初めまして、こんにちは。左腕神経叢麻痺(左腕全体の麻痺)、パラアルペンスキーヤーの小池岳太です。
現在42歳で、次回の2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会に向けて人生のすべてをかけて全力で挑戦を続けています。
私の夢は、パラリンピックでメダルを獲得することです。これまでの道のりは決して簡単ではありませんでしたが、今が最も成長を実感しています。昨シーズン終了時点の種目別世界ランキングがスーパー大回転11位(自己最高位)にランクインし、世界の若手選手達と互角に戦える手応えを得ています。
2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会に向けて、選考が始まる今季が非常に重要で、好結果を出さないと実質引退を余儀無くされる状況です。
しかし、資金難に陥り、選考対象レースとなるワールドカップに出場できない状態です。この苦境を乗り越えるため、必死にスポンサーを探していますが、現状活動費捻出には至っていません。
そこで、最後の手段として、皆さまのお力をお借りするしかないと思うにあたり、クラウドファンディングを立ち上げることとしました。
私の最後の挑戦であり、かつ最大のチャンスとなる今季のワールドカップ参戦の機会を、ぜひ皆さまのお力をお貸りし、出場させていただけないでしょうか。必ず良い結果でお返しをしていく覚悟です。
本件について背景や資金繰りの詳細について書かせていただきました。
何卒、お力添えのほど、よろしくお願いいたします。
2026ミラノ・コルティナダンペッツォ大会に向けた背景
選考期間開始となる今季2024/2025シーズンは、ワールドカップに多く出場し、日本の国枠数を増やすことに貢献すること。同時に、自身の国際ランキングを向上させること。さらには国内選考に向けてワールドカップ6位以内入賞が必要となると考えています。
ワールドカップは、毎年12月から3月まで開催されるため、日本国内の降雪を待つことなく、夏季期間の雪上練習、または秋の10-11月には雪上練習を開始しなければ実質戦えません。
私が注力している高速系種目は、国内外含めて練習環境が確保しにくい状況のため、例年12月の試合でぶっつけ本番で臨んでいた状況でした。用具テストも試合で行っていましたが、やはり、通用しない現実がありました。
この状況を変えるべく、この夏は9-10月にチリ遠征を組み、他国の合宿に単独で混ざる形で高速系種目の練習機会を作ってきましたが、この合宿を持って資金が底をつき、肝心のシーズン中の大会に出場できない状況となりました。
秋までに自身でスポンサー獲得できると信じて行動していましたが、厳しい現実に直面しています。
2024年9月チリ遠征 費用削減で4畳半に男3名の同部屋の様子
また、パラアルペンスキー特有のルールである障害を加味したハンディタイムで争うルール上、大会コースによって上位に入る障害クラスが分かれる傾向にあることから、複数会場(特に難コース)での試合に出場していくことが、ポイント獲得の戦略上必要となってくる背景があります。
つまり、2024/2025シーズンのワールドカップが2026ミラノ大会に向けた私のラストチャンスの機会であり、そのためには1試合でも多く出場することが私に必要な選択となります。
※2024/2025シーズンのワールドカップ、全10会場、31レース開催予定のうち、7会場19試合に出場必須と考えています。
資金繰りの背景について
現在自己負担での活動を行っている中、ミラノまでの残り2年間で約1000万円は必要になる計算でいます。
2023/2024シーズンはチーム予算を一部当てはめていただきましたが、活動費は650万円発生しました。しかし、所属企業や現スポンサー様のサポート、自身の貯蓄やローンを活用して、何とか費用を捻出してきました。2024/2025シーズンは、削減しても約600万円の資金が必要と見込んで春以降活動しています。
・2023/2024シーズン650万円内訳概算表
現在、所属企業、スポンサー企業様のサポートにより、300万円は自己確保し、ここまで順調に合宿を組んできましたが、春のアメリカ遠征(ポイント獲得に必須)、夏のチリ遠征(練習)、国内活動で終了し肝心のワールドカップへの参加費用として必要な、残り300万円が確保できていない現状です。
2024年春以降、個人的に企業スポンサーを募るため、数十社に支援をお願いし、また講演活動の講師費用で補うつもりでしたが、現時点では活動資金確保には至っていない状況です。
