850年の伝統を未来へ ― 福岡県田川郡香春町・流鏑馬神事の継承プロジェクト

福岡県香春町の「鎮西鶴岡流鏑馬神事」は長い歴史を持つ伝統行事です。 しかし過疎化と関係者の高齢化により、昨年は開催が途絶えました。 今年度からの復活と継承に向け、次世代の育成や、施設・装具・衣装の整備へのご支援をお願いしております。

現在の支援総額

867,000

28%

目標金額は3,000,000円

支援者数

120

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/07/16に募集を開始し、 120人の支援により 867,000円の資金を集め、 2025/09/15に募集を終了しました

850年の伝統を未来へ ― 福岡県田川郡香春町・流鏑馬神事の継承プロジェクト

現在の支援総額

867,000

28%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数120

このプロジェクトは、2025/07/16に募集を開始し、 120人の支援により 867,000円の資金を集め、 2025/09/15に募集を終了しました

福岡県香春町の「鎮西鶴岡流鏑馬神事」は長い歴史を持つ伝統行事です。 しかし過疎化と関係者の高齢化により、昨年は開催が途絶えました。 今年度からの復活と継承に向け、次世代の育成や、施設・装具・衣装の整備へのご支援をお願いしております。

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御礼。
2025/10/06 22:08

天気が微妙で心配されましたが、ご協力いただいたすべての皆様のおかげをもちまして、昨日無事に令和七年の流鏑馬神事を開催することができました。山と川と空が美しくて、その中を颯爽と駆ける馬・射手。流鏑馬行列。映画のワンシーンような絵になる光景でした。実に2年ぶりの復活です。本当に本当にありがとうございました。わからないことだらけで先輩方にダメ出しをされたり、あらぬ批判をあびたり、仲間内で意見がわかれたり、思うように行かないことも多く、いいことばかりではありませんでしたが、一つ確かに言えることは絶対に「やって良かった」ということです。そしてやり終えた今、みなぎる達成感とともにあらためてこの町の可能性を、人々の温かみを、美しい風景をとても誇りに思うのです。保存会のメンバーは一人一人が個性的で唯一無二の人材ばかりで本当に頼れる仲間でした。その仲間たちと酒を酌み交わせるのもまた喜びでした。僕らはたしかにバトンを受け継ぎました。来年に向けてさらなる進化を目指し、また今日から始まります。重ね重ね、本当にありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。P.S  人生の道に迷ったら、ぜひ鶴岡八幡神社にお越しください。静寂の中で神社の森の空気を吸ったら何か変わるかもですよ。猿田彦が道案内のお手伝いをしてくれるかもしれません。皆さん、来年はぜひ一緒にやりましょう!


鬼嫁の思い出
2025/09/14 22:36

流鏑馬のクラウドファンディングあと1日となりました。現在115名以上の支援者に応援していただき、香春町内でも奉賛金が集まっております。ありがとうございます!まだ1日ありますので、まだという方間に合います。今日はこの鶴岡八幡神社の流鏑馬の思い出を書きたいと思います。私は36年間生まれ育った大阪を離れて、結婚を期に福岡県の田舎町に引っ越してきました。私はどこでだって暮らしていけるよ!という自信の反面、自分が築いてきた暮らしのスタイルを閉じていく、沢山の友達と気軽に合えなくなる、仕事も知り合いもない土地。ましてや、完全なペーパードライバーだった私が、車がないと生活に不自由な場所でやっていけるだろうか。という不安もありました。大阪での暮らしでは得られなかった、豊かな自然や食べ物、楽しみはすぐに見つけられました。だけど、文化的なものに触れる機会がめっきりなくなってしまい、(車を1、2時間走らせればありますよ)寂しく感じていました。そんな生活を半年ほどした頃、結婚式を行った鶴岡八幡神社で流鏑馬神事があったのです。初めて見る流鏑馬。力強く美しい馬。射手の凛々しい顔。こんな身近な場所で、流鏑馬が見られて嬉しい、この町も捨てたもんじゃない。その後三つ子を妊娠、出産ということがあり、流鏑馬を見にいける状態ではありませんでした。特に三つ子出産後は、1日の睡眠時間が2時間というような日が何ヶ月も続き、起きている間は、3人の赤ちゃんの世話があるため、家を一歩も出ることが出来ないのが当たり前の生活でした。買い物も、生協や夫に買ってきてもらうなど。外の生活と遮断されているようでした。三つ子が一歳になった10月。「流鏑馬が見たい。子供達に見せたい。」と思いました。三つ子をワゴンに乗せて、当時住んでいた家から流鏑馬会場は歩いて15分ほど。しかし大きなワゴンを押しながらの、会場までの道のりは遠く感じられました。田んぼ道を必死で、しかしワクワクしながら歩きました。数年振りにみた流鏑馬。子供達の目線から見ると、さらに勇ましく、なぜか胸がキュッとなり涙が出ました。まだ一歳の子供達には、なんなのかもわからないし、記憶にも残らないだろうけど、連れて来れて良かった。私も見られてよかった。この町での育児、頑張ろう。そう思えました。その後、育児はさらに大変になり、流鏑馬を見に行く余裕もなくなり、ついに流鏑馬自体の開催が途絶えてしまいました。今回流鏑馬神事復活のために、流鏑馬保存会が有志で立ち上がり、イラストという形で関わらせていただいたことを本当に嬉しく思っています。きっと、流鏑馬神事は誰かの心に何かを刻む機会になると思います。私の鶴岡八幡神社流鏑馬神事の思い出でした。あと1日!まだ間に合います!是非ご支援よろしくお願いします。


