Check our Terms and Privacy Policy.

「日本の音楽が危ない」第2弾 コンセプトアルバム「ある愛の唄」リリース

ファンキー末吉による「日本の音楽が危ない」プロジェクトの第2弾。JASRACに権利を預けず、自由に聴いて、自由に歌って、自由に販売できるオリジナルコンセプトアルバム「ある愛の唄」をリリース

現在の支援総額

965,000

96%

目標金額は1,000,000円

支援者数

141

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/10/16に募集を開始し、 141人の支援により 965,000円の資金を集め、 2019/01/01に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

「日本の音楽が危ない」第2弾 コンセプトアルバム「ある愛の唄」リリース

現在の支援総額

965,000

96%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数141

このプロジェクトは、2018/10/16に募集を開始し、 141人の支援により 965,000円の資金を集め、 2019/01/01に募集を終了しました

ファンキー末吉による「日本の音楽が危ない」プロジェクトの第2弾。JASRACに権利を預けず、自由に聴いて、自由に歌って、自由に販売できるオリジナルコンセプトアルバム「ある愛の唄」をリリース

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

ひと口に「中国民族楽器」と言っても色んな楽器があるが、中でも私がよくアレンジで使う楽器は「二胡(ErHu)」、「琵琶(PiPa)」、そしてこの「楊琴(YangQin)」である。中国琴「古筝(GuZheng)」も時々使うが、基本的にキーが「C」に固定されるという問題がある。もちろん根本のチューニングを変えて、Gとか別のキーにも出来るが、変えれば変えるほど弾き手にとって違和感があるだけでなく、この楽器は実は基本「5音階」、すなわち「ドレミソラ」の楽器なのだ。左手で弦を押してギターで言う「チョーキング」をして「ファ」とか「シ」とか出したりは出来るが、奏法が限定されてしまい、西洋楽器のように「これ弾いて」ですぐに弾けるとは限らない。「笛子(DiZi)」という、いわゆる「笛」もあるが、これも基本「5音階」。吹き方のテクニックで全音階どの音も出ることは出るのだが、例えば同じ「5音階」の「尺八」を想像してみて欲しい。尺八でJazzを吹くプレイヤーとセッションしたことがあるが、もの凄いテクニックで12音階と半音含めて全ての音符を吹けるのであるが、目を閉じて聞いてみると「フルート」の音にしか聞こえない(笑)やはり民族楽器にはその民族楽器独特の奏法があるので、それを熟知していないと民族楽器のアレンジはなかなか難しいものがある。さて私は中国ではおそらく中国民族楽器を一番多くアレンジしている外国人音楽家なので(笑)、今回もこのアルバムに収録される「中国のマドンナ」という曲には是非中国民族楽器を入れようと思い立った。先日は「琵琶(PiPa)」を入れ、今日は「二胡(ErHu)」と「楊琴(YangQin)」を入れた。(私は香港から譜面を送ってネットで演奏をチェック)まずこの「楊琴(YangQin)」という楽器が日本人には全く馴染みがないだろう。簡単に言うと、ピアノの弦の部分だけを丸裸にして、それを専用のバチで叩くという楽器である。まずこの楽器・・・チューニングが大変(>_<)なにせピアノと同じで持ち運んだだけでチューニングは崩れるわけだから、毎回毎回自分でチューニングしてから演奏を始めなければならない。(動画がうまく表示されない方はこちら)「楊琴(YangQin)」の奏者は調律も出来なければならないので大変です・・・この楽器は12音階のみならず、全ての半音も全部出る楽器なので、私の場合はよくギターのアルペジオの代わりに使ったりする。代表作としてはこれ!!でもこの曲では使ってないけど、この楽器の特徴的な弾き方はトレモロ。いわゆる「連打」して長い音符を弾く奏法ですな・・・この曲「中国のマドンナ」ではサビの部分で使ってます。(動画がうまく表示されない方はこちら)そしてお馴染みの二胡!!この楽器も12音階、半音も含めて全ての音も演奏することが出来るのだけれども、ギターのようにフレットもなく、バイオリンのように指板もない。おまけに弦に指を置いているだけの状態で弓で弾くので、ちょっと強く押さえつけ過ぎると音がシャープしてしまう。例えばピアノなんかでは、ひとつの鍵盤を叩いたら必ずその音程の音が出るが、この楽器は「作音楽器」と言って、常に音を探りながら演奏せねばならない。自論ではあるが、二胡の音色を初めて聞いた日本人も、何か「懐かしい」と感じるのは、音を探りながら演奏する際に必然的に「こぶし」を回すので、そのこぶしの回し方がアジア人独特の「懐かしさ」になるのではと思っている。私の代表作としてはこのアルバムの22:50からの「ろう君の初恋」と、48:18からの「Memories」!!(それにしても誰がこのアルバムをフルでアップしたのでしょう・・・(笑))これらの曲は二胡をメインの旋律楽器として使ってますが、今回は歌のアルバムということで二胡をサブの旋律、つまり「裏メロ(対旋律)」を弾く楽器として使ってます。(動画がうまく表示されない方はこちら)その他にも「初恋」を表現する曲としてもう1曲民族楽器を使った曲「ろう君の初恋」も収録しますので、出来上がりをお楽しみに〜


