小川鉄平さんのこと。
今年の2月、初めて日之影の竹細工資料館を訪れた際、お目にかかったのが最初の出会い。地元のご婦人方(竹細工資料館の鍵を開けてくださった商工会の方)に
「てっぺいちゃん、てっぺいちゃん。」と息子か孫のように親しみを込めて呼ばれ、話しっぷりも
地元そのものだけれど、もともとは「カルイ」と呼ばれる背負い籠(写真)が作りたくて名古屋からやってきたとのこと。
そこで、長年「カルイ」を専門に作られていた飯干五男さんに弟子入りする。3年後に独立。廣島一夫さんにも知り合うことになるが、修行時代は世間話をする程度だったとのこと。
弟子を取らなかった廣島さん。
廣島一夫さんは5人弟子をとったそうだが、いずれも長続きせず辞めていった。以来弟子は取らないと決めたそうだ。なぜ、長続きしなかったのかと問われて曰く「若い人には長く座る仕事は無理だったようだ。」と答えていらっしゃる。はたしてそれだけの理由だったのだろうか?
弟子本人の覚悟の問題だったか、時代の変化によるものか、はたまたあまりに師匠の技量が優れていたことに恐れをなしたのかもしれない。
ただ、ご自分の仕事を次の世代に引き継ぎたいという思いはお持ちだったようで、特に晩年、その思いが強くなっていらしたそうだ。
だから、小川さんが3年修行されたことをとても評価されて、ご自分の技を伝えるにたる人物とみこまれたようだ。そのあたりの詳しいことは、小川さんのお話会でご本人の口から直にお話いただきたいと思っております。
作品収集。
本展には、日之影の竹細工資料館のものもお借りしますが、そのほとんどが廣島さんのご親戚を含む個人の方からお借りするもので構成する予定です。そのため地元で信頼の厚い小川さんに全面的にお世話になります。日之影で所帯を持たれ、お子様もできて、地元の人になった小川さんだからこそできることなのです。きっと、お借りする作品一つ一つにエピソードがあるはずで、それもお話会で聞かせて頂けることと思います。
タイトルの廣島一夫さんの仕事という言葉には、作品のみならず、引き継がれそして引き継いでいくということの意味も含んでいます。まさに伝統という意味が。