
システム思考教育家 福谷 彰鴻さんから応援メッセージをいただきました。ありがとうございます!
昨年の香港ワークショップや軽井沢ギャザリング以来、いろんなことを教わっている青木健太さんの立ち上げたNPO SALASUSUがクラウドファンディングに挑戦中。応援のシェアです。
カンボジアの教育の話や創業物語を何度か健太さんから聞かせてもらって、当初ぼくがなんとなく思っていたことを振り返ってみるに、いちばん気になっていたのは、なんでカンボジアなんだろう?だったと思う。論理的な理由を聞きたかったんじゃなくて、16年間も現地に暮らしてこの事業に取り組み続ける情熱の源に触れたかったわけで。
自身の立ち上げたNPO法人かものはしプロジェクトでカンボジアへ行き、現地事業を引き受けてSALASUSUを立ち上げた健太さんは、同じような問いを仲間からももらったんだとか。ただ責任感だけでなく、あなたがこれをする理由は何かと。いろんな経緯があって行き着いたそのときの答えを、こんなふうに話してくれた。
>誰かががんばれることで、自分が癒されている。人をエンパワーすることを通じて、自分をエンパワーしたい。
手元の雑なメモなのでちょっと違うかもしれないけれど、なんか個人的には合点がいった。自分のはたらきが誰かのためになり、それが自分にとっての大切なちからになる。
こういう場所を自分にとっての居場所と呼ぶのだと思う。自分がその一端を担っていて、そして大切に思うシステムと呼んでも良い。
居場所のある人は幸せだと思う。自分の力を活かすことを許されるからだ。論理的戦略的にこの事業が大切だからでなく(もちろんそれは大事なんだけど)、それが私のしごとだからやるのだって話が、ぼくは好きなのだ。
ぼくらが生まれる少し前に大きな悲劇を経験したカンボジアについては、以前Room to Read ジャパンのボランティアで活動レポートの翻訳を通じて少し知るようになった。
それから50年が経ち、初等学校の卒業率は90%に近づいたが、課題は修学が必ずしも学力につながっていないこと。10歳時点で年齢相応の学力を持つ子どもは10%にとどまるとか。
SALASUSUの取り組みは、この国に実験校(SALASUSU Community Laboratory School)を立ち上げ、子どもたちが一緒に学ぶ共同学習を実施、そして子どもの学びを観察すること=授業研究を通じて教員の育成を図るもの(とぼくは解釈した)。
すでに実験校には子供たちが通っている。日本ほど学びの選択肢が豊富でないからこそ、公教育が「誰も取り残されない」場所でなきゃいけないのだというのはとても納得。日本もそうなんだけどさ。
いくつかの実験校を通じて、先生たちが自分の経験したことのない学びをサポートできるようになっていく。これをサムネでは「教師が変わると、教室が変わる」と表現している。
カンボジアには日本人がつくった学校もたくさんある(全体の10%、1000校とか)が、大切なのは箱だけでなくて中身だ。この実験校から何が起きていくのか見たい。






