【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

現在の支援総額

1,546,000

30%

目標金額は5,000,000円

支援者数

200

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/12/25に募集を開始し、 200人の支援により 1,546,000円の資金を集め、 2026/02/14に募集を終了しました

【岩見沢ねぶた祭を100年先へ!】祭の技と夢と心のバトンを次世代へ繋ぐ。

現在の支援総額

1,546,000

30%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数200

このプロジェクトは、2025/12/25に募集を開始し、 200人の支援により 1,546,000円の資金を集め、 2026/02/14に募集を終了しました

2021年から毎年8月に北海道岩見沢市で実施している「岩見沢ねぶた祭」の技術を後世に伝え、担い手を育てていくためのプロジェクトを行います。 祭のお囃子技術やねぶた制作技術を、子ども達や市民に伝える機会・環境を整えることで、100年先に祭を繋ぐための土台を作っていきたいと考えています。

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エピソード の付いた活動報告

岩見沢ねぶたプロジェクト初代実行委員長を務めていました藤本悠平です。クラウドファンディングの終了まで、残りわずかとなりました。僕がこのプロジェクトを立ち上げたのは、北海道教育大学岩見沢校に入学してすぐの2018年4月16日。最初は学生同士のつながりを作りたいという自分勝手な思いからの始まりです。プロジェクトを組み立てていく中で、地域との繋がりも大切であるという観点から、JR岩見沢駅の2階で公開制作を行うことになりました。その公開制作が2019年も継続して実施。2年間でたくさんの地域の皆様と繋がることができました。2019年の公開制作で、岩田さん・進藤先生・村田先生に出会い、かつて岩見沢の街をねぶたが練り歩いていたこと、学科再編や担い手不足で岩見沢でのねぶたの歴史は途絶えていたことを知りました。かつてのリアルなお話を聞く中で、気が付けば頭の中には「復活」の2文字しかありませんでした。しかし、道のりは平坦ではありません。準備を進める中でちょうど直面したコロナ禍。活動が制限され、誰もが「祭の開催なんて不可能だ」と諦めかけていたかもしれません。それでも、2021年10月16日。22年の時間を超えて、岩見沢の街に再びねぶたの灯がともりました。たくさんの方にご迷惑をおかけしました。わがままも聞いていただきました。頭が上がりません。あの時、会場で見守ってくださった皆さんの笑顔、そして暗闇に浮かび上がったねぶたの美しさ、跳人・囃子。今も目に焼き付いていますし、皆様の前で号泣したこともしっかり覚えています。2022年3月、僕は大学を卒業し、社会に出ました。実行委員長のバトンを後輩たちに託したあの日から、僕は一人の岩見沢ねぶたファンとしても後輩たちの奮闘を見守ってきました。 正直に言えば、初代として不安もありました。次につながるのか、いつ終わってしまうのか。不安だらけでした。ですが、後輩たちは僕の想像をはるかに超える情熱で、この祭を守り抜いてくれました。2025年まで、一度も欠かすことなく5回の開催を重ねてきた事実は、彼らの努力の賜物であり、この祭が岩見沢という街に「必要とされている」何よりの証拠でもあると思います。今、このプロジェクトは大きな局面を迎えています。物価の高騰や運営環境の変化など、学生たちの力だけではどうしても超えられない壁があります。祭だけを見ると、きれいに見えるかもしれません。しかし、太鼓を青森から運んできていたり、衣装も足りていなかったり。十分な道具が揃っていません。青森に住んでいるときは日常だった、祭前に岸壁から聞こえてくるねぶた囃子。ねぶた小屋を覗きに来る子ども達。祭本番で囃子を演奏する子ども達。跳ねる子ども達。祭に向かって、街が・人がひとつになって夏を迎えようとしている雰囲気。まだ岩見沢にはないのです。2021年に灯したこの「岩見沢ねぶた」の灯を、単なる自分たちの学生時代の思い出や、一過性のイベントで終わらせたくはありません。この灯は今や、岩見沢の未来を照らす、街の大切な財産になりつつあるからです。嘘のように思うかもしれませんが、岩見沢ねぶたプロジェクトに関わった卒業生たちは、岩見沢ねぶた祭の日に岩見沢に帰ってきています。青森から参加してくれた子たちも、岩見沢が好きになって毎年来てくれています。岩見沢ねぶた祭が、岩見沢という街を好きになるきっかけになっているのです。信じられない方もいるかもしれませんが本当です。2月14日。バレンタインデーという愛を伝える日が、このクラウドファンディングの最終日です。もし少しでも、僕たちが繋いできた「岩見沢ねぶた」の物語に共感していただけるなら、今全力で立ち向かっている学生たちの背中を押し、力を貸していただけないでしょうか。皆様のご支援が、次の世代が祭を創り上げるためのバトンになります。22年ぶりに復活させたあの日の感動を、この先10年、20年、100年と続く「伝統」へと変えるために。最後の一押し、どうぞよろしくお願いいたします。メンター(初代実行委員長)  藤本 悠平


