ねっこぼっこのクラファンを応援、ご支援していただいたみなさま、その節は本当にありがとうございました。また、その後の発信ができておらず、申し訳ありません。今日はこれまでの経緯と、近況の報告をさせて頂けたらと思っています。クラファン終了後、すぐに小屋建設のための打ち合わせに入ったのですが、小屋の完成イメージやスケジュール等でなかなか大工さんが決まらずにいました。また建ててくれる方が決まってからも、耐震強度等、行政的な手続きをクリアする為の諸々に悩まされていました。その為、この冬にこどもたちが寒さをしのげる場所を完成させたいと思っていたのですが、間に合わずに春が来てしまいました。みなさまも冬の完成を思い浮かべられていたと思います。申し訳ありませんでした。ですが、そんな中でもこどもたちはたくましくこの冬を過ごし、卒園・進級の季節を迎えました。また小屋建設プロジェクトも進んでいます。現在、完成イメージや材料の調達、おおまかな施工時期も決まり、最後の行政的な確認が終わりましたら、そこからググッと進む予定です。着工しましたら、写真等で状況をお伝えしていきますので、完成まで見守っていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
10/31、1ヶ月間のクラウドファンディングが終了しました。たくさんのご支援、ご協力をいただき、本当にありがとうございました。今回のクラファンを通して、みなさまに伝える(アウトプットする)ために、改めて自分たちの活動や、そこに込めている想いを振り返ることができました。また、これだけたくさんの方々に応援してもらえたということが自信になりました。この想いを持って、またここから、こどもたちとのかけがえのない日々を過ごしていこうと思います。またそんな日々をInstagramなどに綴っていきますので、今後ともねっこぼっこの活動を見守っていただけると幸いです。再度になりますが、本当にありがとうございました。リターンについては、これから送信や発送の準備にかかりたいと思いますので、もう少しお待ちください。今回初めての挑戦でよく分からず、最初の設定の時に「お礼のメール」の方の情報は「メールアドレスのみ取得」と設定しました。その為、直接のお知り合いであっても、誰なのか分からない場合がある旨、ご了承ください。今後とも、よろしくお願いいたします。お山のようちえん ねっこぼっこ清家 結生 由香理
自分のこう在れたらいいなって思いがあるけれど、ふいに色々なところで顔をだす。人と比べること。そして比べては自分のできない事に目がつき、自己嫌悪がむくむく湧いてくる。あるいは負けたくないという意識、人より秀でていたい!できない自分を見せたくない!できない自分は恥ずかしいから隠したい、認めたくない。自分の心の声より、どう見られるかをずいぶんと気にして生きてきました。自分の人生の操縦席に自分がいない…!と、気づいた時の衝撃ったら。本音で話すと、嫌われてしまうんじゃないかと思い、当たり障りのない言葉。こう言えばいいかな嫌な気持ちにさせないだろうかと、正解を探してしまう。正解なんてないのに。いつも本音で話さないから、周りから見られてるイメージと自身が感じる自分が鍾離していてむず痒いような違和感が、ずっとありました。嫌われたくないと思うあまり、いつしか自分の本心が分からなくなり、どこか上滑りをする言葉に、ため息をつく。当たり障りのない言葉は嫌われることもないけれど、特別好かれることもないことを感じて、またモヤモヤ。そうではないのかもしれないけれど、人は主観で生きているもので、人にそうじゃないといくら言われたとて、受けとれなかったのです。そんな色々な感情の癖は、幼少期、そして学童期に培われたものだと感じています。みんなと同じにしましょうルールだから守りましょう(何の為の誰のためのルールかも感じられないまま)わたしは人と同じことを理由もなくすることが苦手で反抗していました。そうすると、クラス中から無視されたこともあります。みんなやってるのにやらないのはズルいよね!などなど。そう思う気持ちも分かります。でも、みんなやってるからやりましょう!では、やりたくない。なぜそれをやらないといけないのかって腑におちないとできない、できるけどやりたくない。そんな思いを抱えながらも、自分を主張して生きるより。周りと調和することが生きやすさに繋がると思ったわたしは自分の感情に蓋をしました。そうすることで上手くやれていると。そんなわたしは、出産を経験し。子どもと暮らしているうちに自分の中の違和感に、気づきはじめました。子どもたちと向き合う日々の中、でてくるいろんな感情、自分自身の子どもの頃のあれこれ。しまい込んできた思い。たくさんのモヤモヤや、なんでこうなんだろうに、向き合ってきていろんな感情に気づいて受け入れ手放す。そんな機会を子どもたちが、ギフトしてくれました。そして、今わたしはその過程も愛しています。でも、子ども時代に⚪︎自分の気持ちを大切にする(大切にしていいんだと思えること)⚪︎人と比べる必要は無いこと⚪︎何ができるからとかじゃなくありのままの自分が最高なんだと安心していられること⚪︎周りの声じゃなく自分の心の声を聞けること幼少期から1人の人として尊重され、ありのままの自分でいいんだと。