
あなたが初めて訪れた街で、地元の食材をつかったお店で食事をしたとしましょう。
家庭料理と呼ばれるひと皿であったり、地元の料理を現代風にアレンジした料理など、さまざまな手法で作りあげられた食事を体験することができるでしょう。


山の中のお店なら、野菜やお肉などが地元の食材として使われることが多いでしょう。山間部であれば、ふんだんに食材が手に入るわけではないでしょうから、発酵食品や調味料なども使っているかもしれません。


海に近いお店なら、お魚が多いでしょうから、お魚の種類を聞くと、港の大きさもわかるでしょうし、沿岸の海域の様子も想像することができます。水産加工品・調味料があれば、地元の味わいに影響を与えているはずです。


海なのに山の食材があれば(その逆もしかり)、古くからの交易ルートの名残がいまだ生きていて、そこには現代とは違った文化の繋がりをみてとることができるでしょう。


提供される器やお皿も近くで作っているものであれば、その地域の山を想像する手掛かりにもなります。石なのか、土なのか、木なのか。それによって地域の景色を見る目が変わるでしょう。
提供される飲み物も、情報の宝庫です。とくにお酒は、江戸時代以前に貨幣の価値をになっていたお米が原料になっています。その貴重な米を酒にして売り出し、それを飲む人がいたということを考えると、その地域の今とは違う街の活況も想像できます。


近年では、ワインやビール、蒸留酒などさまざまなお酒が地方で作られています。新しい技術だけでなく、外からの人材も多く入っているこうした動きがあるエリアでは、元々の住民と移住者の活発な交流があるといえるでしょう。

訪れた先の飲食店での食事で、こんなにもたくさんのことを感じとることができるってすごいと思いませんか?これが食の力であり、食が文化とよばれる所以だと思っています。
ガストロノミーの手法を使えば目で見える以上のものが見える
「ガストロノミー」という言葉を知っていますか?
元々食のメディア(紙媒体)にいたので、当たり前に使っているワードなのですが、最近いろいろなところで使われているのを目にします。
「ガストロノミー(gastronomy、仏語)」とは、古代ギリシャ語の「ガストロス(消化器)」と「ノモス(学問)」を組み合わせた言葉です。日本では、「美食学」と訳されています。
高級料理店でよく使われる言葉なので、「値段が高いレストラン」を指す言葉と解釈されがちですが、じつは「高級料理」「上級料理」を意味する「オートキュイジーヌ(Haute Cuisine)」が別にフランス語にあることから、別の概念として理解されています。
さまざまな解釈があるのですが、僕自身は言葉の成り立ちを重視したいと思っていて、ガストロノミーは単純な料理のジャンルではなく、体系化された「学問」だと考えております。
つまりガストロノミーは食を通した人間の根源的な知の探究、食による人間理解・社会理解、社会課題の提議・解決を実現するための手段であるのです。
さきほど、初めて訪れた街での食事から、その土地の文化を想像することができるというとは、ガストロノミーがもつ学問的手法をもって行っているといえます。
そうすれば、美しい山のすそ野に広がっていた里山は、そこに栽培されている作物まで見えるようになります。車の中から見た多様な植物が彩る原生林も、そこにシカやイノシシが木の実やキノコを食べて生きている景色をその奥に見えるようになります。港から見ていた海も、そのなかに泳ぐ魚を見ることができます。
食事をすることでその土地の景色が、いま目で見ている外見的なものだけではない、その向こう側まで見えるのです。




「感動」から「絶望」を差し引いたときに、少しだけ残った「感動」
現在行っているクラウドファンディング「ガストロノミーダイニング」を行いたい理由は、まさにここにあります。
しかし、ガストロノミーがどうして地域振興に役立つのでしょうか。
フランスの政治・経済学者で『食の歴史』の著者であるジャック・アタリ氏は、人間の食とともに発達した言語について同書でこのようなことを書いています。
「食と言語の誕生は密接な関係にある。食は会話のテーマであると同時に、食事はおしゃべりの場だった。食事中の会話は親交の証しなのだ」
ジャック・アタリ著『食の歴史』(プレジデント社刊)
ガストロノミーダイニングを囲むとき、おのずと人々は冒頭のような考えを描きながら食事をするでしょう。そのとき生まれる会話は、食から考えを巡らした「地域」の話しになるはずです。
日本には失ったら取り戻せない、美しい景色や文化がたくさんあります。多くの人は、それを残したいと考えるでしょう。
しかし実際はというと、人口が減少し担い手が不足していく状況では、今この瞬間も失われているものがたくさんあります。
「人間は、これまでも多くのものを失ってきたのだから、その意味では昔も今も何も変わっていない」と考えることもできます。絶滅した生物、途絶えた技術、変わってしまった景色の繰り返しのうえで今があります。「しょうがない」と、諦める方が利口なのかもしれません。
しかし、初めて訪れた街の美しさに胸を奪われてしまったとき、「この景色が失われてほしくない」と考えることも、また人間の真実なのではないかとも思うのです。
ガストロノミーダイニングに集まった方々の食卓の会話によって、地域の過疎化が改善されるとも思いません。しかし、ガストロノミーダイニングの食卓でこの土地の魅力を語り合うことは、地域の魅力を再定義することであり、地域の人たちにとっても勇気と希望を与えるものになると考えています。
僕が、「日本で最も美しい村のガストロノミーダイニング」を開催したいと考えたのは、こうした「食から感じた感動」から「人間へ無力さへの絶望」を差し引いたときに、少しだけ残った「感動」が「知ってしまったのに、知らんぷりできないでしょう?」という想いなって突き動かしています。
「なぜ僕が、地方でガストロノミーダイニングをしたいと考えるのか」
それは、「感動」がほんの少し残ってしまったからなのです。




