まちいくふじかわプロジェクトの深澤です。写真は大法師公園の桜です。実家から本菱の刻印と蔵の図面が見つかった話を先日しました。そのとき、とても背中を押された気分になったものですが、なぜそんな気持ちになったのか。自分で分析してみたことがありました。私は地元は山梨県富士川町(旧鰍沢町)ですが、今は、東京で会社を経営しています。独立したときにつくった会社です。私は広告畑を歩んできており、ずっとコピーライターをしてきました。いつしか企業のブランディングをサポートする仕事も行うようになりました。つくった会社はまさにそれを行う会社です。実は「ブランド」の語源は諸説ありますが、「burnd」=焼印から来ていると言われています。本菱の刻印が見つかったときには、「自分のルーツの刻印がみつかったということは、 それをやれってことなのかな」と自分なりに意味付けをしていたんですね。またどこか半信半疑だった実家が酒蔵だったことも、三畳分くらいある江戸時代の蔵の図面を見せられご先祖さまに「どうだ!」と証拠を見せつけられた気分に正直なりました。「お前、ここで動かなかったら、深澤の人間じゃないぞ」そんなふうにさえ当時、思ったものです。しかも当時のお酒の生産量(石高)を調べると(なんと税務署に記録が残っているのです!)最盛期には町で2番めに生産量が多かったこともわかりました。・独立した(自由になった)・ブランディングの仕事をしてきた(これからもする)・自分のルーツの刻印がみつかった・町の歴史にも即している(=酒蔵が多かった)「お前が(一人っ子のくせに)実家を離れているのであれば、 今まで培ったそのスキルで多少は町に貢献しなさい」そんなふうに言われているのだ、と勝手に解釈し、「地域×ブランディングで、実践的に研究しながら、 ブランディング自体の発展にも寄与できるんじゃないか」なんて思ってやろうと決意しました。.....が、しかし、会社を一緒につくった相方からは、散々「なぜ今なんだ!」、「もっと金ができてからでもいいじゃないか!」などと大反対されるわけです。今思えばあたりまえのことです。私としてはとくに私心があるわけでもなく、上記の理由を切々と訴えて、頭を下げてやることになりました。というよりも、今更120年前になくなった酒を復活させるわけですから、単に復活させるだけでは、面白みも意味もないわけです。それこそ深澤家のエゴ以外何モノでもないですからね。次の課題は、じゃあどうやって進めるのか?ということ。自分の実家では酒は作れませんし(もう蔵元機能はゼロです)、ツテも、ノウハウもありません。お酒の販売すらしたことはありません。文字通り、ゼロから考えるしかありませんでした。




