かつて京都は「日本のハリウッド」とまで呼ばれた映画のまちでした。今では太秦に松竹と東映の二つの撮影所が残るのみですが、往時は10数ヵ所の撮影所がありました。しかし、数多くつくられた戦前の映画フィルムのほとんどが散逸し、映画に携わった人々の資料類も失われています。
そこで、太秦を中心に、東映、松竹、嵐電やJR西日本が連携して、サイトが作られています。「ニッポン・シネマレトロ・キョウト」https://cinema-retro.kyoto/
当館も参加し、冒頭の動画や「元祖チャンバラアーカイブ」ーチャンバラを作った8人の大スター(尾上松之助、坂東妻三郎、月形龍之介、大河内傅次郎、市川右太衛門、長谷川一夫、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎)の動画提供で協力しています。かつて剣戟映画全盛期だった頃の映像です。
都筑輝孝さんが遺した資料展
壬生での最後のイベント、2024年12月28日まで開催の展示は、元大映京都のスチールマンだった故・都筑輝孝さん(1914ー2024)から寄贈頂いた映画資料展です。
都筑さん(左)と大スター長谷川一夫 1956年頃▼当館チラシ▼都築さんの出世作となった『怪談雪女郎』(田中徳三監督、1968年)
戦後大映の全盛期、数々の名作・傑作の照明スタッフとして活躍した都筑さんが関わった作品には、『大魔神』『悪名』『座頭市』『眠狂四郎』シリーズなどが挙げられます。その後スチールマンとして活躍されますが、やがて映画界衰退の時期に遭遇し、遂に大映は1971年に倒産します。『羅生門』(1950年)、『雨月物語』(1953年)、日本初の70㎜映画『釈迦』(1961年)などを作った大映京都撮影所の解体と共に機材類や資料類が無残にも打ち捨てられました。その折の特撮マット原画や撮影機は心ある人々によって一部が救出され、今は当館でも保存しています。
倒産時に廃棄された特撮原画やB&Hカメラを散逸から救った
けれども、日本映画が世界の檜舞台でグランプリに輝き、敗戦で打ちひしがれている日本人を元気づけた『羅生門』(1950年)の記念品も散逸の憂き目に遭います。賞状やトロフィー、オスカー像のレプリカは残ったのですが、台座は打ち捨てられました。それが造園業者の敷地に捨ててあるのを見つけた都筑さんは京都文化博物館にも声をかけたのですが、重すぎて「置く場所がない」と言われ、撮影所跡地にできた太秦中学校の校長先生に頼み込み、下掲写真の“グランプリ広場”ができました。このことは都筑輝孝さんのご尽力の賜物です。
グランプリ広場
太秦中学校の表、大映京都撮影所の正門があった跡地に『羅生門』のトロフィーやオスカー像のレプリカが展示されています。