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「日本の音楽が危ない」第2弾 コンセプトアルバム「ある愛の唄」リリース

ファンキー末吉による「日本の音楽が危ない」プロジェクトの第2弾。JASRACに権利を預けず、自由に聴いて、自由に歌って、自由に販売できるオリジナルコンセプトアルバム「ある愛の唄」をリリース

現在の支援総額

965,000

96%

目標金額は1,000,000円

支援者数

141

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/10/16に募集を開始し、 141人の支援により 965,000円の資金を集め、 2019/01/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

965,000

96%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数141

このプロジェクトは、2018/10/16に募集を開始し、 141人の支援により 965,000円の資金を集め、 2019/01/01に募集を終了しました

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ハーモニカ入れ
2018/11/27 17:22
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このアルバムの4曲目に収められる予定の「ママの初恋(DEMO音源の10:23からもしくはライブ音源の7:53から)」という曲の間奏にはハーモニカを入れようと決めてました。この曲の物語は、私が90年に書いた「天安門にロックが響く」という小説のストーリーから派生しています。90年に初めて北京に行った私は、まだ銃弾の痕が生々しい天安門広場に降り立ちました。前の年に起こった天安門事件は、民主化を求める数多くの若者達の命を奪ったことを目の当たりに見てこの小説を書いたわけです。地下クラブで「张楚(Zhang Chu)」というひとりのパンクスと知り合った私は、「演奏の場所も全部ファッキンガバメントのものなのでロックをやることが出来ない」という話を聞き、「じゃあ路上ライブをやれば?」と提案します。当時のご時世ではそんなことをやった人間は中国にはいなかったので、「そんなことしたら殺されるかも知れない」ということになり、「じゃあ外国人だったら大丈夫なのか?」ということで、私が代わりに彼の曲を路上で歌おうということになりました。その曲というのが、後に中国ロックの黎明期を飾ることとなる「蚂蚁蚂蚁(MaYiMaYi)」という曲、「俺たち中国人は蟻と同じだ。大きな足に踏み潰される」という過激なメッセージを込めた歌でした。「マイマイマイマイ」というサビは、最後には「マビマビ(Fuck Your Motherの意)」となるんだと聞いて、「そりゃ中国人が路上でこれを歌ったら殺されるかもな」と思ったものでした。その歌詞をピンインという中国語のローマ字表記で書いてもらい、「じゃあどこでやる?どこでもお前がやりたい場所で俺が代わりに歌ってやる」と言ったところ、彼は私にこう答えました。「TianAnMen Square・・・」脳天に衝撃を受けましたが、もう引っ込みがつかなくなった私は、勇気を振り絞ってギターを持って再び彼と一緒に天安門広場へと向かいます。彼が側にいると、万が一の時に彼にも危害が加わるかも知れないので、「俺がひとりで広場に入るから、お前は他人の振りをして遠くから見ているように!!もし歌い終わっても無事だったらまたホテルの部屋で会おう」そう言ってひとりで広場に入りました。銃弾の跡が生々しい英雄記念碑の前に腰掛けて、いざギターを持って歌おうとしても、周りにいる人達がみんな「密告おばさん」や「密告おじさん」に見えて足がすくみます。(当時は人民に密告を奨励していた)結局蚊の鳴くような声でしか歌うことが出来ず、あまりに情けなくて涙が流れて止まりませんでした。「俺はなんて情けない人間なんだろう・・・それに比べてこいつらはこの国でいつもこんな思いをしながらロックをやってるのか?・・・」私は泣きじゃくりながら、当時練習していたハーモニカを取り出して、どうしても歌えなかった彼の曲をハーモニカで吹きました・・・「天安門にロックが響く」という小説は、彼ら中国のロッカー達をモデルに、主人公を女性という設定にして作られています。そしてその主人公は恋人をこの天安門事件で殺されてしまいます。その後「ある愛の唄」というコンセプトアルバムを作ろうとなって、今度はこのアルバムの主人公の母親がこの女性ロッカーということにして、天安門事件で消えた初恋の話を、子守唄代わりに子供に聞かせるという「ママの初恋」という曲を作りました。ですのでこの曲の間奏はどの楽器でもない、ハーモニカで入れたかったのです。DEMO音源では私自身がつたないハーモニカを吹いてますが、やはり下手な人間が拙く吹くのよりは上手い人間が素朴に吹く方がよかろうというわけで、友人であるブルースハープの名手、西村ヒロさんにお願いして今回レコーディングとなったというわけです。さて、そうなって来ると色々と「欲」が出て来ます。8曲目の「中国のマドンナ」という曲(DEMO音源の21:39から、もしくはライブ映像の20:26から)は、主人公が中国に嫁いでゆくわけですが、この曲の詞の中にも「都ではいろいろあったけれどここには平和だけがある」とか「遠くから聞こえる大砲の音」とか、「ママの初恋」にリンクしている部分もありますので、当初間奏は中国の民族楽器でと考えていたのですが、急遽この曲もハーモニカでとお願いしました。コンセプトアルバムは、このように使う楽器によって全体のストーリーを表現してたり、各曲がこのようにリンクして、「全部で一曲」のようなアルバムになります。来週には中国の民族楽器、二胡や琵琶、日本人にはあまり馴染みのない「楊琴(YangQin)」という楽器もレコーディングします。その時にはまたレポートしますのでお楽しみに〜


