自分のこう在れたらいいなって思いがあるけれど、ふいに色々なところで顔をだす。
人と比べること。そして比べては自分のできない事に目がつき、自己嫌悪がむくむく湧いてくる。
あるいは負けたくないという意識、人より秀でていたい!できない自分を見せたくない!できない自分は恥ずかしいから隠したい、認めたくない。
自分の心の声より、どう見られるかをずいぶんと気にして生きてきました。
自分の人生の操縦席に自分がいない…!と、気づいた時の衝撃ったら。
本音で話すと、嫌われてしまうんじゃないかと思い、当たり障りのない言葉。
こう言えばいいかな嫌な気持ちにさせないだろうかと、正解を探してしまう。正解なんてないのに。
いつも本音で話さないから、周りから見られてるイメージと自身が感じる自分が鍾離していてむず痒いような違和感が、ずっとありました。
嫌われたくないと思うあまり、いつしか自分の本心が分からなくなり、どこか上滑りをする言葉に、ため息をつく。
当たり障りのない言葉は嫌われることもないけれど、特別好かれることもないことを感じて、またモヤモヤ。
そうではないのかもしれないけれど、人は主観で生きているもので、人にそうじゃないといくら言われたとて、受けとれなかったのです。
そんな色々な感情の癖は、幼少期、そして学童期に培われたものだと感じています。
みんなと同じにしましょう
ルールだから守りましょう
(何の為の誰のためのルールかも感じられないまま)
わたしは人と同じことを理由もなくすることが苦手で反抗していました。
そうすると、クラス中から無視されたこともあります。みんなやってるのにやらないのはズルいよね!などなど。そう思う気持ちも分かります。でも、みんなやってるからやりましょう!では、やりたくない。なぜそれをやらないといけないのかって腑におちないとできない、できるけどやりたくない。
そんな思いを抱えながらも、自分を主張して生きるより。周りと調和することが生きやすさに繋がると思ったわたしは自分の感情に蓋をしました。
そうすることで上手くやれていると。
そんなわたしは、出産を経験し。子どもと暮らしているうちに自分の中の違和感に、気づきはじめました。
子どもたちと向き合う日々の中、でてくるいろんな感情、自分自身の子どもの頃のあれこれ。しまい込んできた思い。
たくさんのモヤモヤや、なんでこうなんだろうに、向き合ってきていろんな感情に気づいて受け入れ手放す。
そんな機会を子どもたちが、ギフトしてくれました。
そして、今わたしはその過程も愛しています。
でも、子ども時代に
⚪︎自分の気持ちを大切にする
(大切にしていいんだと思えること)
⚪︎人と比べる必要は無いこと
⚪︎何ができるからとかじゃなく
ありのままの自分が最高なんだと
安心していられること
⚪︎周りの声じゃなく
自分の心の声を聞けること
幼少期から1人の人として尊重され、ありのままの自分でいいんだと。
安心感の中で生きる
そんな環境で育っていく
子どもたちが生きる世界はとても希望と愛に満ちた世界だと感じ、そんな世界を子どもたちに手渡していきたいと思っています。
目の前の、自然の中でおこる小さなワンダーに子どもたちと目と心を開いて感動しながら、日々を紡いでいきながらそんな世界が広がっていくことを夢みて。
今日も子どもたちと過ごしていたい
なぜ、この活動をしているのか、大切にしたい思いを言葉にしてみました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
子どもたちがいきいきと自分を生きることは未来の希望です。
そして、その子どもと共に生きる大人も健やかであれ!大人も子どもも、共に育ちあっていきましょう
大人がいきいきと楽しんで生きていることは、子どもたちからみても希望です。
これからも、ねっこぼっこの活動を見守り応援していただけると、ほんとうに嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
そして、自然の中で過ごすこと、とても気持ちがいいです!ぜひ、一緒に過ごしましょう。遊びましょう!
ねっこぼっこ
清家ゆかり




