300年、100体の「祈り」が崩れ始めています。 熊本の放牛石仏を、いま救いたい

300年前、父を失った一人の僧が祈りを込めて彫り続けた、熊本の放牛石仏。 その数は100体以上にのぼり、長い間、静かに人々を見守ってきました。 しかし今、風雨と地震にさらされ、いくつもの石仏が崩壊寸前の状態にあります。 この祈りを未来へつなぐため、石仏を守る「屋根」を贈る挑戦です。

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石仏拓本 の付いた活動報告

私たちは、困ったとき、神仏に手を合わせます。どうか無事でありますように。どうか願いが叶いますように。それは、今も昔も変わらない人の姿かもしれません。しかし、放牛が残した道歌のひとつに、こんな言葉があります。神ほとけおがまぬさきに親拝め神や佛もうれしかるらん(神仏に拝む前に、親を敬うべきである)一見すると、親孝行を説いた言葉のようにも読めます。実際、この道歌は、極楽へ至る道において、親を敬い大切にすることが重視されてきた仏教の教えを背景に持つ言葉でもあります。ただ、放牛がこの言葉を石に刻んだことを思うと、それは教えをそのまま伝えるためだけではなかったのではないかと感じています。放牛が見ていたのは、もっと手前にあるもの。それは、生きている人への態度。身近な人、目の前の関係への向き合い方。今ここに生きている人と、どう向き合っているのか。その姿勢こそが問われているように思えるのです。放牛が生きた時代、言葉や祈りは、必ずしも人を救ってはくれませんでした。飢えや病があり、明日が約束されない日常の中で、「正しいこと」を言ったからといって、生き延びられるわけではなかった時代。だからこそ放牛は、人としての生き方を見つめる視点を石に刻んだのではないでしょうか。私たちが「放牛石仏」を守ろうとしているのは、信仰的なことを広めるためではありません。300年前、一人の僧が生き方として刻んだ問いを、この時代に手渡したい。その思いで、この活動を続けています。私たちは何を大切にして生きているのか。放牛の言葉は、今を生きる私たちにも、静かに問いかけているように感じます。


江戸時代の僧・放牛が彫り続けた約100体の放牛石仏の背面には、彼が刻んだ祈りの言葉「道歌(みちうた)」が残っています。74体目:熊本市北区植木町しかし、その多くは風雨・酸性雨・地震で文字が消えかかり、肉眼で読むことが難しい状態です。その“消える寸前の祈り”を紙の上に救い上げてくださった方がいます。故・有藤シゲさん(熊本市)。50才頃から20年にわたり、放牛石仏の拓本採取を続けてこられた方です。「もう、今しかない」雨ざらしの石仏は風化が早く、年を追うごとに文字が薄れていく。10年後では遅い。今しか残せない。その危機感のもと、大型の半紙を抱え山道を歩き、時に炎天下、時に冬の冷たい石に手を触れながら、1体、また1体と記録を残しました。精巧な拓本が採れるまで、何度も同じ場所に通い、阿蘇や矢部の山奥では、何日もかけてやっと所在を突き止める、ということも。気の遠くなるような作業。握りしめられた地図はすでに綿のようにボロボロになっていましたが、「石仏と出会えた瞬間は、何とも言えずうれしかった。」語っておられました。床いっぱいに広がった「祈りの紙」有藤シゲさん(故)・熊本市有藤シゲさんは、20年かけて現存する放牛石仏のほとんどの拓本が集めました。それは単なる資料ではありません。石仏に刻まれた言葉、放牛という僧が抱えていた願い、人々が手を合わせてきた記憶。祈りそのものを、未来へ託す記録でした。有藤さんが残された拓本がなければ、私たちは今、多くの放牛石仏の道歌を知ることすらできません。しかし、石仏そのものはいま——記録は残りました。けれど、現地に立つ石仏は、今も雨ざらしです。御堂のない石仏は、台風、長雨、酸性雨、直射日光にさらされ、静かに、しかし確実に劣化が進んでいます。なかには、彫刻として判別できなくなる段階に入りつつあるものもあります。 私たちが拓本を「全員へのリターン」にした理由それは、有藤さんが命を削るように残してくださった“祈りの記録”を多くの人に手渡したいからです。スマホの画面でいい。日常のどこかで、300年前の祈りに触れてほしい。そしてその背景には「21世紀に、この祈りを守ろうとした人(有藤さん)」 がいたことを一緒に記憶してほしいのです。私たちは、託される側になった有藤シゲさんが20年をかけて残したもの。それは、拓本だけではありません。「失われる前に、手を伸ばす」という姿勢です。私たちはいま、その記録を受け取り、次の責任を引き受ける側になりました。だから今回、もっとも劣化が激しい石仏から、雨と風を防ぐ御堂を設置することにしました。すべては守れない。けれど、まず一体を守ることで、次に託す。それが、記録を預かった者としての務めだと考えています。放牛石仏を守る会


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