夢のお話し 2 【養生料理高の と言う作品なんです】【創作しています】こんにちは 短くお話しますと1970.03.19に生まれた54歳 魚座養生料理を志すまで母と父は、半島から渡って来たおじいちゃんおばあちゃんから日本で産まれ 26歳と23歳でお見合い30分で結婚 子供が出来にくい両親から750gで産まれる 一度で食べられるくらいのステーキサイズ 母と父は、すぐに帰化して日本人の文化をあんまり知らないのに 頑張って頑張って教育するのです 花道の准教授を取得したり 茶道をまなんだり 、着物の着付けを修得、陶芸、絵画の知識家庭での料理は、全て和食 知らないのに何故か私は、18から飲食店に勤めます最初は、とんかつ屋 次に天ぷら屋さん そして寿司屋 だんだんと 他の家との違いが感じ初めてだんだんと母の苦労、大変さがが分かる様になっていきます 他の人と違い日本文化が当たり前では、なく 羨ましく見える 目を持つ事ができましたかなり端折ります若さ故に なかなか 志しは、育ちませんあるお寿司屋さんで修行させていただきましたやっとその時 必ず寿司屋になろうと決心いたしました その時の親方のかっこいいのなんのって作り込まない感じ味を付けるのでは、なく 活かす感じふわっと両手を開いてふわっと盛り付ける自然な感じの素晴らしい事手品見たい まさしく手作りで、僕は、地元にお店を出します3年ぐらいですぐに潰します沢山の人にご迷惑をおかけいたしましたすいませんでした 僕は、経営者では、無いので潰れた理由は、色々ありますが 色々甘かったですね和食BAR と言うかたちで開店いたしましたが作品としてあまり面白くない お客様を魔法にかけれてませんでしたね まあしょうがないこの経験は、後々活かしますそして 夜逃げ 関係者の方々すいませんでしたまあ 色々あって ある時 ある恩人に出会います。 その方のお陰で 僕は、担々麺、麻婆豆腐 専門店の店長になれるのですその方に恩を返したくて 担々麺、麻婆豆腐を毎日、毎日、バラバラにして、組み立てて、バラバラにして組み立てて 利益を生む努力をしていましたら 胡麻の魅力にとりつかれ 担々麺を和食にしたら どーなるの? と頭の中が楽しい楽しい と 産まれたのが 亀戸養生料理高の 名代護摩蕎麦 (胡麻蕎麦) ですだんだんと そして 東京下町亀戸の団地の下に小さな蕎麦屋を開店しました【人生と言う作品】題名 養生料理風が吹いたら 桶屋が儲かる と言う日本のお話があります 僕は、いつも 傾きを感じろ 風を探せ、違和感を無くせ と胸に思い作品づくりをしますgomasoba は、身体に徳をする料理ですその幹が100%蕎麦です。日本の蕎麦 50% Татарська соба50%合わせて100%の蕎麦です料理としては、凄いです科学的な根拠もありますただ 儲からない、流行らない、ただ 楽しい と言う今ですただ 分かる人は、いる!今もいる!と言う事は、探す、見せるそして フランスマルセイユ、ヨーロッパで養生料理高の を披露しますフランスマルセイユ、ヨーロッパに蕎麦粉で麺料理の提案 手打ち蕎麦を至高品にする養生料理高の gomasoba を至高品にしちゃえ風を吹かしてやれ と言う事です風が吹いたら 手打ち蕎麦職人を目指す人が増えヨーロッパ中に新しい グルテンフリーの料理の芽が出て 日本の職人文化が見直されて 色々な職人を目指す子供、若者、次の世代が増えてまあ、僕は、手作りが好きだけど 日本の製麺機が売れたりして 日本から文化交流でフランスに行きたい人達の道導になったり細いか弱い道だけど 誰かの夢になれたらいいなあそして takano って言う料理がヨーロッパにあったら面白いなあ ワクワクするよそんな風が吹いたら 桶屋が儲かる次回は、天下の泣く子も黙る 高の女将登場皆様 次の世代に繋ぐ夢 お力添えよろしくお願い申し上げます




