【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

現在の支援総額

581,500

11%

目標金額は5,000,000円

支援者数

74

24時間以内に3人からの支援がありました

募集終了まで残り

15

【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

現在の支援総額

581,500

11%達成

あと 15

目標金額5,000,000

支援者数74

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

大学 2 年生の夏、去年初めて青森ねぶた祭を見ました。私が想像していた何倍も何十倍も大きくて、輝いていて、その場の熱気に圧倒されたのを鮮明に覚えています。そんな祭りを「岩見沢」で行えることがとても幸せだと思うし、ぜひ多くの方に足を運んでもらいたいです。私が岩見沢ねぶたプロジェクトに関わるきっかけになったのは高校の学校祭です。私は北海道生まれ北海道育ちで、高校でねぶたは作っていませんでしたがうちの学校祭ではクラスごとに行灯を作っていました。行灯行列もあって学校祭の日は街全体の人が見に来て投票をし、毎年学年関係なく順位をつけて競い合っていました。そこから私はたくさんの人と一緒にモノを作り上げる楽しさと地域の人に関わってもらえることのありがたさを知りました。高校を卒業して大学に入り、もうこんな体験はできないと思っていましたが、岩見沢ねぶたプロジェクトを通してまた人と関わりながら「祭り」そのものまで作り上げる過程に関わることができています。高校の時とは違って制作だけではなく祭り全体を作り上げるので思うように進まないことや、反省することも少なくありません。ですが祭り直前でしか感じられないなんとも言えない焦燥感と期待感が入り混じった気持ち、祭りが無事開催できた時の達成感と高揚感、そして岩見沢の方も普段岩見沢にいない方も関係なく同じ場で熱狂し楽しんでもらえていることが私の原動力になっています。これからは「岩見沢ねぶた祭をつくる」だけでなく、「岩見沢市全体を岩見沢ねぶた祭でつくる」ことをしていきたいです。その第一歩として、ねぶた祭に欠かせないお囃子、そして太鼓が必要です。知ってもらうことや興味を持ってもらうことは、これからの活動の中でも続けていけますが、直接支援していただける機会は多くありません。ぜひ、このクラウドファンディングを通してご協力いただけたら嬉しいです。私は、岩見沢ねぶた祭がより多くの人に愛される祭りになることを願い、これからも活動に力を入れていきます。自信を持って言えます。今年の祭りも、楽しみにしていてください。企画部長  遠藤 みのり


私がこの岩見沢ねぶたプロジェクトに参加したのは、音楽ステージの運営がやりたかったから。ただそれだけでした。小さい頃から、イベントを運営したり参加したりするのが好きで、岩見沢に来たのも大学でそれを学びたかったから。ステージの運営ができるなら!それだけを考えてプロジェクトに参加し、1年生の時はただひたすらにステージサイドにいてねぶたにはあまり触れませんでした。しかし、2年生の夏に行った青森研修が私のねぶた魂を大きく動かしました。たくさんの人と華やかなお囃子、そして何より煌びやかな迫力のあるねぶたは、初めて見るにも関わらず思わず涙目になりました。こんなに素晴らしいものがあるのかと。同じものをみて、目を光らせている仲間を見ると、私も頑張らなきゃと無意識のうちに思うようになりました。そこからは岩見沢ねぶたまっしぐら。だけど、私たちはねぶたを知ったのは1年前だし、どうやって動いているのか、どうやって組み立てられているのかも全然知らない初心者。しかも同じようには行かない。材料も知識もないのだから。だけど素晴らしいものにしたい。私達も、アツい祭りにしたい。その気持ちだけで動いてました。青森研修ではみんなが上を見上げてねぶたを見ている中、歩楽と下に潜って台車の仕組みを研修して、写真も今見返すと台車ばかり。札幌に帰ってきて、図面を一から考えて、二輪の台車なんてないから自分たちでオリジナルで作って。登下校もLINEもねぶたの話ばかり、気づけばねぶた。そんな日々にいつの間にかなっていました。でもそうやって頑張りたいと思えるのは、素晴らしい仲間がいるからで、待っている人達が居てくれるからで。すごいね、頑張ってるね、来年もよろしくねとか言ってもらえるから、続けたいと思う。いつも応援してくれて本当にありがとう。町中に響くお囃子と掛け声と、大きな煌びやかねぶた当たり前にあるようで、当たり前にないたくさんの人の力と知恵と気持ちと全てが奇跡のように重なってできているお祭り私はこれを辞めたくない、辞めさせたくないいや、辞めさせない。まだねぶたにわかだけど、ねぶたバカになりきれてないけど岩見沢ねぶたバカになれるように。100年先まで人が集えるような、人を惹き付けられるような、そんなお祭りになるように。私は私ができる最大限のことをして次の世代に託そうと思う。会場ディレクター  田森 和花


