日本と台湾産コーヒーの関わりは古く、日本が台湾統治を始めた大正時代、なんと天皇への献上品として栽培されたことに始まります。日本が台湾を統治していた歴史を知らない若者が多くなった今、その歴史と共に結構驚いてしまいますよね。
その当時、台湾はアジアで最大のコーヒーの産地だったそうです。気候や土壌に恵まれており品質の良いアラビカ種のコーヒーを生産できたのが理由です。
明治維新以降、コーヒーを、文化開花を匂わせてくれる飲み物として受け入れ始めていた日本は、台湾を統治しコーヒーの生産基地を得ました。日本軍は台湾各地でコーヒーに適した気候や土壌を探し、台湾各地で生産を始めました。
台湾で生産されたコーヒー豆は1907年に東京で開かれた勧業博覧会や、1915年の大正天皇の即位式で献上され、高評価を受けました。また1935年にイギリスへ輸出され、その品質の高さと香り高いまろやかな味わいはイギリスの政府関係者の間でも絶賛され評判となりました。
しかし太平洋戦争が勃発すると食糧の需要が増え、コーヒー農園の多くは作物栽培へと移り変わり台湾コーヒー産業の勢いは下火となりました。
そして戦後、ブラジルやコロンビア等の中南米の国家による大規模生産かつ機械化により、安価なコーヒーが世界に出回ることになりました。生産量が少ないため価格の競争力がない台湾コーヒーは没落の一途をたどり、代わってビンランの栽培が盛んになりました。
ところが1999年9月21日、台湾で大地震が発生し、台湾の特産物であったビンランは土石流により流されてしましました。その後の研究により、土石流を引き起こした原因となったのもそのビンランであることが分かりました。
そうした訳で台湾政府は、土石流の発生を防ぎ、更に経済価値が期待できるコーヒーの栽培を推奨し始めたそうです。その為、台湾のコーヒー農園に訪問すると、今でもコーヒーの木とビンランの木が同じ土地の中に生えているのが確認できます。
最近では台湾政府が益々コーヒーの栽培を推奨していて段々と生産量が増えてきています。
問題は生産量が増えてもまだまだ価格が高いと考える方が多く台湾から豆を購入する業者が少ないということです。
まだまだ生産量が少ないから購入しないという状況が続くと農園の経営も厳しくなり衰退していってしまう可能性もあります。
僕はこんなにも美味しい台湾産コーヒーがこのまま高いからといって埋もれていってしまい、一部の方しか知らないというのはもったいないと感じております。
台湾産コーヒーはアフリカ産や南米産等の国同様に普段から飲めるコーヒーにできたらと思っております。日常的に飲むことが難しくてもコナコーヒーのようにちょっとした贅沢という気持ちで飲めるコーヒーになればと願って活動を続けております。