今日も16日に学ばせていただいた公開研究会での学びを共有します。
昨日、記述した中学2年の図形の授業も素晴らしかったですが、高校2年の指数関数の授業も非常にチャレンジングな取り組みであり、魅力的な授業でした。
そこでは
1.「現象の記述・数式化」という数学の応用的側面の面白さ
2.複雑な現象に対しても思考を放棄せず、楽しみながら探究する生徒の姿
を学ばせていただきました。
授業はいきなり黒板に「0分 93.5℃」と書かれるところから始まります。教師が「0分 93.5℃」と板書し、「やることは決まっています。45分後の温度を求めてください」とだけ発言します。
それに対して、生徒からは「何分ごとに測っていますか?」など質問が自然と自由に出てきます(これも素晴らしいと感じました。自由に疑問を尋ねてよい空間を感じました)。
生徒にはマス目の書かれたプリントと白紙の紙が教師から渡されます。
「グラフかくの?」「好きなことやって(温度を求めて)いいんでしょ。」など、各々が自由に考えます。
板書はどんどん書き足され、「1分後91.8℃」「2分後89.6℃」「3分後87.7℃」・・とどんどんデータが書き足されていきます。
生徒たちは「ここから(温度変化が)ゆるやか」「だって4分から6分で2.9℃(しか下がってない)でしょ」など、必死に得られたデータを基に検討しています。
教師が「10分76.9℃」まで書いたところで、「ここらへんでやめようかな」とデータの記録は終わります。
生徒は縦軸を温度、横軸を経過時間としたグラフをかいたり、縦軸を1分前との温度差、横軸を経過した時間としてデータをグラフに書き込んでいます。
ここである生徒が指名され、前に出てグラフを書き、自分の考えを説明します。その考えの説明の際にも、他の積で座っている生徒から(水温の部分に対して)「室温との差に注目して(だよ)」など、支援する発言が自由に出てきます。それらの発言も取り込み、「水温が下がると、気温との差が小さくなり変化しにくくなる」と自分の考えを言語化し、板書しました。
ここからどのように検討を進めるかが曖昧になりそうになると、教師が「どんなコンセプトで、何を調べているのか書いてください」と方向を検討するような指示が出て、1℃ごとの温度の差をグラフに書くなど考えの方針が生成されていきます。
このようにある生徒が前に出て自分の考えを述べ、それを他の生徒が適宜指摘により修正したり、変更したりし、必要に応じて教師が方向を修正したり、整理したりと全体で探究が進んでいく授業でした。
しかし、実は全体の探究の流れがありつつも、各々でも探究を進めているグループや個人はおり、ここでも「ゆるい共有」が見られ、個人の関心に基づく探究が大事にされているのを感じました。
ちなみに授業は、ケトルの温度変化という現象を、数式も含めて言葉で説明することを目指す挑戦的な授業でした。やはり以前の川崎市の研究会の感想でも書きましたが、実験データを基に予想する探究に生徒は熱中しており、現象を捉えること、45分時点での温度の予想をするということに向かって、この良い意味で整理されていない問いを考えるという探究を行っていました。
45分後の時点での温度は53.0℃であり、これを教師が発表した際は「おー」という声も上がり、盛り上がりがありました。
私が驚いたのは、構造化されていない問いであっても、生徒は当たり前のように自分なりの観点を持ち、それを検討していた点です。これは一朝一夕でできるものではなく、これまでのこの授業者の授業の蓄積、そしてそこで整理されていないデータであっても、自分たちなりに考察する力をつけてきた生徒の姿を見ることができました。
今日の学校では、複雑な問題や情報にぶつかると「わからない」と考えるのをやめ、あきらめてしまう生徒も多いのではないかと思います。しかし、ここで見た生徒は問題の複雑さなどお構いなしに、自分なりのどんどんと考えを進めていける生徒でした。
ちなみに、やはり実験や現象を捉えることには魅力があります。しかし、あまりに作られ、整理されたデータでは、生徒は探究を出来レースのように感じ面白く感じないでしょう。今回の授業や以前の川崎市の授業のように実際に測定し、データを取り、検討する、そんな取り組みに、生徒が楽しみつつ、探究する姿を見ることができました。
このような取り組みは1回の授業だけで行っても、複雑な情報に楽しく向かう生徒の姿は出てこないでしょう。今回の授業は、複雑な問題や現象にものおじすることなく向かっていく本来、生徒皆が持っている可能性をあらためて感じさせる授業でした。