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先日ドラムをレコーディングするために、まずご近所に住むへーすけさんに全曲のデータを作ってもらいました。これが実は大変な作業で、以前作ったDEMOを元にガイドメロと簡単なコードをピアノで打ち込んで、以前やったライブを参考にしながらその構成に準じてフルサイズのガイドデータを作るというもの・・・特にリットがある曲についてはDEMOやライブ音源を参考にその速度をちょっとずつ打ち込んでゆくのだからそりゃ大変・・・以下はそのへーすけさんからのコメント--------------いつものごとく アルバム作るから手伝って〜 と、末吉さんからメールが来た。 もちろん快諾し、送られてきたリストを見て目を疑った。 んん? どしたどした? おおよそ、末吉さんを見聞きするイメージとはかけ離れた曲のタイトルが並ぶ。 しかも著作権フリーだという! ライブで歌おうが、自分のアルバムに入れて発売しようが自由なのだ。 音源を1曲ずつ確認する。 どの曲もストーリー(歌詞)、メロディー共に心の奥底に響き渡り、涙しそうになっては末吉さんの顔が浮かび涙が止まる(笑) 全部聴き終えて これは大変な仕事を受けたぞと気づく。 このアルバムは間違いなく音楽業界のあり方に一石を投じる作品になるだろう。 誰よりも音楽を愛する男と その男を愛するみんなで作った 「ある愛の唄」 是非多くの方と共有したいと思っています。--------------ベースはエンジニアでもあるお隣の仮谷くん(写真)、一日ぐらいでちょちょいとベースは録音し終わったようで、引き続きエンジニアとして歌入れ、そしてミックスまでお願いしております。ギターはライブもお願いした長谷川くんですが、彼は自宅スタジオでレコーディングするので、出来たデータをインターネットで送って来て、それを八王子のファンキースタジオで仮ミックスして中国に送って来て・・・という、時代はもうここまで進んで世界を股にかけてインターネットで制作活動が全て出来てしまう・・・最後の曲はオーケストラ楽器のみでアレンジしたのでこの曲はもう歌を入れれば完成!!あと、最初の曲もギターデータが送られて来たので、最初の歌入れは最後の曲と最初の曲という変なカップリングで進行しました。以下は仮谷くんよりのメッセージ・・・--------------ベースとレコーディングエンジニアで参加させて頂いております。現在ほぼ、オケの収録は終わり歌入れが始まった所でございます。訳あって歌入れ初日で、いきなりラスト曲からの歌入れと言う事でしたが、レコーディング途中でVo恭子さんが中々ラスト曲の気持ちになれないと言う事で一旦中断して頭の曲を歌入れしてみました。そして改めてラスト曲の歌入れを開始と言う進行で初日は終了。いつも家に帰って違った環境で曲をチェックするのですがたまたまラスト曲→頭曲と言う順番で聴いてみた所輪廻転生感が・・・(正確には主人公が生まれ変わるわけではないのですが)みなさんもCD入手されましたら全部聴いて、また頭に戻ってみたください。--------------はい、というわけでどんどんと制作が進行しております。出来上がりをお楽しみに!!


