を載せてみた!ま~この話しだすと超長くなるのでまたの機会にということですが、この度で出会ったのは各国のユースホステルや安宿で出会ったいろんな国から来た旅行者たち。当時はほとんど英語もしゃべれなかったが、何とかコミュニケーションを取り、一緒に飲みに行ったり、あちこち回ったり・・・見ての通り、デジカメもなくアナログな写真、電子メールもなく手紙でやり取りするい時代。もう彼らに会う手段もないですがこういった出会いが多くある宿泊施設をやりたいな~と心の中に小さく芽生えた体験でした。だいぶ脱線してしまった、きょうはここまで~!ご支援、シェアを引き続きよろしくで~す!
ゲストハウス宮古島を始めて3年目の2004年、ずっと賃貸だった宿の建物をを買い取ることしました。開業当初は商売をやっていける根拠もなく、ダメなら大阪に戻ればいいわ~ぐらいに考えて気楽に始めたのですが・・・3年やってそこそこお客さん来るし、商売のやり方も少しずつ覚えてきたので本腰を入れて始めることにした。賃貸だった物件は大幅に改装する事は出来なかったので、購入してからはかなり大掛かりなリフォームを毎年繰り返しました。現在も当時リフォームした内装のままの客室やバスルーム。雑な造りのまま。もう20年経ったのか・・・といっても建築の仕事なんか一切したことないし、今みたいに検索してすぐにやり方を探せる時代でもない。島の建築の仕事してる友人に色々聞きながら内装にブロック積み、配管に左官、もう何でもやった!やっていくうちに上手になっていくもので、最初はめちゃ下手くそな工事だったのも繰り返しやってるうちに上手くなるものですね。前年に台風でエライことになったからとにかく外装はコンクリートとアルミサッシを使う事だけは絶対に決めてました。その後も2003年ほどではないが、宮古島はさすが「台風銀座」と呼ばれているだけあって、大きい台風は毎年のようにやって来てその度自然の脅威を思い知らされてます。いつも「台風さえなきゃいい島なのにな~」と思いながら暮らしてました。ちょうどこのころからカイトボードも本格的に始め、いまも事業の一つである「カイトボードショップ エムエアー」はこのころに立ち上げました。懐かしい道具やな~宿はというと相変わらず連日の宴会!このころから名物のスタッフやゲスト、長期滞在者などが多くいて毎日飽きることなく事件が起こり続けてました(笑)懐かしい顔ぶれがいっぱい!このまま宮古島に居ついた人も多数でした。今日はここまで~クラウドファウンデーション終了まであと一か月余り・・・まだまだ皆様のご支援お待ちしています、シェアもよろしくです!!
こんにちは、しゅうさんです。開業して2年が経ち、お客さんもそこそこに来てこれから本格的にやっていこうかと考えていた2003の9月、忘れもしない大事件が・・・9/10~12の2昼夜、宮古島を暴風域に巻き込んだ台風第14号(マエミー)平成15年台風第14号 - Wikipedia勢力は915hpaに発達した超大型で猛烈な台風は宮古島近海で速度を緩め、丸々2日間宮古島を暴風雨に巻き込み、最大瞬間風速は74.1ⅿにも達した!9/10の夕方頃に停電が始まりゲストハウスでは5日間停電が続いた。被害の大きい地域では2週間復旧しなかったところもある・・・最盛期に近づくにつれて暴風が建物に吹き付け、窓を覆っていた木製の雨戸はほとんど吹っ飛び、風で窓が破られるのも時間の問題かと思った・・・しかもちょうどシルバーウィークで宿は満室、たくさんのお客さんと停電でろうそくの灯りだけの真っ暗なゲストハウスの中でおびえながら酒盛りをしていました(笑)台風が去った後の被害状況の記事を見ると本当に威力はすごくて、実際多くの家屋や、頑丈なガラスを入れているホテルの窓が破壊され、最強に強い2重ガラスで覆われた宮古空港の管制塔の窓ガラスさえも吹き飛ばされた!台風が過ぎた13日の朝から周りの様子を見に外出するも行く場所行く場所で目にする光景は、この世の物とは思えない破壊されつくした街の景色・・・建物の屋根は飛ばされ、街路樹どころかものすごい本数の電柱までもが根こそぎ倒壊、西平安名崎の風車も5本倒れ、車はおもちゃの様にあちこちに飛ばされて散乱、木の上にひっ掛かっている車まであった・・・港では係留中どころか上架された船までぐちゃぐちゃに倒れ、沈没し地獄絵図そのものです。もちろんゲストハウスも被害が多大にあり、離れの駐車小屋の間口に扉を作ってスタッフルームとして寝泊まりしていた部屋の扉は飛ばされ、中はドロドロに水没!母屋も窓のサッシの隙間からものすごい量の雨水が浸水し大変なことになりました。車もワゴン車が冠水してどこが道路で畑か見境が付かない場所で溝に突っ込み故障するしもう大変・・・自分は阪神淡路大震災の時にちょうど神戸に住んでたのですが、その時の大被害に次ぐ衝撃です!しかし人生で2回も大災害に合うか~このあとちょっとこの島に住んでいく自信がなくなりました。毎年来る台風、「台風銀座」と呼ばれている宮古島は強い勢力の物も珍しくないし。この台風が去ってしばらくの間はへこみながら後片付けをしました・・・まあ何が一番ショックだったかというと、この年、台風が去った2日後の9/15、我が阪神タイガースが18年ぶりの優勝を決めたのに停電で胴上げの瞬間が見れなかった事かなww次回、借りていた家を買い取り、ついに本格的にリノベーション開始!ヒストリーはまだまだ続く・・・