thumbnail

先日ギターの長谷川くんの思い出話にも出た「中国のマドンナ」という曲(DEMO音源21:40から、ライブ音源20:25からには中国の民族楽器を入れようと思い立った・・・まずは日本ではあまり馴染みのない楽器かも知れない「琵琶(PiPa)」日本で「琵琶」というと耳なし芳一のベンベンベンという感じをイメージするかも知れませんが、中国の琵琶はまた全然違った楽器です。まず、耳なし芳一はバチを使ってベンベンベンと弾きますが、中国の琵琶は写真のように指に付け爪をつけてそれで弾きます。弦は4本あって、それだけ聞くとウクレレのような楽器を想像するかも知れませんが、調弦は下からA-D-E-Aと不規則で、これで三和音のコードなどを弾くことは不可能です。コード楽器ではなく旋律楽器なんですねぇ・・・ちなみに日本の三味線のように、下2弦はベンベンと伴奏のように使って、上2弦でメロディーを弾きます。フレットは指板と一体化していて、ギターのように簡単に調整出来る作りではありません。ですので微妙にフレット音痴なのは構造上仕方のないこと・・・ですので単音弾きの場合でもビブラートをかけて弾いたりします。それがこの琵琶独特の「歌い方」なんですね。ギターの指弾きみたいに指の外側から内側に弦をはじくのではなく、デコピンみたいに内側から外側に弦をはじきます。特に特徴的な弾き方はトレモロ!!5本の指を連続してデコピンして細かい音符を弾き続けます。(下の動画参照)これこそが中国琵琶!!さて、中国のマドンナのレコーディングも無事に終わり、そうなると欲が出て来ます。実はこのアルバムの中に、主人公の初恋を歌う書き下ろしの曲を入れたいとずーっと思ってたのですが、私のインストの曲で「ろう君の初恋」という曲がイメージにぴったりだったのでそれを二胡バージョンで入れることにしました。この曲は96年に中国で発売した私のソロアルバム「亜州鼓魂」の中に収録したのが最初でした。その後五星旗などで演奏したり、今回ピアノトリオ「おすし」でも演奏してますが、実は「亜州鼓魂」のバージョンには琵琶も入っているのです。20数年ぶりに琵琶の入ったバージョンを録音してみました〜来週には二胡と、また日本人には馴染みのない「楊琴(YangQin)」という楽器も録音します〜完成をお楽しみに!!


