
こんばんは、金七です。
昨晩は目標支援額に皆様のおかげで届くことができました、あらためて感謝申し上げます、有難うございます。
大雨も今日はおさまっているようですが、能登へ向かう道路が多く損傷しています。
復旧や災害に強い道路がどの地域でもあればいいなと思っています。
きっとこの方たちも今はいろんな場所に赴いていると思います
「災害NGO」
CAMPFIRE本文中にも記載していますが、能登半島地震まで存在を知りませんでした。
そして大活躍していただいた。
金沢へ二次避難中に、「もうすぐボランティアの募集が始まり貴重品出しなどができるかも」と耳にしました。 ボランティアの受付になるところに電話したものの、「赤紙や事業者のところには派遣できない」といわれました。 この時、壊れたことを見たよりもショックは大きかったです。
家族だけでは酒米3トンを手運びするのは困難すぎたのです。
地元の消防団でもある親戚から、行政や社協とも連携している災害NGOを紹介していただきました。 当時お風呂などは能登になかったため、時折金沢まで身支度を整えにいらしたときに直接お会いして、質問や活動内容を聞き要望をお伝えました。
お正月の夕方から能登へ沢山のチームが向かい、阪神淡路大震災以降沢山の災害支援の経験と知識、訓練もされています。 費用は日本財団などが支援されていて、被災者に負担をお願いすることはないです。
LINEや電話で、松波酒造と金七家の状況を伝えて、現地には安全確保をした若い方たちが全国から集合してくださいました。 1月末から多い時には週に一回、取り出し作業をしました。
明るくて面白く、気が利く方ばかりでした。
「被災地に行くには明るくないと!!」
人手のみならず、道具・重機・発電機まで手配してくださいました。
はじめは、今日は少しでも何かできるだろうかと不安だったのに、帰るころには楽しくて充実していました。 会うことが楽しくなったのです。
逃げ出したときや何度か家を見に行った時は、「何か持って出たい」という気持ちはあれど、その瞬間に揺れて閉じ込められる怖さで手にしませんでした。
逃げることは最優先です。 私はスマホとPCとPCコードだけ持って逃げました。
二次避難で松波を離れた時も、すべてをあきらめましたが、落ち着いてから沢山の協力で全てではないけれど取り出すことができました。
今も沢山の被害が出た場所があると思いますが、本当に助けて下さる災害NGOの存在は大きく、頼っていいものと思っています。
そのおかげで、たくさんの大江山がお客様にお届けができました。



