
「あなたにとって、働くとは何ですか?」
という質問がちょっと嫌なんです。
取材の現場でこう聞いたら、相手の回答を考え込む良い表情が撮れて、答えを得られて、印象的な言葉を記事に落とし込めます。
よかった、今回もいい記事が作れるぞ。
でも、それでいいのかな?
という戸惑いが、手探りながらも取材を重ねてきた私の正直な気持ちです。
答えを急いでしまうと、相手は伝えたつもりになったり、こちらも理解したつもりになったりしてしまう。そして、それらしい言葉に書き表してしまう。
ある人にとって今の「働く」は、幼いころから今に至るまでの体験や学び、出会った人たち、喜び、衝撃、挫折、嫉妬、失望などなど、いろいろなものが絡み合った帰結の一つ。一つ一つの要素無くして、今の「働く」は生まれていません。
それを蔑ろにしている感覚がちょっと嫌なんです。
とはいえ、時間制限と文字数制限のある中で形にするためには、必要な問いかけであることもまた事実。
本当は、もっと時間をかけて理解しようとし続けたい。
相手の話を遮らずじっくり耳を傾けたり、横道に逸れたり、一緒に思考を深めたり、互いに言葉に悩んだり、質問する側の自分が逆に問いかけられたり。
語り手だけが経験した人生を「伝わったかな」「理解できたかな」という不安を互いに抱えながらも積み上げる対話。語り手が、聞き手を巻き込みながら自分と向き合い語ることで、その人にとっての「働くとは」が、やっと見えそうになってきます。
向き合った時間もはらみながら書き表された言葉は、すぐには役立たないかもしれないけれど、話した人、取材した人、読んだ人みんなが、新しい歩みを踏み出す道しるべになるはずです。
「あなたにとって、働くとは何ですか?」
その質問の代わりに、「あなた」が経てきたものを、これでもかというぐらい聞かせていただきたいです。