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いや、このプロジェクトへの支援のことじゃないですよ(笑) カンボジアくっくま孤児院の子ども達が訳詞作業に入ったようでメッセージが届きました〜 私はちょうど早起きしてこのオーケストラアレンジを詰めていたのですが、「もうこれで完成かな」と思っていたのを思い直して、最後にもうひと盛り上がりストリングスを駆け上がらせることにしたのです。 この作業はとても大変で、既に木管楽器も金管楽器もそれに緻密に絡んで作り上げているので、ストリングスを変更するとそれも全部変更せねばならない・・・ でもね、彼らのメッセージを見て、「しんどいからって諦めちゃいけない」と思った。まだ出来ることがあるんだったらしんどくたってやってしまおう・・・ それがね、しんどいのに無理やりっつうんじゃなく、本当に爽やかに、「よっしゃ〜!!ほなやりますか!!」みたいに思えてくる・・・ 孤児院のプロジェクトムービーの中にこんな言葉があるのです。 子ども達の家庭環境はさまざまですがそんな事を感じさせないキラキラの笑顔は私たち日本人が忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれますそして元気をくれます! これを見た時に、私は最初に中国ロックのために身を捧げた事を思い出しました。 天安門事件の翌年、中国共産党の締め付けの厳しい時代に地下活動としてロックをやっている若者を見て、何かをやってあげたいと思って・・・まあそのせいで爆風スランプも活動休止に追い込まれ、結果日本の色んなものを捨てて中国に渡って来たわけですが、時々中国のロック関係者や熱烈なロックファンから、「Funkyさん、あなたがしてくれた中国ロックのための多大な援助に心から感謝します」と言われることがあるが、いつもこの言葉に違和感を感じていたのです・・・ 「私は中国ロックから教わったことが多い。むしろ私こそ中国ロックに感謝しています」いつもそう答えるのですが、今回ちょっとこんな考えが脳裏をかすめました。 私がもし中国ロックと出会わなかったらどうなってただろう・・・ 爆風スランプはそのまま活動を続け、ひょっとしたらRunnnerやリゾ・ラバに続くヒット曲もどんどん生み出すことも出来て、私はもっともっとお金持ちになって、その金で中国でロックをやってた?・・・ 歴史に「もしも」はないのでこればかりはわかりませんが、私は、あの時に中国ロックと出会ったことにより、「ロックとは何か」を追求する道に入ったということだと思うのです。 それは別に爆風スランプをやりながらでも追求出来ることなのかも知れないけど、私は中国ロックにその道しるべを教えてもらって、その道しるべと共に生きてゆきたかったのだと思うのです。 まあこればかりは今も道半ばで、一生追求し続けることなのだと思いますが、中国で「ロックとは何か」という議論になると、決まって最後には「Funkyを見てみろよ。あれがロックだよ」と言って議論が終わって笑顔で乾杯になったりします(笑) そんな時にいつも身が引き締まるような思いがするのです。 この道の後ろをついて来る若者がいっぱいいる・・・だから気を抜けない!!どんな小さなコンサートでも最高の演奏をする!! そう思うと別にしんどいこともしんどくないのです・・・ くっくま孤児院の子ども達を支援している数多くの方々も、きっとこの子たちから「何かをもらっている」と感じていると思います。 支援は人のためにあらず・・・ かく言う私も孤児院を訪ねた時に少額ですが支援金を置いて来ました。「ありがとう御座います」とスタッフに深々と頭を下げられてどうもむず痒い・・・ 「いやいや、川沿いのビヤバーでお姉ちゃん侍らせてベロンベロンになるまで飲んだらもっと取られるんですから(笑)」 そう、お姉ちゃんに巻き上げられるぐらいだったら、ここにお金を落とした方がもっともっと「楽しい」よ。その日は、いやそれからもずーっと私は楽しい思いをしている・・・ この、日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられてしまったこのアルバムが、こうして時を超えて海を超えて、この子ども達の未来に何かを残してくれるならこんなに楽しいことはない。 色んなことが「楽しみ」に変わる。だから数多くの日本の方々がこの子たちに支援をしているんじゃないかな・・・ よかったら皆さんもこの子たちを支援してみては如何ですか・・・こちら 米米マンなんて面白そう・・・(笑)正月は勝山連れてカンボジアまでおせちの炊き出しに行こうかな・・・ そして、この「ある愛の唄プロジェクト」も皆さまから支援を受けて初めている事を改めて肝に命じ、頂いた支援よりも大きなものを返せるように頑張ろうと心を新たにしている今日のこの素晴らしい朝です。 ひとつのビデオメッセージが「幸せ」を運んで来てくれました。  


