自分が能登に初めて関わったのは、令和6年能登半島地震直後にお手伝いした二次避難マッチングなんですね。
珠洲市在住の友人が「奥能登に住む5万人をいったん外に出す」と、夫婦で取り組み始めたので、さすがにそれは無茶だろうと「コールセンターつくるよ」と申し出たのがきっかけ。
宿泊事業者とのマッチングは別プロジェクトが進んでいたので、自分が関わったのは、宿泊事業者でない受け入れ先とのマッチング。
コールセンターは、こんな感じで立ち上がりました。
最も優先すべきは時間と考え、2日間でシステムを構築することを最初に決め、その時間で構築できるベターなシステムを検討。費用と時間の観点から、コールセンターの仕組みは全てクラウド上で構築することを決定。
インターネットの接続状況がわからず、高齢化率なども考慮し、対応窓口は電話に一本化。コールセンターのオペレーターはボランティアとし、SNSを中心に募集。
ボランティアできる時間がヒトによって異なること、オペレーターの負荷を軽減すること、かかってきた電話は全てでること、を考慮して、IVRを使って電話の振り分けを行った上で、留守録へ。オペレーターは留守録を確認し、順番に折り返すことに。
オペレーターの費用負担を減らすために、電話アプリを一括契約し、アプリを配布。情報共有のため、毎朝Zoomミーティング。情報共有はGoogleドライブ、Googleチャット、Googleスプレッドシートを利用。
新型コロナ禍によって図らずも進んだクラウド技術が、所々で活かされました。
このシステムが構築できたのは、自分が学生時代にコールセンターの構築や運営のバイトをしていたから。珠洲市に住む友人とそのバイト先で出会っていたから。災害対策の情報技術について研究していたから。募集したボランティアの中に、コールセンター業務経験者がいたから。
すべて、たまたまだったんですね。






