こんにちは、木蓮です♪
クラファン終了まで後6時間を切りました。応援してくれた皆様、本当にありがとうございます。
今回の活動報告は「絵について」です。

木蓮がなんで絵を描いているのか、絵本を描こうと思ったかを少し話したいと思います。
記憶上最初の絵はコーヒーカップが3つ。それにママとパパと木蓮の顔が描いてある絵です。ママは絵も字も上手で木蓮の最初に憧れの人になったのを覚えています。ママみたいになりたいという気持ちと、自由に絵を描ける環境が私の創作意欲を支えてくれていたのだと思います。
保育園の頃は「スーホの白い馬」の絵を描いたり、アイヌの模様に出会いました。
小・中学校では本の表紙、裏表紙、挿絵を描いたり、みんなの似顔絵を描いたり、中学の選択授業は油絵を専攻していました。卒業するときの記念品は「ちずちゃんの作品」(油絵を教えてくれていた美術の大人の作品)をもらったほどです。
高校に入るともっと本格的に美術に触れる機会が増え、高校一年生では「絵画」を選択、二年では「染色(マフラーを作る)」を選択、三年では「木工」を選択。そのほか「陶芸」を選択していました。関わる人数も高校で莫大に増え、中学校の同級生が18人だったのに対し、高校では180人になったので、みんな刺激的な作品を作っていましたし、授業も自由な表現を認めてくれていました。そのおかげで絵は自由に描く。芸術は自由。とより思うようになったのだと思います。


卒業後、エヌハーベストに就職します。そこでもお店のポップアップを描かせてもらったり、私の芸術面を認めてくれる環境でした。
その後タイ・ベトナム放浪1ヶ月に行った時のことでした。私は筆を一本とハガキ。そして「顔彩」という絵の具を持って行ったのです。
タイのアユタヤで絵を描いていると、1人の男の人が話しかけてくれました。
「僕の絵を描いてよ」
私はカタコトな英語で、もちろん。というと、彼は自分の写真をくれました。
描き終わって渡しに行くと、彼はすごく喜んでくれて、「お金払うよ!」と言ってきたので、お金はいらないから、コーヒーをいっぱい奢ってよ。と言いました。彼はちょうどコーヒー屋を知っていると言って、私を連れて行ってくれたのです。正直話してる全体の60%は聞き取れても理解もできていなかったけど、彼は2時間くらい私にずっと話しかけて、夜市にまで一緒に行ってくれると言うので、その提案に乗ることにしました。

彼の友だちと3人で夜市を回った後、なぜかクラブ的なバー的なところに行くことになり、私は日本でも行ったことがなかったので、すごくびっくりしたのを覚えています。なぜか3人でそこで絵を描き、1人はステージで歌い始め、最終的にチャリで2ケツしてカントリーロードを歌いながら宿に帰ったのを覚えています。
その後タイのチェンマイにてりゅうとくんに会いました。私が泊まっていたゲストハウスにやってきたのです。りゅうとくんは何年か前このゲストハウスのスタッフだったそう。

りゅうとくんは私の絵を見て
「俺の絵を描いてよ」
と言ってくれました。りゅうとくんのiPadと初めてのApple Pencilでささっと絵を描くと、彼はすごく喜んでくれたのです。
この木とりゅうとくんの顔担当させてもらいました!名刺になるなんて嬉しい!
そして今まで来ました。
今までは、世の人に私の絵を見せようと思ったことはよく考えればあまりなかったです。
でも今、支えてくれる人がたくさんいて、木蓮の絵とりゅうとくんの描く文章が誰かの役に立つかもしれないと思えます。

好きなことを続けると言うのは、簡単のような難しいような。でも好きなことをしていると、誰かも好きになってくれて、誰かを幸せにするかもしれないと思ったのです。
クラウドファンディング本当にありがとうございます。私とりゅうとくんの好きなものがみなさんのおかげで形になる日が来るのです。
本当に嬉しいし、早く届けたい!とも思います。絵本が届くまで、まだ少しお時間をいただきますが、楽しみに待っていてください!!
2025.03.23. 丹 木蓮