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今回は少し専門的なお話・・・ このアルバム最後の曲(下記のYouTube映像32:50から) は、このDEMOではオルガンだけで演奏されているのだが、バンドで演奏してみると、なにかドラムやら現代音楽の楽器はどうもそぐわないような気がした・・・ (その時の映像:36:38から) ではこの曲は全部オーケストラの楽器で演奏させよう!!ということでアレンジを始めた。 このクラウドファンディングは目標額に達さなくてもアルバムは作るのであるが、ひょっとして目標額を超えた場合には本当に生のオーケストラで録音することも出来る・・・ 日本ではあまり知られていないが、私は絃楽器やら管楽器やらフルオーケストラをアレンジ出来るという珍しい「ドラマー」である(笑) まあ音大の打楽器科の人にはそういう人もゴロゴロいるだろうし、そういう人たちは楽器がたまたま「打楽器」であるだけで、楽典やらの理論は他の楽器の人と全く同じように勉強するので、まあむしろその人たちから見たら「自然」なのだろうが、日本では「ロックドラマーが何故?」という偏見が強いのか、いつも「違和感」を持たれている。 中国ではと言うと逆に「これだけドラムが上手いんだからそれぐらい出来るでしょう」ってな逆に間違った(笑)考え方があるようで、時にはレコーディングで「コンガ叩いて下さい」とか言われて閉口してしまう時もある。 ドラムとコンガは全く別の楽器なのよ〜ギタリストにピアノ弾いて下さいって言うのと同じなのよ〜 ・・・ってか言われたらやるけど(笑) さて笑い話は置いといて、オーケストラアレンジは96年に発売した私のソロアルバム「亜州鼓魂」の時に初めてオーケストラ譜を書いたのが始まりである。 今ではコンピューター譜面で、全く馴染みのないハ音記号や移調楽器のトランスポーズ、ひいては各楽器の鳴りまでがコンピューター音源で確認出来るのだから楽になったが、当時は勧進帳のような何段もあるオーケストラ譜に手書きで書き込む。 ハ音記号の「ド」はどこだとか、移調楽器を別のキーで書いたり、実際に鳴る音は譜面よりオクターブ高いとか、楽器自体の「鳴り」も想像しながら書いてゆく。 (この時に書いた「転校生は宇宙人」のブラスバンド譜面。コンピュータでやってもこれだけ複雑である)   さて「時代は便利になった」と言っても相当ややこしい作業である。 手順としては、「Logic」という打ち込みソフトを開いて、まずメロディーを打ち込む。そして最初から最後まで入る楽器であるオルガンを打ち込む。ここまでは問題ない。 そして「ストリングス」である。 シンセを使ってバーっとコードを打ち込むのとはわけが違う。ストリングスのそれぞれのパートの人は基本的にひとつの音しか弾かないのだから、まず一番高い音のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、次に一番下のパートの人がどんなラインを弾くかを考え、間の人がそのコードの中で使ってない音を拾ってゆく・・・ ストリングスは「バイオリン1」「バイオリン2」「ビオラ」「チェロ」の各パートと、エレキベースが入らない今回のような場合には「コントラバス」を入れたりする。 この5パートのトラックを作って、それぞれにKONTAKTというソフトシンセを立ち上げて音を割り当てて行くと、それだけでパソコンのCPUがふーふー言っている・・・ これに金管楽器や木管楽器のために新しいトラックを立ち上げた途端にソフトがフリーズ!!(>_<) 同様の経験で悩み続けている音楽家は多いと思うので、今回偶然発見したLogicのメモリー節約方法を披露したいと思う。 (トラックのフリーズ機能というのもあるけれども、やたら時間がかかるのと、あまりCPUの負担軽減にならない) まずLogicでも何でも作曲やアレンジをする時には履歴代わりに色んなファイルネームでプロジェクトを保存するだろうが、今回やってみたやり方は、ストリングスパートやブラスパートなどをそれぞれ別のファイルとして保存した。 しかしこれでは各パートをどのようにアレンジしたのかが次の作業の時に分かりにくくなってしまう。 オーケストラのアレンジは常に色んなパートが複雑に絡み合って作られてゆくので、勧進帳の何段もある譜面を縦に見て、「この部分ではどのパートがどんな音を出しているのか」を常に把握しながら作業を進める必要がある。 具体的に言うと、ストリングスをどう書いたかを把握して、次に書くブラスなどのパートがそれとぶつからないように、そしてお互いに書いたラインが上手く絡み合ってよい効果を生み出すようにしなければならないということである。 だからストリングスパートをまずオーディオファイルとして書き出して、ブラスとか次の楽器をアレンジする時にはそのプロジェクトにそのオーディオファイルを読み込んでやる。 (書き出し) 全てのオーディオファイルはここにあるので、別パートのエディット作業をする場合は、そのプロジェクト以外のオーディオファイルを全てそのプロジェクトに読み込んでおけばよい。   さて、この作業がどんどん進んでゆくと、金管楽器に続いては木管楽器、そしてコーラスパートと、読み込むオーディオファイル数もどんどん増えてゆく・・・ しかしトラック数が増えればCPUが悲鳴を上げる。プロジェクトをパート毎に分ければメモリーは節約出来るが、反面、エディット等を繰り返してゆくうちに、全てのプロジェクトを開いてどれも同じ状態に保つのは逆に大変な作業になる。 これが簡単に出来る方法を今回偶然に見つけたのだ。 Logicではデフォルトで、バウンスファイルはそのプロジェクトのルートフォルダにある「Bounce」というファイルに保存される。 数多く作ったStringsやらBrassやら他のパートのプロジェクトでも同じところに保存されるのだ。これこそがミソ!! ひとつのプロジェクトを閉じる時に、そのアレンジを何も考えずにバウンスしてやればよい。 前の状態から変更があった場合はこのようなダイアログが出るが、気にせずに「置き換える」をクリックしてどんどん書き換えればそれでよい。 何と別のプロジェクトを開いた場合には、そのオーディオデータは最新のデータに勝手に置き換えてくれるのだ\(^o^)/ 注意すべきは、バウンスする時には打ち込み部分のデータのみ生かしておき、他のオーディオデータを全てミュートすることである。 また、作業をしてゆくうちに各パートの音量バランスを取って作業しやすくしたりするものだが、どのパートの音量を上げたとか下げたというのを覚えておいて、次にそのパートをエディットした時に出力する全体の音量もそのように変更しておけばよい。 そうすると全てのパートの音量がいい感じで揃って、最終的にプロトゥールスに出力する時に各パートの音量がいい感じに揃っている状態になる。   こうして各パートをエディットしては、それに影響される他のパートを直し、そして元のパートに戻ってそれに合わせてエディットし、そんな作業をもう延々1週間以上毎日続けている。 この便利な最新科学技術を使ってもオーケストラアレンジというのはこれだけの手間がかかるのだ。 あと2週間後には歌入れがある。納得出来るまで旅先でエディットを続け、その時にはこの歌から歌ってもらって真っ先に皆さんにお聞かせしよう・・・