こんばんは!実行委員長の内海です!たくさんのご支援ありがとうございます!1月18日(日)に、であえーる岩見沢3階あそびの広場で、商店街との連携事業のお正月イベントとして、金魚ねぶたの色塗り・紙貼り体験を行ってきました!日曜日ということもあり、多くのご家族、子どもたちに来場していただき、ねぶたのことを知ってもらう良い時間となりました!おそらく、子供たちにとって「ねぶたを作る」という体験は初めての機会。それでも「楽しそう!」と笑顔で取り組んでくれたり、「なんでねぶたなの?」と興味を持って聞いてくれる子もいました。そんな姿を見て、少しでもねぶたに触れて、興味を持ってくれたということがうれしかったです!こういう機会を増やしていくことで、「ねぶたやりたい!」と思ってくれる子どもが一人でも増えてくれたら最高だなと思いました!だからこそ、これからもねぶたの輪を広げられるよう、頑張っていきたいと思います!


私は、大学に進学してから初めて「ねぶた」というものに触れました。最初は、岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会の紹介が授業内であり、それがきっかけで所属を決めました。「今でしかできない、ここでしかできない」と思い、参加を決めました。早くも参加して今年で 3 年目になりますが、この活動は、今しか、ここでしかできない経験だと活動を通して感じました。1年目も2年目も新しく、新鮮な気持ちでいっぱいで、目まぐるしく日々は過ぎていきました。私が、この活動を続ける理由には、やはり「ねぶたを制作する」ということが 1 番に挙がります。当初は、大学生だけでねぶたなんて作れるのなどと疑問や不安といった気持ちが沢山あったと思います。実際にねぶたを作ってみて感じたことは、「作るのはやっぱり難しい、けどそれ以上に楽しいしやりがいがある」です。先輩方が作り方を丁寧に教えてくれて、最初は上手くいかなくても、続けていくと容量が掴めるようになっていきました。針金でねぶたの形を作り、そこに和紙を張り、色を塗る。私も含め、実行委員一同、こだわりを持って作っています。十分な人が集まらず制作の進みが遅くなっているときも、皆で励ましながら、必死になって取り組んでいたのも、思い出だと感じています。それでも、ねぶたのクオリティを下げないように丁寧にでも速く制作していました。実際に本場の青森に、ねぶた制作の現場を見学にも行きました。私は本場のねぶたを見るのが初めてだったのですが、想像していたより何倍も大きく、力強さと美しさに息を呑みました。その時は紙貼りの行程だったのですが、しわが一つも寄らず、本当につるんとしていました。絹豆腐のように滑らかで、柔らかそうにまで思えました。針金は綺麗な円弧を描いており、ブレなんて一つもありませんでした。あの感動はかなりの制作へのモチベーションに繋がったと思います。プロの技を間近で見て活かせることは何でも活かしたい、はっきりそう思いました。1 年生の時、ねぶたの完成に携われた時、本当に達成感、感動を味わいました。作り始めて約 3 ヶ月長いようであっという間でした。締め切りが近くて焦った時も、制作が上手くいかない時も、皆で鼓舞し合いながら乗り越えてきました。そこには必ず情熱が灯っていたと思います。大勢で 1 つのことに真正面から突き進んで、何かをやり遂げる。改めて思うと、人生でこれを経験できるのは僅か数回なのではないかと思います。同時に 1 つのことに夢中になれる、これって容易くできることではないと思います。ねぶたは、「青森のもの、青森でやるもの」と今までは感じていました。ですが場所は関係なく、現地の方と同じくらい、それ以上に岩見沢にいる私たちにも情熱があります。私の場合は、道外出身でねぶたに縁もゆかりもありませんでしたが、今こうやって岩見沢ねぶたプロジェクトとして活動しています。ねぶたは見る人を必ず虜にしますし、ましてや作る人なんてもっともっと虜にさせてしまうと思います。今日では、岩見沢ねぶた祭の認知度が高まっています。この情熱の輪をもっともっと広げていきたい、岩見沢市外の方々にも知っていただきたい、そして長く続くお祭りにしたい、本当にそう思います。やる気、情熱に溢れる人が集まるので、新体制になっても、ねぶたに対する情熱が冷めることはないと思います。それは、これからもそうだと確信しています。この祭りを 10 年、50 年、100 年と続けていけるようにしていくためにも、今できること今しかできないことを見つけて取り組んでいきたいです。私は実行委員としてあと 2 回ねぶた祭りに携わることができます。積極的に行動して、貢献したいと思います。今年は、去年よりもフットワークを軽くして、何でも取り組んでいきます。大事な事なので 2回言いますが、ねぶたに縁もゆかりもない生まれの私が、こんなにもねぶたに魅了されているんです。ねぶたの魅力は底を知らない、計り知れないものだと自信をもって言えます。これからも、ねぶたに対して情熱を宿し、岩見沢ねぶた祭りを盛り上げていきます。その手伝いができること、携われること本当に誇らしく思います。山﨑 樺乃


