【津波から逃げて!】津波避難の合図を防災風呂敷で伝えたい!

南三陸・志津川の地で刻まれた東日本大震災の経験を、津波から命を守る風呂敷というかたちにします。東日本大震災の経験を、次世代につなぐ挑戦です。

現在の支援総額

1,113,865

111%

目標金額は1,000,000円

支援者数

141

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/02/19に募集を開始し、 141人の支援により 1,113,865円の資金を集め、 2026/04/30に募集を終了しました

【津波から逃げて!】津波避難の合図を防災風呂敷で伝えたい!

現在の支援総額

1,113,865

111%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数141

このプロジェクトは、2026/02/19に募集を開始し、 141人の支援により 1,113,865円の資金を集め、 2026/04/30に募集を終了しました

南三陸・志津川の地で刻まれた東日本大震災の経験を、津波から命を守る風呂敷というかたちにします。東日本大震災の経験を、次世代につなぐ挑戦です。

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酒田 の付いた活動報告

熊本地震から10年。「復興」という言葉の中には、それぞれの地域の、長い時間と、たくさんの物語があります。熊本地震のあと、仮設住宅での暮らしのあり方や、支援のあり方について、東日本大震災の経験が伝えられてきました。※熊本のみなさまとのご縁のおはなしは「こちら」からご覧ください。熊本のみなさんが、宮城に来てくださいました。登米の「とめ女性支援センター」で支援活動について説明を聞いた後南三陸の上山八幡宮へ向かいました。そして、東日本大震災のときには、阪神・淡路大震災のあと、長い時間をかけて地道に活動を続けてきた方々が、多くの知恵や仕組みを届けてくれていました。仮設住宅での暮らし方、コミュニティのつくり方、孤立を防ぐための工夫――それらはすべて、過去の災害の中で生まれ、次の地域へと手渡されてきたものです。災害の経験は、決してその場限りではなく、人から人へ、地域から地域へと、つながっていきます。能登半島地震のあと、東日本大震災の支援をきっかけに宮城に移り住んだ人や、宮城の仲間たちが、今度は能登へ駆けつけています。「あのとき助けてもらったから、今度は自分が」そんな想いが、地域を越えてつながっているのを感じます。もうひとつ。小さな石に想いをのせて、誰かのもとへ旅をさせる「ワロック」という取り組みがあります。(ワロックと防災ふろしきのご縁のお話は「こちら」からご覧ください)手に取った人が、また次の場所へ置いていく。その繰り返しの中で、見えない誰かと、ゆるやかにつながっていく。酒田との再会もまた、ワロックのように、時間を越えて、想いが届いた先にあった出来事のように感じられました。酒田とのご縁は、みやぎ・やまがた女性交流機構という集まりがきっかけでしたが、その前から 南三陸と酒田は「ぼうさい朝市ネットワーク」でつながっていて、私は、南三陸でぼうさい朝市ネットワークに取り組んでいた人と震災前に知り合っていたのです。南三陸のお母ちゃん達が描いたWA ROCKを酒田のみなさんのもとへお届けしました「ぼうさい朝市ネットワーク」は、震災の前から各地で地道に活動してきた人たちの、積み重ねの中で生まれてきたつながりです。その中には、震災前から続いてきたご縁もあり、今回、酒田の方々と再び出会う機会も生まれました。そして、そのあり方は、どこか、支援のかたちにも似ているように思います。時間や場所を越えて、もう一度つながることができる関係があること。それは、日々の暮らしの中で、人と人とが丁寧に関係を育ててきたからこそ、生まれているものだと思います。災害は突然やってきます。でも、支え合える関係は、一朝一夕には生まれません。だからこそ、日常の中で防災を考え、いざという時に「誰かとつながれる」ことが、とても大切だと感じています。今回の「防災風呂敷」は、そんな想いから生まれました。この風呂敷が、「その時」のための備えであると同時に、誰かとつながるきっかけになりますように。


タイトル画像は、2011年1月。南三陸町で開催された寒だら祭りのようす酒田の友人は、2011年4月から開催されていた南三陸福興市に、出店していました。その復幸市は、震災前から「ぼうさい朝市ネットワーク」でつながっていたメンバーが、震災直後、神戸から駆け付け、開催にこぎつけたものでした。震災前、南三陸まちづくり海社として、ぼうさい朝市ネットワークに加入し、活動していたのが昆野慶弥さんでした。昆野さんは、「地方の小さな町は、全国のまちづくり仲間や商売仲間とつながり、お互いに協力し合うことが大事だ」と話していました。私とは、2010年秋から2011年冬にかけて、青森県田子町の商店街活性化の講師として、毎月、田子に通っていました。田子と南三陸も交流しながら、商店街活性化を仕掛けていこう。そんな話をしながら、2011年1月、南三陸寒だら祭りでは、田子のにんにくを販売したり、にんにくとタコを使った料理を考案したりしました。この寒だら祭りも、もともとは、ぼうさい朝市ネットワークのメンバーである酒田で開催されていた取り組みを、昆野さんが参考にしたものでした。2011年2月。田子を訪れた昆野さんと私は、雪を使った雪灯篭の美しさに心を奪われました。それぞれの地域の風土を活かした、地域づくりを、これからも続けていこう。田子の人たちからは、「にんにくの収穫時期である6月に、また遊びに来てね」と声をかけてもらい、再会を、信じて疑いませんでした。2011年3月11日。昆野さんは、帰らぬ人となってしまいました。その後、ボランティアとして南三陸に通い、地域のみなさんに寄り添う中で、いま、真弓さんとともに、防災風呂敷のプロジェクトに取り組んでいます。そして・・・酒田の友人との再会は、昆野さんとのご縁を、あらためて思い出させてくれました。ばらばらだった出来事が、時間をこえて、ひとつの線になっていく。酒田のみなさんのもとへWA ROCKをお届けしました。想いをのせて、また誰かのもとへ届くように。episode3はこちらから、ご覧ください。


この物語は、「ワロック(旅する石)」を通して、人と人、地域と地域がつながっていく記録です。八幡さまでのワロック体験…その中で、またひとつ、新しいつながりが生まれました。ワロックのことを投稿したとき、久しぶりに、酒田の友人からメッセージが届きました。「酒田でも、ワロックが盛り上がっていたんだよ」懐かしい名前とともに、あの頃のつながりが、ふっとよみがえります。その友人とは、東日本大震災後、宮城と山形の女性たちの交流の場で出会いました。彼女は、2011年4月から始まった南三陸福興市にも、毎月酒田から通っていました。(この話は、また改めて…)そしていま、酒田は、令和6年7月25日の大雨災害からの復興の道のりの中にあります。偶然にも、私の指導教官がその地で活動していて、私自身も、東日本大震災での経験や、いま研究していることをお話しする機会をいただくことになりました。ばらばらに見えていた出来事が、ひとつの線になって、つながっていく。だから私は、この“旅する石”を、酒田へ届けることにしました。想いをのせて、また誰かのもとへ届くように。南三陸で描いたWA ROCKを酒田へお届けしましたこの物語は、まだ、続いていきます。➡「episode3」をご覧ください前のお話しは「こちら」です。


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