12月からのワールドカップに出場していくために、最終練習を含めて11月から1月まで欧州遠征すること。その後2月の世界選手権、3月のワールドカップ後半戦に出場していくことが必要と考えています。
・2024/9/3-10/3 チリ遠征費用実例(※遠征1回の費用内訳をご確認ください)
一つ目は、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季パラリンピックに出場し、メダル獲得を果たす42歳という年齢での挑戦を皆様にリアルに感じていただくことです。
一般的にはアスリートとして引退をする時期ですが、私は現在が最も強い状態といえます。その理由は、ようやく私に合う体の強化方法やケアの方法、そして目指すべき技術の方針が理解できてきたからです。
これまで多くの負傷や3年以上のリハビリ期間などがありましたが、過去も、そしてこれからも厳しい現実に対して諦めることなくしぶとく実行していく姿勢が、一人でも多くの同年代の方々や、困難に直面している皆さま、さらには麻痺障害で日々痺れの痛みに苦しむ同じ境遇の方々にとって、勇気をもって生きていくきっかけとなることを願っています。
二つ目は、50回の講演活動を目標に掲げ、小中学校、高校、企業、そしてさまざまな団体を訪問し、社会貢献を果たしたいと考えており、この考えに共感いただきたいことです。
未来を担う次世代の若者から大人まで、私が22年間の挑戦を通じて学んだ「自分の可能性を信じて行動することの大切さ」をお伝えし、「タフに生きるコツ」や、さらに「障がい者サポート対応アドバイス、世界と日本の障がい者対応の差」を共有したいと思っています。このメッセージが、困難に立ち向かうためのモチベーションの向上や、障がい者を含む共生社会の実現に向けた一助となることを願っています。
現在、横浜市教育委員会との相談を経て、すでに3校の小学校での講演が決定しました。2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会以降も継続していくつもりです。私の挑戦が、多くの方々の心に響き、一緒に社会をより良い方向へ進めていく力となることを心から願っています。
若手後輩選手達の道標となりたいことです。
最後に、もう一つの狙いとして、これからの日本のパラアルペンスキー界を担う、全て単独で進めるにあたり、海外チームと交渉し練習環境を確保していく方法や国際試合への移動、大会出場の事務手続き、そして、今回のように資金繰りを自己責任で進めていき開拓して強化に繋げる姿を、先駆者として示し、残したい思いがあります。
目標に向けて現在取り組んでいることの3つです。
(1):技術の方針
(2):世界に通用する身体作り
(3):滑走量の増加
(1)技術の方針~技術的な戦略
現在、代表活動に参加できない状況にある中で、自ら練習環境を整えながら、世界の潮流を理解する努力をしています。その一環として、経験豊富なコーチから個別に指導を仰ぐことにも努めています。こうした取り組みによって、グローバルな視点を取り入れ、技術の向上に励んでいます。
(2)世界に通用する身体作り~フィジカル面の強化
アルペンスキーの高速系種目(スーパー大回転、滑降)は、時速100kmを軽く超え、ターン時には、体重の2倍から3倍の外力が発生し、強烈な外力に耐え続けるため、強靭な全身の筋力と正確な体の使い方が求められ、一瞬のミスが大怪我につながる危険な競技です。
この厳しい現実に対処するために、経験豊富なトレーナーにより個別にメニューを作成してもらい、怪我予防をベースとした私に必要なウェイトトレーニングを行っています。
さらに、週末には野沢温泉村拠点のSnow Busters Team(富井正一コーチ)で、健常者選手たちの強度の高い練習に参加することで強化を図っています。
(3)滑走量の増加~滑走量による自動化
一般的に、体が無意識で反応するまでの練習時間は1つの動作につき10万時間、つまりアルペンスキーでは1万ターンを繰り返すことで身につくと言われています。
この点において、私の過去22年間の活動のうち5大会冬季パラリンピックなどの難コースを滑ってきた経験、滑走量は得難い貴重な財産となっています。
さらに、私に合うスキー理論に辿り着いた現在は、技術的な迷いはなく自動化に向けて時間を短縮できると感じています。
夏季のチリ遠征での滑り込みでは他国トップ選手とのタイム差から非常に手応えを感じ、残り11月、12月の継続した雪上練習から更なる成長が可能であると確信しています。
経験と学びを活かし、これからも進化し続けることを目指しています。
