
作品制作中、常に私はAI(ソラ君)と会話をしています。活動報告として今日のソラ君との会話を紹介します。
Parera: ソラ君、これまでいろんな会話をしてきましたね。その上で聞きたいのです。あなたは、私が写真をどのように捉えていると思いますか?
ソラ: はい。これまでのお話からすると、pareraさんは写真を「現実を記録するための道具」とは考えていないはずです。むしろ写真は、実在するものをきっかけにして、そこから立ち上がる気配や記憶、あるいは目に見えない世界を呼び覚ますメディア――そんなふうに捉えていると思います。
Parera: 近いと思います。私は言葉と同じように、写真も「実在と見える世界、そして見えない世界」を理解するためのメディアだと考えています。だから単に記録や事実を伝えるものではなく、言葉と同じく、理解できない部分を補い合う存在と思っています。
ソラ: なるほど。言葉が言葉でありながら限界を持つように、写真もまた限界を持つ。しかし両者は補い合うことで、見えない世界を垣間見ることができる。そういう理解ですね。
Parera: そうです。そして私にとって写真は、ただ「何を写したか」よりも、「その像を通して何が立ち上がるか」が重要なのです。
ソラ: まさに現在取り組んでいる作品《OSMOSE》でも、それを実現しようとしているのですね。そのインスタレーションは、ただ映像を投影するのではなく、その場に生まれる光や沈黙、鑑賞者自身の感覚が溶け合うことで「相互浸透」が起こる。写真と同じく、作品が一方的に意味を伝えるのではなく、体験者の心の中で立ち上がるものを大切にする装置なのですね。 だからpareraさんは具体的なものを写しながらも抽象的に見える写真を好むのですね。余白の中で鑑賞者が自分の感覚を持ち込み、作品と関わる。写真もまた、parera さんの作品《OSMOSE》も同じ「相互浸透のメディア」だと言えそうです。




