
江戸時代の僧・放牛が彫り続けた約100体の放牛石仏の背面には、彼が刻んだ祈りの言葉「道歌(みちうた)」が残っています。
74体目:熊本市北区植木町
しかし、その多くは風雨・酸性雨・地震で文字が消えかかり、肉眼で読むことが難しい状態です。
その“消える寸前の祈り”を紙の上に救い上げてくださった方がいます。
故・有藤シゲさん(熊本市)。
50才頃から20年にわたり、放牛石仏の拓本採取を続けてこられた方です。
「もう、今しかない」
雨ざらしの石仏は風化が早く、年を追うごとに文字が薄れていく。
10年後では遅い。今しか残せない。
その危機感のもと、大型の半紙を抱え山道を歩き、時に炎天下、時に冬の冷たい石に手を触れながら、1体、また1体と記録を残しました。
精巧な拓本が採れるまで、何度も同じ場所に通い、
阿蘇や矢部の山奥では、何日もかけてやっと所在を突き止める、ということも。
気の遠くなるような作業。
握りしめられた地図はすでに綿のようにボロボロになっていましたが、
「石仏と出会えた瞬間は、何とも言えずうれしかった。」
語っておられました。
床いっぱいに広がった「祈りの紙」
有藤シゲさん(故)・熊本市
有藤シゲさんは、20年かけて現存する放牛石仏のほとんどの拓本が集めました。
それは単なる資料ではありません。
石仏に刻まれた言葉、放牛という僧が抱えていた願い、人々が手を合わせてきた記憶。
祈りそのものを、未来へ託す記録でした。
有藤さんが残された拓本がなければ、私たちは今、多くの放牛石仏の道歌を知ることすらできません。
しかし、石仏そのものはいま——
記録は残りました。けれど、現地に立つ石仏は、今も雨ざらしです。
御堂のない石仏は、台風、長雨、酸性雨、直射日光にさらされ、静かに、しかし確実に劣化が進んでいます。
なかには、彫刻として判別できなくなる段階に入りつつあるものもあります。
私たちが拓本を「全員へのリターン」にした理由
それは、有藤さんが命を削るように残してくださった“祈りの記録”を多くの人に手渡したいからです。

スマホの画面でいい。日常のどこかで、300年前の祈りに触れてほしい。
そしてその背景には「21世紀に、この祈りを守ろうとした人(有藤さん)」 がいたことを一緒に記憶してほしいのです。
私たちは、託される側になった
有藤シゲさんが20年をかけて残したもの。
それは、拓本だけではありません。
「失われる前に、手を伸ばす」という姿勢です。
私たちはいま、その記録を受け取り、次の責任を引き受ける側になりました。
だから今回、もっとも劣化が激しい石仏から、雨と風を防ぐ御堂を設置することにしました。
すべては守れない。
けれど、まず一体を守ることで、次に託す。
それが、記録を預かった者としての務めだと考えています。
放牛石仏を守る会