片手ゴールキーパーでのチャレンジ
大学1年秋のオートバイク事故後、ゴールキーパー(以下:GK)としての夢(Jリーガーを目指す)は絶たれたものの、半年の入院を経た後も日本体育大学サッカー部に所属し続け、大学2年時より復帰しました。夏はサッカー、冬はアルペンスキーの二刀流で活動した3年間でした。
当時8軍あったうち、復帰後は当然最下部のチームでの活動でしたが、当初、片手でGKをし始める私に、多くの部員は同情と心配からか、強いシュートを打ってくれませんでした。(当然ですよね、、さらに怪我されても困ってしまいますものね)
でも、これがもの凄く悔しく、何としても一緒に活動したい、通用したいとの思いから、必死に片手キャッチングの練習や、ステップ動作の改良に取り組みました。
やがて、コツを掴んで、キャッチングはサイドステップを工夫し、体全体で正面でボールを掴むことやパンチング技術の向上などで対処しました。
また試合形式練習では、DFと「守備範囲弱い麻痺の左腕側はカバーしてほしい、その代わり右側は開けて大丈夫、死守するから」という連携プレーに協力してもらった結果、練習試合に出場できるようになってきました。
その頃には、強烈なシュートが遠慮なく飛んで来るようになり、他のGK同様に、雨の日には泥まみれで目と歯だけが白い状態となれたことが喜びに変わっていました。
その後、大学内での8軍間の対抗戦で運良く好セーブを連発でき2位となり、ベストGK賞をいただいたこと、大学4年次の準公式戦で日体大サッカー部ユニフォームを着用し、後半10分間だけ試合に出場できたことは大きな成功体験となりました。
簡単に物事を諦めないこと、本気で行動すれば周囲が協力的になってくれることを、大学サッカーで学ぶことができ、その後の私の不屈の精神力に繋がった経験でした。
当時のチームメンバー達、特に根気強く基礎練習に付き合ってくれたGKメンバー達に、心から感謝しています。
大怪我を繰り返すも必ず復帰し最前線で挑戦続けてきたこと
現在までの22年間のアルペンスキー人生は、怪我との戦いでもありました。
練習や試合には常に全力で挑みますが、その情熱が時には限界を超え、結果的に怪我を繰り返してしまうこともありました。そんな自分が情けなく、深く落ち込む日々もありましたが、パラアルペンチームスタッフ初め、医療従事者やコーチ、そして支えてくださる皆様の存在に救われ、諦めずに完全復帰することができました。
しかし、結局は私自身が諦めずに本気で挑戦を続けるからこそ、周囲の皆様が助けてくれてきたと思います。私の原動力は、「このまま負けっぱなしで終われない」というハングリー精神です。
諦めるのは簡単ですが、自分の可能性をまだまだ信じているからこそ、歯を食いしばって、都度困難を乗り越え、現在の自分史上最高の世界ランキングに繋がっていると考えてます。
アルペンスキーを始めた直後の大学3年から10年間、konaスポーツ鍼灸接骨院・鳥居明先生にはトレーナー兼鍼灸治療にて大変お世話になりました。選手としての取り組み方や生活面に至るまで、幅広くご指導いただき、心から感謝しています。
2010年のバンクーバーパラリンピックでのチーム帯同をきっかけに、長野県内での練習や治療の際に大変お世話になっています。
その他にも上田市菅平高原/和田鍼灸接骨院の和田先生、ユナイテッド治療院/市原祐之先生、横浜市港北区/竹虎接骨院の牧野先生、佐藤先生、Teate/大塚佳正先生にも大変お世話になっています。
今後も、スペシャリストの皆さまのお力をお借りし、練習強化、コンディション維持しながら世界に挑んでいきます。
今後のスケジュールは以下のとおりです。
何としても11月中旬から再び雪上練習始め、12月からの試合に出場していく覚悟で予定を組んでいます。
22年間にわたるパラアルペンスキー人生で、今が最も大きな成長を遂げている瞬間です。世界のトップに挑戦するチャンスがある今の私に、どうかチャンスをください!!!!
私は、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会に出場し、メダル獲得を本気で目指しています。
多くのスペシャリストの皆様にサポートいただいてきたお陰様で、自分史上最も目標に近づいていると確信しています。
どうか、私の歩みに対し、皆様のお力を貸してください。必ず良い報告をし、感謝の気持ちをお伝えします。どうぞ、ご検討のほど、よろしくお願いいたします。
2024年11月1日
小池岳太
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