
※本日、NTPのAMAに出演させていただきました。来てくださった方、ありがとうございました!
「アニメDAOへの道」ということで、私が人生においてどのようにアニメDAOに至ったかを吐露させて頂くシリーズです。少々長くなるかもしれませんが、できるだけ面白可笑しく書いていくつもりですので、お付き合いいただければと思います。
もっと文字を書きたい。でも、手書きだと、頭の中の速度と手の速度の整合性がとれず、思いついた物語の尻尾を掴むことができません。
(かつての文豪は、どんなに速く書きたくても手書き以外なかったわけで、今思えば非常に贅沢な悩みですが。。。ちなみに、歩く速度、自転車の速度、自動車の速度で景色を見ると、同じ景色なのに全く違った発見があるように、書く速度も作品に影響をなんらか与えていると思う派です)
その時、目に入ったのは、時々買っていた「小学六年生」という雑誌でした。
よく考えたらただの漫画雑誌だったんですが、その中で「電子手帳」の特集があったんです。
電子手帳。。。
本当にとある一時だけ流行ったデバイスなので、その存在を知らない人も多いのではないかと思いますが、確かに「電子手帳ブーム」はあったのです。
子供向けのおもちゃの電子手帳もあったのですが、主戦場はやはりビジネス向けでした。
ビジネスパーソン向けの電子手帳はフラッシュメモリカード(今でいうSDカード)を挿すことができて、外部ソフトウェアが動くものがたくさんあったんです。倉庫番とかロードランナーみたいなゲームができるものもあれば、lotus1-2-3(今でいうエクセル)もあったんじゃないかな。(HP200LXとかザウルスとかの時代ですね。4MBのフラッシュメモリーカードが普通に4万円とかしてた記憶です)
初期のガラケーを知っている人は「最大◯和音」みたいなスペックが大切にされた時代を懐かしく思われるかもしれませんが、電子手帳にも大切なスペックがありました。
それが「1ファイルあたりの最大文字数」。つまり、小説を書くに十分な文字数があるかどうか、という判断基準です。
大抵は「1ファイルあたり最大15,000字」とかそんな感じでした。原稿用紙40枚弱ですね。今思えば、とても足りません。
でも「10ファイル作れば原稿用紙400枚じゃないか」とか、色々夢想していた記憶があります。
結局は、QWERTYでもないキーボードで速く文字が打ち込めるわけもなく、電子手帳が選択肢として正しいデバイスではないとわかったんですが。。。
しかしながら、この時の小型デバイスへの憧れがあまりにも強かったためか、大学時代はリブレットを使っていましたし、社会人になっても工人舎の超小型PCとかポメラとか使ってました。今でもGDPのmicro pcで普通に小説書いたりしてます。
そして、思ったわけです。ワープロがあれば。。。
(当時はパソコンではなく、ワープロでした。文豪とか書院とか。ワープロ用の表計算ソフトとかお絵描きソフトとか、ゲームとかもあったんですよ)
小学生なので、まとまったお金が手に入るのはお年玉くらい。
使わずにとってあるお年玉をかき集めても、せいぜい2〜3万円くらい。
当時、ワープロは10万円くらい平気でしましたので、とても手が出るようなものではありませんでした。
親戚が家電量販店に勤めていたので、安く買える機種はないか調べて貰いましたが、まあ、あるわけなかったわけです。
でも、情報をもらいました。「大須(名古屋の秋葉原)に行けば、中古なら安く手に入るのではないか」
今でも、母親に大須に連れて行ってもらって、中古屋でワープロを選んだのを覚えています。店員の顔まで思い出せる。調子のいいおじさんでした。
(実際にワープロを入手するまでには、家に募金箱作ったり(祖母が時々小銭入れてくれた)、お手伝いして貯めたりして足りない金額を補いました)
かくして、ぼくはワープロで小説を書けるようになりました。
それはもう、夢中で書きましたね(多分、ローマ字入力じゃなくてカナ入力してたw)
小学校6年生の頃には原稿用紙400枚を超える大作を書き上げました(SFとファンタジーを混ぜたような内容だったと思います)。
で、せっかく書いたので、新人賞に出してみることにしたのです。
これも今でも覚えている。原稿用紙400枚を片面印刷すると、コピー用紙400枚になるのです(あたりまえ)。
普通に閉じられるわけがなく、父親がポンチを使ってトンカチで400枚の穴を開けて紐を通してくれました。
ぼくの人生での初投稿となったのです。
ちなみに、応募したのは「第一回スニーカー大賞」。
当時はまだラノベという言葉すらありませんでしたね。。。(くどいようですが)
ただ、ある意味黄金時代で、水野良。。。はもう書いてなかったかもしれませんが、あかほりさとる、広井王子、中村うさぎなんかが「ザ・スニーカー」に寄稿していたと思います。
スレイヤーズ、メイズ、爆裂ハンター、ラムネ&40ファイヤー(なんか違う気もするが)などなど。
当然、わたしは受賞できませんでした。
余談ですが、この時に受賞したのは、あの冲方丁さんです。未だに、テレビとかで冲方丁さんが出てきたりすると「あの小学生時代、ニアミスしたんだよな」と思ったりしますw(いや、ニアミスどころか、かすってもいないんですが)
その時の冲方丁さんの受賞作は、確か「黒の季節」という作品で、書店に並んだので買いましたが、小学生の私には全然面白くありませんでした。
斯くして、ぼくの「投稿人生」が始まる訳なんですが。。。
私の人生を、今に至るまで呪い続けることになる「ある出来事」は、この数年後に起こります。
それは、第三回でお話しできればと思います。
(次回にへべく)




