四元 康祐(よつもと やすひろ)さん
1959年生まれ、詩人。谷川さん関連の著作に『谷川俊太郎学 言葉vs沈黙』、「芸術新潮 2025年3月号〈谷川俊太郎への道順〉」「現代詩手帖2025年9月号 〈谷川俊太郎追悼座談会〉」など。近著に『詩探しの旅』『ミャンマー証言詩集 いくら新芽を摘んでも春は止まらない』。本年7月には留萌から宗谷岬まで自転車で旅してきました。
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初めて四元さんのお話しを聴いたのは、2022年8月。いつも好んで聴いているXのスペース(音声配信)「#礫の楽音」(和合亮一さん、平川綾真智さん、ikomaさん主催)にゲストでご登場した時。柔らかな声、鋭い指摘、海外が長かったからこその日本語への違和感、ご家族のお話など、ざっくばらんな会話のなかに、柔らかで芯の通ったお人柄を感じました。
動く(!)四元さんを初めて拝見したのは、翌年2023年1月。期間限定で動画配信されていた、早稲田大学で開催されたイベント「今更、谷川俊太郎」でした。『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)著者の尾崎真理子さんや、高橋源一郎さん、伊藤比呂美さんと並び、俊太郎さんのお話をいろいろされています。俊太郎さん作品との出会いのエピソードの中で、「文学って病んでいなくてもいいのか(中略)あれは文学少年だった僕が文学という梯子を外された経験でした」という言葉に一気に惹かれ、「もっと四元さんのお話を聴いてみたい」と思うようになりました。(『ユリイカ2024年3月臨時増刊号/92年目の谷川俊太郎』に全文掲載)

次に四元さんの文章を読んだのは、俊太郎さんが旅立たれてのち朝日新聞に載ったインタビューの言葉、そして心に深く響いたのは、今年1月に四元さんがSNSにアップしていた追悼詩(西日本新聞掲載)でした。(画像ご本人のfacebookより拝借)
朝日新聞記事 https://digital.asahi.com/articles/DA3S16094038.html

俊太郎さんが旅立ってしまった、そのことに呆然とした日々を送っていた私(と、他にもたくさんいらっしゃるであろう方々)の心に、ふっと寄り添ってくれるような文章でした。
俊太郎さんは、生きることと死ぬことは地続きだと言っていたし、不自由な体から解放されてきっと今はあちこち行けることを楽しんでいる——そう自分に言い聞かせながら日々を送っていた私には、その思いを肯定してくれるような、ああ、こうして受け止めているのは私だけじゃない、という思いが溢れました。
ある日、三角さんから「四元さんが札幌にいらっしゃるので、二人で朗読&トークのイベントをしたい」という連絡をいただきました。やっとお会いできる、しかも三角さんと一緒に!と嬉しくなりました。3月8日、「詩と旅」というテーマでトーク。会場には御徒町凧さんや文月悠光さんら、俊太郎さんと縁のある方々が何人も。あ、きっと俊太郎さんいらっしゃってるかもと思いました。このイベントの内容を決めるための打ち合わせをzoomでした時。四元さんから「俊太郎さん追悼の内容にしたほうがいい?」と聞いてくださったのですが、俊太郎さんならどう答えるかな?と考えた時、ことさらにご自分をクローズアップされるよりは、あなたの話を聞かせてよ、と言いそうだなと思い、よく旅をするお二人ならではの内容となりました。(話に集中しすぎて写真を撮らず。汗)
その頃と時期を同じくして、『芸術新潮』には谷川賢作さん、志野さん、そして四元さんの文章が載りました。四元さんのページは「谷川俊太郎への道順 10の窓から望見する詩の宇宙」と題された、もうこれは谷川俊太郎論と言ってもいい大作。ご自身の経験や、俊太郎さんとの会話なども交えながら書かれています。

四元さんは、俊太郎さんがたくさん書かれた言葉があるから、これからも何度でも俊太郎さんと出会えるということを思い出させてくださる存在です。クラファン応援も、心より感謝申し上げます。