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日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。 日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、「原詞から少しも意味を変えることなく」というのがクライアントからの発注であった。 私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。 実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、その中に「双子」という言葉が使われていた。 ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。 何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。 サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、「どんな細かいところも変えてくれるな」と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・ だって中国にはロッカールームなんてないし~ペンフレンドもようわからんし〜コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑) うって変わって二井原実。 X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」と言っていたのを覚えている。 私の場合は考え方が二井原に近い。 いつもやってるやり方としてはこうである。まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。 例えばこのアルバムの歌詞で言うと、 M1の「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」はM10の「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね…」とリンクしてますよ とか M4の「河の見える小さな部屋で」は後に結婚して住むM8の「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」とリンクしてるんですよ とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。 (このアルバムのDEMOフルバージョン) 歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。 いや私なんぞはむしろ、「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」ぐらいに思っている。 「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。 M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。 要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。   この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。 ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・ このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、母の愛から次には自分の娘への愛となり、父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。 でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・ そんな子供達にこんな物語を作詞させるのって・・・あまりに残酷なのではないか?・・・ そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・ 数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。 私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか? 私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・ 異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。 彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。ある時はぶつかり合ったり、ぐちゃぐちゃになりながらいつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。 20数人の子育てって・・・どんなん?(笑・・・涙)   そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。つまりはその世界観を「演じる」わけだ。 だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。 年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、そして強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。 そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・ そうなって欲しい。 まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・ この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事) まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。 一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。 上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。 そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!! このバンド そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!! その時に、このアルバムの最後の一行、「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように…」とクメール語で歌って欲しい。 私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)