
彼らにこんなことを伝えていました。
「昔々、日本はとても貧しい国だった。
今から80年前、日本は戦争をしていた。
東京や大阪などの大都市は何度も爆撃され、街は焼かれていった。
広島と長崎に原子爆弾が投下され、多くの人が亡くなった。
当時、都会に住む富裕層は、郊外の安全な地域に避難していた。
街には多くの貧困層。
多くの男性は戦地に行き、女性と子どもや労働者が街に残っていた。
そんな街が攻撃され、親を亡くした子、子を亡くした親もたくさんいた。
戦後、お好み焼き屋を始めた女性達は、最初っから自分一人で自立できていたかというとそうでもない。
生き残った街の人たちが、彼女たちを助けていた。
彼女たちがお好み焼き屋を営むために、工場で働く労働者達が、彼女達が使いやすい鉄板を作ったり、コテ(ヘラ)を作ったり、ソースを作ったり、いろんな人が少しずつ彼女たちを助けていた。
彼女たちもそれに応えるために、労働者達に美味しいお好み焼きを食べさせてあげたいと一生懸命、努力した。
そうやって助けあいながら、街は少しずつ復興していった。
助け合いの精神
私たちは、彼女達を助けた街の労働者のような存在になれる。
彼女たちが働きやすいように、自分たちで収入を得れるように、ちょっとずつちょっとずついろんなサポートをしていくべきだと思う。
国の経済レベルで見たら日本の方が豊かな国だと思う。でも日本人だけがサポートするのではなく、ウガンダの皆さんもちょっとずつサポートしてほしい。日本人とウガンダ人が共に課題を解決し、共に発展していくことを私は望んでいる」
先日の試食会で、マネージャーのピーターさんが「これは遊びじゃないんだ!」と女性達に叱咤している姿を見かけました。
彼はいつもクールで物静かな印象だったので、そんな一面もあるんだと新鮮でしたが、それだけ長い間、彼はこの地域の人達を支援してきたという彼の熱意を感じました。
日本とウガンダを比較すると、どうしても日本の方が経済的に発展していて、ウガンダの方が途上国といったイメージを持たれる方も多いと思います。
でもウガンダの人たちも、自分たちで自分たちの地域の課題を少しでも解決しようとできる限りのことはやっているように感じました。
お腹が空くと、誰かからお金や物を奪いたくなるし、食べ物を持っている人を見ると妬んでしまう。そして犯罪に手を染めてしまう。
女の子達も、お腹が空いてお金もないから、生きるために風俗の道に進む。そして望まぬ妊娠をし、若年出産をする。
彼らはそんな光景を何年も見てきたのでしょう。
これらはアフリカで起こっている現実ですが、日本でも同じです。
私は、日本人だからアフリカ人だからというのではなく、共に課題を解決する仲間だという姿勢はこれからも貫いていきたいです。
日本が誇る「粉もん文化」で、アフリカの貧困層が収入を得れるようになれます。きっと。
それを実現するには、「人と人のつながり。ちょっとずつ助けあう」が最短距離で確実で、日本もアフリカも共通しているのだと確信に近いものを感じました。