自分が岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会に参加したのは、「大学生活でできないことをしてみよう」と思ったからです。お祭の企画運営なんて普通の学校じゃできないです。なのでこの学校に通っていることでしかできない「実行委員」になりました。そして、実際に実行委員になってみて、後悔したことは全くありません。新しいことの連続で、非常に良い刺激をもらっています。この刺激は、未来の自分に生かせる上に、地域のためにもなっていることがとても嬉しくて、誇らしいです。1年目よりも2年目の方が苦労しました。1年目も自分なりに意見や案を出して行動してきました。ですが、2年目で運行の代表になり、前に立つ機会が増えて、とても大変でした。運行の全てに携わってみて、初めての事ばかりでよく分からないことばかりでしたが、地域の皆さんや先輩たち、実行委員の仲間のおかげで成功しました。このお祭りを通して、本当に地域の皆さんの温かさを感じて、岩見沢におけるこのお祭りの重要性をつくづく感じます。だからこそ絶やしちゃいけないし、今後岩見沢の代名詞となって欲しい気持ちでいっぱいです。この岩見沢に何にも興味が無かった自分が、このように思わせてくれた「岩見沢ねぶた祭」をよろしくお願いします。能戸 遼太郎


岩見沢ねぶたが好きだ。出会いは大学2年の秋、ゼミの研究で訪れたのが始まり。活動される先輩方の熱量を受け刺激を受けた。翌年第二回岩見沢ねぶた祭に参加。1週間の滞在で、同世代の学生や岩見沢のまちの方とたくさん話した。自分達がやらねば祭は続かない。全員が理解していて尚且つ、楽しみながら活動に取り組んでいた。岩見沢に初訪問してからはや5年弱。青森ねぶたが終わっても夏はまだ終わらなくなった。祭りだけでなく、岩見沢やそこで待ってくれる方みんなが好きになった。8月末だけでは我慢できず春頃に行ってみたり、大学の卒業旅行は岩見沢にしたり。青森の人から見たら、よそでやっている祭とみられるかもしれないが、それは間違っている。青森だってねぶたの始まりは騒ぎたい人らが自分たちの町内で楽しむものだった。それが一歩市外になっただけで興味の目を向けないのはもったいない。私たちはそのような人にも岩見沢ねぶた祭を知ってほしい。青森出身でもなく実際に見たことも数回程の学生が、自分たちの手で真剣に祭の再生と継続に取り組んでいるのだ。岩見沢ねぶた祭が好きになった青森人として、私の役割は、二つの祭を行き来しながら両方の土地の人たちに岩見沢ねぶた祭を知ってもらえるよう動くことだ。いつか祭がもっと大きくなったら、資料の片隅にでも平田昂至の名前が残ったらいいな。私が勝手にハマって毎年行くと決めた岩見沢ねぶた祭だったが、気づけば同じ大学の後輩達も次々と来てくれるようになっていた。次第に青森と岩見沢の繋がりは強くなり、これから私が関われなくなったとしても人の交流が続いていってほしい。青森支部 メンター  平田 昂至


僕は大学入学に伴って岩手県から北海道に引っ越してきました。北海道という新天地に来たんだから、できることなんでも全力で楽しんでやろう!と意気込んでいました。というのも、僕は結構暗い性格で、外で活動することを避けてきました。祭り事なんてもってのほかでした。でも、プロダクトデザイナーになるという目標を持っていたので、大学生活を通じてたくさんの人々と交流する力をつけたいと思っていました。ねぶたに関わったきっかけは友達に誘われて「へ〜青森以外にもねぶたってあるんだ」って興味を持ったことでした。入ってみてやっぱり馴染めないなぁと思いつつ、最初は「大学での選択は今までと違って自己責任だ」と考えてたのもあって活動に義務感がありました。ですが、制作活動に関わっていくうちに祭りの主催側に立つという経験が新鮮に感じて、メンバーが一体になって一つの祭りを作り上げることを学び、その一員になれていることが誇らしくなってきました。そして祭りに苦手意識がありましたが、たくさんの人が熱狂する姿に楽しさを覚えたような気がしました。特にねぶたの制作は地道なものが多くて大変だったけど、その分完成して光が灯った瞬間はきれいで感動しました!最後に、楽しい経験であることは間違い無いのですが、正直まだ人がたくさんいる空間に慣れてません。小中学、高校で内向的な生活を送っていると、大学になってもそれを引きずっちゃうんですよね… こればかりは簡単に治せないんですよね…。だから他の人に比べると熱意が足りないように見えちゃうかもしれないけど、今後とも楽しく付き合っていきたいな〜って思っています!佐藤 大煌


タイトルに掲げさせていただいた「岩見沢を日本で1番アツいマチに」というフレーズは私が2年前に第4代実行委員長を務めさせて頂いていた頃に目標としてよく使っていた言葉です。この言葉を使っていた理由は2つあります。1つ目は、マチを活気づけることが恩返しになると考えたからです。地方都市は少子高齢化で人口減少が進むとともに、札幌のような大都市に人口流出もしています。大学4年間を過ごした岩見沢市を祭の期間だけでも自分たちが盛り上げ、活気づける要素になることが恩返しになると考えました。そして、この祭に来てくれたお客さんや一緒に祭を作り上げた人たちの記憶に残るものにし、「来てよかった」「手伝えてよかった」と思ってもらえれば再びこのマチに帰ってくるきっかけを作ることも恩返しになると考えました。2つ目は、この祭の運営に関わっている大学生の可能性を試してみたかったからです。そもそも、ここで言う「アツい」の意味は「活気溢れる」とか「勢いがある」とか、そんなところです。祭の中のどこか一瞬でも日本で1番アツい瞬間があれば、この目標は達成されたと言えると僕は思います。日本で1番というハードルを大学生が超えられるか試してみたかった。そんな想いがありました。さて、今年の8月で岩見沢ねぶた祭は6回目を迎えます。継続から発展へ。今年の夏の終わりもアツいものになること間違いなし。メンター(第4代実行委員長)  阿部 隼


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