安心感の中で生きるそんな環境で育っていく子どもたちが生きる世界はとても希望と愛に満ちた世界だと感じ、そんな世界を子どもたちに手渡していきたいと思っています。目の前の、自然の中でおこる小さなワンダーに子どもたちと目と心を開いて感動しながら、日々を紡いでいきながらそんな世界が広がっていくことを夢みて。今日も子どもたちと過ごしていたいなぜ、この活動をしているのか、大切にしたい思いを言葉にしてみました。ここまで読んでいただきありがとうございました。子どもたちがいきいきと自分を生きることは未来の希望です。そして、その子どもと共に生きる大人も健やかであれ!大人も子どもも、共に育ちあっていきましょう大人がいきいきと楽しんで生きていることは、子どもたちからみても希望です。これからも、ねっこぼっこの活動を見守り応援していただけると、ほんとうに嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。そして、自然の中で過ごすこと、とても気持ちがいいです!ぜひ、一緒に過ごしましょう。遊びましょう!ねっこぼっこ清家ゆかり
(→続き)選んだ専門学校は大阪。東京から大阪へ引っ越しての新生活。色々ありながらも国家試験に合格し、晴れて保育士の免許を取ることができました。そして保育園に勤めることに。この頃の僕の仕事観は「生活をするために仕事をする(お金を稼ぐ)」というものでした。ところがそこの園長は「保育が生きがい!!」というような人で、初めからそのギャップに悩み続けました。ここまで書いてきたように、僕にとっての保育士というのは夢や生きがいではなく、生活のための職業のひとつだったのです。その後、一度保育士を辞め、また保育士に戻った時に「やっぱり保育が好きなんやな」とともだちに声をかけられた時にも「好きとかじゃない」と返しました。そのともだちは、専門学校を卒業してから12年間、ずっと保育を続けていました。そんなともだちに対して、「保育士をしているのは生活のため」と思っている僕が「好き」というなど、おこがましいにもほどがあると思っていたのです。ねっこぼっこの開園準備期間、たくさんの方に「クラファンをしたら?」とアドバイスをいただいていたのですが、それが理由で踏み出せずにいました。(最終的に、個人的に支援は募りましたが)開園してからもその気持ちは残り続け、だから「目立たないように活動し、需要がなくなればそっと消えていく」という場でいいと思っていました。そうして3年が経ちました。この春、運営上の理由からねっこぼっこを閉めようと思ったのですが、その時に「この場を残したい」という思いが出てきました。「生活のため」であったはずなのに、生活が苦しくても続けたいも思っている自分に驚きました。その後、山口県にある森のようちえんでスタッフ体験をさせてもらい、自分たちのしていることを客観的な視点で見ることができ、改めてこの場の大切さを実感しました。そんなこんなを妻とともに振り返ってる時、「こんな自分が保育を好きって言ったらあかんと思ってたけど、やっぱり好きなんやな」という言葉が出てきました。どうやら僕は、保育が好きだったようです。この場を残したい。もっといい場にしたい。でも自分たちだけでは限界がある。今までならそこで諦めていたかもしれないけれど、今は好きと知ってしまったから、なんとかしがみつきたい。そう思ったときに、ずっと躊躇していたクラファンとも向き合うことができての今です。長々とありごとうございました。できる限り伸ばしていきたいので、最後のひと押しをよろしくお願いします。
「なるべく目立たず、細々と活動を続けていきたい」、ねっこぼっこを始めた頃に僕が思っていたことです。そんな僕が、なぜクラウドファンディングという目立つ(?)ことを始めたのかをつらつらと書いてみようと思います。中学生の頃は「何をしたいか」が分からず、夢を持っているともだちが羨ましく思えました。「将来の自分」というようなタイトルで作文を書く授業があり、全く思い浮かばずに、それでも書かなければとふざけて書いて、すごく怒られた記憶が今もあります。(「分からない」と書けなかった)高校に入ってもそれは変わらず、「とりあえずで進学したらきっと辞めるから」という理由で、大学に進学することはしませんでした。経済的にも裕福ではなかったので、とりあえず進学するという選択肢はなかったのです。そして都会への憧れから、「とりあえず」上京しました。仕事(アルバイト)をしながら暮らす中で、大学生になったともだちの長期休暇を羨ましく思い、学生への憧れが募りました。しかし、「せっかく自分で暮らすようになって親の負担を減らせたのに、また負担をかけてしまう」という思いがあり、しかも理由が長期休暇なため、親には言い出せませんでした。当時はファッションやインテリアなどのデザイン関係に興味があったのですが、そのような学校は学費も高い上に、卒業してからの進路が僕には見えず(その程度の憧れだったのです)、どんな仕事なら親に納得してもらえるか(今思い返すと、「自分自身が納得するか」ですが、当時は「親が納得するか」という視点でした)というところから「保育士」が出てきました。もちろんこどもとあそぶことは好きだったのですが、それまで、それを仕事にする気はさらさらありませんでした。そんな不純な(?)気持ちが、僕が保育士になるスタートでした。(続く→)





