岩見沢ねぶたプロジェクト初代実行委員長を務めていました藤本悠平です。クラウドファンディングの終了まで、残りわずかとなりました。僕がこのプロジェクトを立ち上げたのは、北海道教育大学岩見沢校に入学してすぐの2018年4月16日。最初は学生同士のつながりを作りたいという自分勝手な思いからの始まりです。プロジェクトを組み立てていく中で、地域との繋がりも大切であるという観点から、JR岩見沢駅の2階で公開制作を行うことになりました。その公開制作が2019年も継続して実施。2年間でたくさんの地域の皆様と繋がることができました。2019年の公開制作で、岩田さん・進藤先生・村田先生に出会い、かつて岩見沢の街をねぶたが練り歩いていたこと、学科再編や担い手不足で岩見沢でのねぶたの歴史は途絶えていたことを知りました。かつてのリアルなお話を聞く中で、気が付けば頭の中には「復活」の2文字しかありませんでした。しかし、道のりは平坦ではありません。準備を進める中でちょうど直面したコロナ禍。活動が制限され、誰もが「祭の開催なんて不可能だ」と諦めかけていたかもしれません。それでも、2021年10月16日。22年の時間を超えて、岩見沢の街に再びねぶたの灯がともりました。たくさんの方にご迷惑をおかけしました。わがままも聞いていただきました。頭が上がりません。あの時、会場で見守ってくださった皆さんの笑顔、そして暗闇に浮かび上がったねぶたの美しさ、跳人・囃子。今も目に焼き付いていますし、皆様の前で号泣したこともしっかり覚えています。2022年3月、僕は大学を卒業し、社会に出ました。実行委員長のバトンを後輩たちに託したあの日から、僕は一人の岩見沢ねぶたファンとしても後輩たちの奮闘を見守ってきました。 正直に言えば、初代として不安もありました。次につながるのか、いつ終わってしまうのか。不安だらけでした。ですが、後輩たちは僕の想像をはるかに超える情熱で、この祭を守り抜いてくれました。2025年まで、一度も欠かすことなく5回の開催を重ねてきた事実は、彼らの努力の賜物であり、この祭が岩見沢という街に「必要とされている」何よりの証拠でもあると思います。今、このプロジェクトは大きな局面を迎えています。物価の高騰や運営環境の変化など、学生たちの力だけではどうしても超えられない壁があります。祭だけを見ると、きれいに見えるかもしれません。しかし、太鼓を青森から運んできていたり、衣装も足りていなかったり。十分な道具が揃っていません。青森に住んでいるときは日常だった、祭前に岸壁から聞こえてくるねぶた囃子。ねぶた小屋を覗きに来る子ども達。祭本番で囃子を演奏する子ども達。跳ねる子ども達。祭に向かって、街が・人がひとつになって夏を迎えようとしている雰囲気。まだ岩見沢にはないのです。2021年に灯したこの「岩見沢ねぶた」の灯を、単なる自分たちの学生時代の思い出や、一過性のイベントで終わらせたくはありません。この灯は今や、岩見沢の未来を照らす、街の大切な財産になりつつあるからです。嘘のように思うかもしれませんが、岩見沢ねぶたプロジェクトに関わった卒業生たちは、岩見沢ねぶた祭の日に岩見沢に帰ってきています。青森から参加してくれた子たちも、岩見沢が好きになって毎年来てくれています。岩見沢ねぶた祭が、岩見沢という街を好きになるきっかけになっているのです。信じられない方もいるかもしれませんが本当です。2月14日。バレンタインデーという愛を伝える日が、このクラウドファンディングの最終日です。もし少しでも、僕たちが繋いできた「岩見沢ねぶた」の物語に共感していただけるなら、今全力で立ち向かっている学生たちの背中を押し、力を貸していただけないでしょうか。皆様のご支援が、次の世代が祭を創り上げるためのバトンになります。22年ぶりに復活させたあの日の感動を、この先10年、20年、100年と続く「伝統」へと変えるために。最後の一押し、どうぞよろしくお願いいたします。メンター(初代実行委員長) 藤本 悠平