すっかり恒例となった水曜日の夜の定例会、オッサンたち、社務所に集まって奉賛金の打ち合わせをしながら、今度はミニ当たり的の製作に勤しみました。こちらは実際の当たり的のミニチュア版で、ウチの鬼嫁は関係ないため好きなご意見をお寄せいただけます。こちらも完全手作りで、オッサンたちが汗と鼻水を垂らして丹精込めて製作しております。キーホルダーにもまして仕上がりに素人感が出ますが、まあ、その味わいもお楽しみいただけたらと思います。こちらも実際に流鏑馬で使用する当たり的を約5センチ四方にカットして、絵柄を焼き付けているため、裏側には当たり的の文字が残っています。当たり的なので縁起物です。当たります、きっと。携行すれば各種宝くじや新規事業・これからGⅠシーズンを迎える競馬の馬券・ホームランバー・金のチョコボールなど、普段より当たりやすくなること間違いナシ!嫌いな上司のおでこに貼って、ゴムパッチンの的にするなど、流鏑馬風の粋な使い方もあります。我々、保存会では早速ですが後藤さんで試してみます。このプロジェクトもあと残り4日。いよいよラストスパートの時期に入りました。ぜひぜひお知り合いの方々に輪を広げていただけるとありがたいです。このごろは時期が近づいてきたため具体的な活動も増えています。今月はみんなで草刈りマサオになります。当日の天気だけは頼むよー、神様〜!


9月5日のYahooニュースに鎮西鶴岡流鏑馬保存会の記事を取り上げていただきました。https://news.yahoo.co.jp/articles/caf64e9760ea6c47ad95e45c208cbbe248a38927見てください、このオッサンたちの笑顔。若干ウソくさいタモツ会長の笑顔。覚醒前の傘がないエリンギ奉行様の爽やかさ。一番右のワタクシは高額のツボを売っているようであり、唯一良心的な感じなのが会計担当の圭三君です。一見して仲良く楽しくやっている雰囲気が伝わってきます。最近は衣装合わせや着付けなどを行なっていますが、徐々に本番が近づいて来たなぁと思うこのごろです。このプロジェクトもあと一週間。いよいよカウントダウンが始まっています。皆様、あらためてお知り合いの方に紹介いただいて輪を広げていただければと思います。ここからがラストスパートです。ぜひ当日も一緒に楽しんでいただきたいです!よろしくお願いいたします。


小さな手
2025/08/26 22:01

 活動報告ではないのだけれど、今日は我が家の小さな習慣についてご紹介したい。鶴岡八幡神社の参道を通る道すがら、あの77段の階段の下に差し掛かると僕は運転中の車中から二度柏手を打って会釈をする。(良い子の皆さんはマネをしないでください)わが子を小学校や保育園に送迎する際も行っていたので、子供たちも小さな手を打って真似をする。今ではすっかり我が家の習慣となっている。 幼い頃から鶴岡八幡神社は我が家の由来もあって、心情的に身近な存在だった。神社に行くたび、あれがしたい、これが欲しいといった小さな願いから、自分の将来に関わる大きな願いまで何かしらのことを拝殿の前で願った。正直、それらの願いが叶ったことはほとんどない。でも心の整理は確実につく。 モノの本によると「昔は神祭りという行為により、人から感謝の心を奉納ほうのうされることで神の力は補われていた。そして人は、その神から恩恵を受けていた。神と人とは、お互いがお互いを生かしめる、そんな存在であったのだ」とある。人間が神に対して自分の願いを叶えてもらおうとする現代の考え方とは正反対ともいえるものだ。 流鏑馬神事の意味も感謝の心を神に奉納することにつきる。  いつからか僕は神社に参拝する際には「いつもありがとうございます」と念じるようになった。そのことに意味があるのかどうかはよく分からないが、そうしてみると、ただ願いを言っていた時より、不思議と誇らしいような清々しいような気持ちになれる。  けれど、世の中では戦争や食糧危機など不穏当な話ばかりを耳にする。そして遠く離れた地で起こっているそれらのことに関して、一介の凡人である僕にできることなどあるはずもなく、ただただニュースを眺めては自分の無力さを痛感させられている。そんな日々が続くとどうしても神に願わずにはいられなくなる時がある。この世界に平和な未来を、全ての人に幸せを。 長く歴史ある行事の復活を期して、ともに頑張っている保存会の面々は、本当に純粋な気持ちで日々準備にあたっている。あらためてこの地域の未来を、可能性を感じながら心美しき同志たちとともに歩めることに感謝である。 幼い我が子たちが合わせた小さな手を見つめながら、ふと祖父が幼い僕を抱くお宮参りの写真を想い出した。祖父や父、あるいはもっともっと先人たちが大切に受け継いできたものを僕たちも子や孫に伝えて行かなければならない。参道脇の水田を渡る緑の風を、社の森の深い青さを、夕陽に染まった香春岳の鮮やかさを、この小さな手に握らせてあげたい。このプロジェクトもあと20日。皆さま、よろしくお願いいたします。


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