thumbnail

ギターをレコーディングして下さった長谷川友ニさんからのメッセージです。----------Funky末吉さん作のコンセプトアルバムにレコーディング参加させていただきました。この作品群の存在はたしかずいぶん昔…たぶん25年ほど前から知っておりました。当時、僕の高校時代の友人に今回ヴォーカリストとして参加しているシンガー岸恭子(Kyon-ma)さんを紹介いただき、彼女のソロプロジェクトのステージとデモテープなどのレコーディングを手掛けるようになりました。その流れでアレンジャーの鍵山稔さんと知り合い、彼の住居1階にあったBar“jazz屋”にも寄るようになりました。オーナーだった末吉さんともそこで知り合ったと思います。当時、岸さんのステージでは、このコンセプチュアルな曲達の中から「中国のマドンナ」を取り上げていたと思います。時間を超越した素敵なプロジェクトに参加出来たことをとてもうれしく思っております。----------長谷川くんはキョンマと共に、忘れ去られていたこのアルバムの曲をライブで演奏したりして守ってくれてました。それも含めてどうもありがとう御座います!!このメッセージの中にも出て来ている「中国のマドンナ」という曲には中国の民族楽器を入れます。それでオケはもう完成かな・・・またご報告致します〜


thumbnail

コンセプトアルバム「ある愛の唄」の最後の曲は、死んだ愛する人に対して歌う曲なのだが、カンボジアでは死んだ人に対する歌があまりないようで、孤児院の音楽担当の先生が訳詞に関して頭を抱えているという話を聞いた。まあ全世界どこにでも「お国柄」というものがあって、例えばお葬式は賑やかに陽気にという国があってもおかしくはない。何もキリスト教の賛美歌みたいな音楽で送り出す国ばかりでなくてもいいのである。じゃあこの曲はやめるか?・・・いやいや、だからと言って曲をボツにする必要は全くない。そのお国柄に対してよっぽど失礼であるとかでない限り全く問題ないと私は思う。・・・というのもこの話を聞いて思い出したことがある。中国で出した私のソロアルバム「亜州鼓魂」にまつわるエピソードである。1996年、その頃中国はロックの黎明期ではあったが、まだまだ「革命の歌」、つまり中国共産党の音楽以外はアンダーグラウンド。そしてその共産党一党独裁はどう考えても揺るぎようがない・・・そんな国で「ロック」をやってゆくこと自体が無謀なイメージだったし、そんな「アンダーグラウンド」の音楽が、メインストリームの革命の歌よりも売れる時代が来ようなど誰もが想像だにしてなかった・・・かく言う私も全く夢にも思ってなかったし、レコードを出して下さったホリプロさんすらまさかこれほど売れるだろうとは思ってなかっただろう・・・なにせ、あの日本を代表するSONYレコードの大幹部たちが「そんなものが何枚売れると言うのだね?」と笑い飛ばしたアルバムである(笑)(その詳しいお話)日本ではもちろんほとんど売れてないだろう。なにせ日本語が全く入ってない、中国語、モンゴル語、朝鮮語、そしてインストの楽曲ばかりのアルバムなのである。「中国で売れた」と言っても、当のホリプロには金銭等の見返りはなかったようで、このアルバムの功績が認められて「レコード大賞アジア賞」を頂いたパーティーの席で、代表の方が「我が社はアジアから撤退します。アジアで得したのは結局このファンキー末吉だけでした」という笑えるスピーチを残している・・・では私は金銭的に儲かったか?・・・否である。このアルバムは、私にお金では買え難い大きなものを残してくれた。「中国での地盤」もそうなのだが、何よりも、「売れるものなんか追求しなくたって、いいものさえ追い求めていってれば、それが売れる国が世界のどこかにはあるんだ」ということを知らしめてくれたのだ。これは私の音楽人生に対してとてつもなく大きなことである。どんな音楽家でも「表現」と「商業」の中で苦しむのは宿命である。でも私は解き放たれた。「クオリティー」というものを追求さえしていれば、「マーケット」はこの広い世界の何処かにあるのだと思わせてくれたからである。もともと「売れる音楽を作れ」と言われることが大嫌いだった。