
(写真は40年前のジャマイカ モンティゴベイ)
カルマの始まり、の、はじまり1980年〜中野時代(連載6回目)
◆美味探求の旅路の続きのお話◆
前々回、アホになってジャマイカ行った話を書いたけど、その時見聞きしたり食べたり飲んだり熱心にした物も色々美味しかった。
まずはビーチ、そして街の屋台みたいなお店などアチコチで必ず売られていたガラス瓶入りの「ジンジャービア」。
生姜好きとしては放っておけずにすかさず買って飲んだ。どうもジャマイカでは輸入品のコーラより地元のジンジャービアがポピュラー(そして何よりお安い!)みたい。
飲んでみて、大満足!美味しい!
辛くなるほどジンジャー成分濃厚じゃなく飲みやすくて、でもしっかり生姜。サラッとした甘さ!
これも日本に帰ってきてから、大鍋で生姜を大量に煮てそこにレモンとお砂糖(これは個人的な好みでメッチャ甘くしていた)を入れて丹精込めてぐつぐつして作ってみた。
最近、カフェで自家製のジンジャーエール(ビアって言わないのよね)やクラフトコーラが当たり前になりましたが、その当時はこんな風に作るのはなかなか珍しかったと思う。
そんなに頻繁に出るメニューにはならなかったけど、好きな人は頼んでくれるマニアックなメニューとなった。
帰国後のカルマには「ジャマイカン海老の唐辛子炒め」と一緒に、タイムを効かせた夏野菜の炒め物(干し鱈とアボカド入り。ジャマイカのホテルのラウンジで夜ご飯に出てきた美味しいメニューだった)を添えた「ジャマイカン・スペシャル」というラスタマ〜ン♫なメニュー(よく出るメニューだったので随分長い間出していた)もあって、一時期はホントにジャマイカぽかった。
そんな関連である時、中野サンプラザでジャマイカン・レゲエグループのコンサートがあった時、お店の電話が鳴った。
コンサートのプロモーションをしている会社からの電話で「お店のキッチンを貸してもらえませんか!?」という連絡だった。面白い笑
その時日本に呼ばれたラスタマンの皆様は「アイタルフード」と言う宗教的な料理のルールに忠実なので、お付きのコックさんにジャマイカから遥々一緒に来て貰っていると言う。
「カルマのキッチンで、サード・ワールドというバンドのミュージシャンの、みんなの賄いを作らせて欲しい」という、とても面白い話だった。「それはもう是非どうぞ」という事になり、作るトコも見せて貰える事になった。
そこでお連れのコックさんが作っていたのが「レッドビーンズ・スープ」だった。小豆にタイムとブラックペッパーたっぷり入れて煮るスープなんだけど、うーむ、これは、なかなか微妙だった。
味的には、胡椒とタイム入れたまるっきり塩ぜんざい…。日本では「小豆=甘い」ってもうコレっきりみたいな感じだから何だかちょっと馴染めなかった。1回位、出してはみたんだけど、これはカルマのメニューとしては出なさそうで、そのまま御蔵入りとなった。
でも来てくれたコックさんには「ココ!ココにサインしてって!」とカルマの壁にサインを貰い、みんなでキャッキャしてリアルなジャマイカの風を感じるとても楽しい機会となった。
こんな風に、都度機会を取り込んでは自分達のしたいようにメニューを作ってみんなで吟味して行くので、沢山の中から超精鋭メニューしか残れない。
あっちゃ行ってこっちゃ食べて、自分達が「アッ!コレだ!」みたいな料理をその場その場でばりばり取り入れ、そしてそれがまた混ざり合い「美味しいლ(´ڡ`ლ)!!けどもっとこうしてみたらもっとずっと美味しくなる?!」とかまた新たな独自メニューに発展していく。そうして、カルマのメニューは時々珍しい繊維が織り込まれた精緻な織物のようにミチミチと精製されてきたのでした。
さて「美味しさを探求する旅路の話」本日はここまで。
また、この後の話は後日お楽しみに…!
tottoriカルマ 閉店まで残り 26日
この場所でのカルマのファイナルを楽しみに来て下さいね。
まだまだ、少しでも出来ることをやっていきたいです。
クラファンは12月31日までですが、引き続きご支援のほど、何卒よろしくお願いします。



