




関門橋を渡って、下関の藤原義江記念館(紅葉館)へ会いに行ってきました。関門海峡を見下ろす丘の上に、白い洋館が静かに佇んでいて、館内には当時の空気がそのまま残っているようでした。
藤原義江は、海外で研鑽を積み、帰国後は歌劇団の創設などを通して、日本にオペラを根づかせるために走り続けた人だと伝えられています。今日の訪問は、私にとって“声の系譜”へのご挨拶でした。
そして実は、義江さんがいたから、私はいまベルカントをしています。私の恩師は、放送の現場とオペラの現場をつなぐ仕事をしていた人で、通訳やプログラム(パンフレット)制作、歌劇団の歌手へのイタリア語指導など、舞台の裏側を支えていました。若い頃に歌手としての道を一本に絞れない事情もあったと聞いていますが、それでもイタリア語とオペラの現場を生涯離さずに歩み、晩年は自宅で小さな発声研究の場をつくりました。私はそこで弟子として、発声法を受け取りました。
私は音大出身でも医療者でもありません。けれど、現場で培われた発声の知恵を、日常の練習に落とし込む道具として形にしたいと思い、クラファンで「ベルカントから生まれたリップピース」を製作しました。今日はその製作のご報告ができました。
義江さんの歌には哀愁があります。波浮の港、出船の港、ちんちん千鳥、からたちの花、、、
港町の物語には、待つ人の時間が流れます。(余談)
『蝶々夫人』の蝶々さんも、海を見ながら、来ない人を待つ。
そして港には、当時「混血の子ども」と呼ばれ、居場所を探しながら育った子どもたちの歴史も重なります。
義江さんの歌にある哀愁は、甘さだけではなく、そういう“待つ時間”の影と隣り合わせなのかもしれない——そんなことを考えてしまいました。