(まあそんなことが好きな音楽家はいないだろうが・・・)「今これが売れてるから・・・」と言ってそれを追い求めて行った末路は悲惨なもんである。今と違って(?)レコードの売り上げのほとんどは若者だった時代、当時はズボンをずり下げてわざとパンツを見せるファッションが流行っていたので、それに例えて、「お前はこの年になった俺に、ズボンをずり下げてパンツを見せて街を歩けと言うのか!!」とブチ切れたことがある。そんなファッションを今では見かけなくなった昨今、そんなファッションのような音楽の末路なんてどれだけ惨めなもんであろう・・・売れるために作った音楽なんて、売れなかったらもう誰にも見向きもしてもらえないのであるから。もちろん売れるための努力は必要である。だがそれも「バランス」であろう・・・「商業音楽」なのだから多額の金が動く。でも「商業」と言うからには「儲けるため」にお金を投資する。決して「音楽」に投資をしているわけではない。返ってくるであろう「お金」に対して投資をしているのである。今考えると、その「お金」のために「音楽」を犠牲にしていることが本末転倒であったのだ。ところでこの亜州鼓魂、「売れた」と言っても、実は当時の中国のマーケットに合致しているものでは決してなかったのだというエピソードがあった。先日の布衣の全中国ツアー中、ツアー先の地元の人が物販で買った亜州鼓魂を車の中でかけていた。そしたら車に乗ってたPAスタッフの海龍が突然一緒に歌い出したのだ。歌詞カードなんか見てないから歌詞も覚えてるということにまずびっくり!(◎_◎;)「この曲は7拍子なんだよね?」2曲目の曲の時に歌いながらそう聞いて来る・・・「このアルバムは当時の中国では誰も听不懂(聞いても理解出来ないの意)だったんだ。听不懂だから何回も何回も擦り切れるまで聞いた。だから今でも全部覚えてるんだ(笑)」そんな「売れ方」もあったんだ・・・そう感心した。当時誰も聞いたことがなかった音楽。でも何度でも繰り返して聞けるクオリティーがあった。そして听不懂だけど何か「良い」・・・音楽なんて根本的にはこれでいいのだ。だから冒頭の話に戻るけど、このアルバムのコンセプトがカンボジアのお国柄に合ったものではなかったとしても、そのお国柄に対して失礼なものでさえなければ、そして何よりも、歌う彼女たちが「いい」と思えるものでさえあればいいと思う。「お葬式は賑やかにやる国なんだから、賑やかなアレンジに変えようよ」などと考えることがそもそも間違いなのだ。「アルバム」であるということも大きなメリットである。リーディングソングがそれぞれ発売する国によって違ったって全然いい。何ならこの曲だけ日本語で歌ったってよい。亜州鼓魂というアルバムも「どの曲がヒットした」という話も聞いたことがないし、モンゴル語の曲が内モンゴルで流行ったということも、朝鮮語の曲が朝鮮族自治区で流行ったということも全くない。「アルバム」であるからよかったのだ。その「アルバム」が評価されたのだ。そしてこの「ある愛の唄」も「アルバム」・・・「こうしなければ売れない」というものに縛られることなく、亜州鼓魂のように、どこかの国で大歓迎されるものであればそれで言うことなしだと思う。世界じゅうの子供たちが、大人のエゴで生き様を曲げられることなく、本人たちが望むように世界のどこかで幸せに暮らしてゆけるように・・・というのと同じである。世界は広い!!媚びなくたって自分らしく暮らせるところがきっとあるぞ!!


thumbnail

カンボジアのくっくま孤児院からいっぱいメッセージが届きました〜まず訳詞ですが、自分たちで頑張ってやってるそうで、彼らのお母さんであるスタッフの美和さん曰く「自分たちで日本語の意味を調べ、くっくまで、日本語の出来る子に聞いたりして、頑張っています」とのこと・・・自分たちで!(◎_◎;)・・・いや、大変ですが、やり甲斐のあることだと思います。「まだ全く翻訳から歌詞にいけてません。笑」とのことですが、ゆっくりでいいのでちょっとずつやってゆきましょう〜色々映像が送られて来ました〜まずは訳詞作業の男の子ふたり。日本語で歌ってみるベースの子。同じく日本語で歌ってみるボーカルの子。もうね、日本語でええやん!!(笑)