お祭りはなくても、人は物理的に不自由なく生きていけるはずです。それでも、なぜお祭りは地域に根づき、残り続けるのか?岩見沢ねぶた祭に関わる中で、私は何度もそのことを考えてきました。最初は正直、「一緒に活動しているメンバーが好きだから」それだけの理由で活動していました。でも気づけば、「この祭をなくしたくない」と本気で思う人たちのそばにいる内に、私自身も同じ気持ちを抱くようになっていました。お祭りは、ただの『イベント』ではありません。人が集い、技術や文化が何度も受け継がれ、『またここに帰ってきたい』と思えるような場所をつくりだせるものだと思います。お祭りはなくても生きていける。でも、もしなくなったら、きっと私たちの中で、何かがぽっかり欠けてしまう。お祭りとは、そんな心の拠り所なんだと思います。青森で初めてねぶた祭を見たとき、その理由が少し分かった気がしました。ねぶたをつくる人、動かす人、魅せる人。そして、それを全力で受け止める街の人たち。お祭りは必ずしも、「必要だから」残るのではなく、「人と人との関係や想い」によって、生かされ続けているのだと感じました。私は昔から岩見沢に住んでいるわけではありません。札幌から通っているだけの大学生です。それでも、岩見沢とねぶた祭があったから、これまでの大学生としての3年間を、こんなにも濃く、彩ることができました。大学の夏は、毎年岩見沢ねぶた祭で一色でした。制作が間に合わなくて焦ったり、運営に不安になったりしながらも、「来年もこの景色が見たい」その気持ちだけで走り続けてきました。きっと、実行委員のみんなも同じだったと思います。岩見沢は、学生の挑戦を受け止めてくれる街です。名前も知らない私たちの話を聞いて、応援してくれる人がたくさんいました。気づけば、私にとってこの街そのものが大切な場所になっていました。でも、岩見沢ねぶた祭は、決して最初から恵まれた環境で行われているわけではありません。道具や材料が十分に揃わず、本来向き合うべき制作や継承の時間が削られてしまうこともあります。今の世代が卒業したら終わってしまう祭りにはしたくありません。技術も、想いも、ちゃんと次につないでいきたい。そのためには気持ちだけではなく、続けていける環境そのものが必要です。悔しいですが、環境整備はまだ道半ばです。私は今年で4年生になります。学生として関われるのは、最後の年です。だからこそ、今年は一年を通して岩見沢ねぶたと全力で向き合い、微力ながら、将来的に岩見沢ねぶた祭が少しでも運営しやすくなる体制を残したいと思っています。そして、最終的に私が岩見沢ねぶた祭を残したいのは、お祭りそのもののためだけではありません。この祭りを通して、人が集い、挑戦し、そしてまた帰ってこられる場所としての「岩見沢」そのものを、未来に残したい。そう心から思っています。岩見沢ねぶた祭を、100年先へ!!副実行委員長  鎌田 綾花


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