
こんにちは。これまで90名の方々からのご支援をいただいております!応援、そしてご支援していただき、本当にありがとうございます。
本日は、中川登三男さんからの応援メッセージをご紹介します!
私が「シュタイナー教育」と出会ったのは、1980年、宮城教育大の寮で先輩から勧められた「ミュンヘンの小学生」でした。著者の子安美智子さんの早稲田大の研究室を訪ね、仙台に「シュタイナー教育研究会」を呼びかけました。
その後、青森に帰り、仙台の会には、時々、参加させていただき、1981年だったと思いますが、シュットットガルトのオイリュトミー公演、ギーレルトさんの宮教大での講演、ワークショップにも参加させていただきました。
その後は1984年に起きた六ヶ所村の「核燃料サイクル」の反対運動への関わりの中でシュタイナーからの距離は遠くなりましたが、鳥山敏子さんの「賢治の学校」関連の岩手でのワークショップや「ひと塾」での学びは細々とですが続けてました。
1995年から、十和田市出身の増渕さんからの提案で、十和田市で夏の「シュタイナー体験講座」がはじまり、音楽療法の竹田喜代子さん、オイリュトミーの越中奉さん、シュタイナー学校の担任を始められた増渕さんに来ていただき、十和田市のたかもり山の「授業研究センター」の宿泊施設を使い、朝のコーラス、子どもたちの体験授業、オイリュトミー、大人のためのシュタイナーの基礎講座、体験授業、オイリュトミー、それにスタッフの美味しい手料理、必ず夜のビールも付き、最後の夜のバーベキューもありという、ゆっくりとした学びの会でした。
途中で会場は、たかもり山から「カワヨ牧場」の宿泊施設に代わり、講師の交代もありましたが14年間、続けられました。
体験講座終了後も十和田の会のスタッフであった高松さんの土曜学校やフォルメンの定期的な学びは続き、冬のアドベントのりんごロウソクのイベントも始まり、夏のお泊まり会も再開されています。 思い出話を書かせていただきましたが、この間、学校を創るという、困難な事は個人として考えた人はあったのかもしれませんが、きちんと話し合った事はなかったような気がしていますし、私の中にはありませんでした。
今、「日本のシュタイナー学校が始まった日」を読み返しています。
1987年に「東京シュタイナーシューレ」ができ、2017年30周年でこの本が出来、その5月にあとがきを書いた
子安美知子さんが7月に、向こうの世界に旅立ちました。
この本に寄稿されている52人の方の文章を読ませていただき、学校を創る、創り続ける難しさと、それを乗り越えてきた熱とを感じています。
「おひさまの丘」が、できるきっかけになった、3.11の後に被災地の子どもたちへの、シュタイナー学校の教師達の働きかけの話を聴かせていただいたり、オイリュトミーや言語造形のワークの後に、学園に泊めていただいたり、朝の会に参加させていただき、シュタイナーの思想を体験できる場が、この東北の地にある事のありがたさを感じています。
青森に住んでいる身で、学園のためにできる事は少ないのですが、この学びの場が創り続けられるように経済的に支援させていただきます。
「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、すべての物がつながっていて、すべての事に意味があると、お一人おひとりが自由に生きれる場が続けられるように、皆さんのご支援もよろしくお願い致します。
「おひさまの丘宮城シュタイナー学園」の勝手な応援団
中川登三男




