岩見沢ねぶたプロジェクト実行委員会は、「岩見沢の街をねぶたで盛り上げたい!」という思いを持った北海道教育大学岩見沢校の学生約40名を中心に、岩見沢市民の皆様や青森公立大学の学生・青森ねぶた祭に関わる皆様と一緒に、北海道岩見沢市を拠点に活動している団体です。
私たちが主催している「岩見沢ねぶた祭」は2021年から始まり、毎年8月末に開催されているお祭りです。約40台ほどのキッチンカーを集めたり、ステージイベントを行ったり、全て学生中心の手づくりのお祭りです。
そして、なんといってもこの祭りの目玉は「ねぶた運行」です! 岩見沢駅周辺の商店街を約1時間、ねぶたが運行し、毎年2万人規模のお客様にご来場いただいています。
▼ 岩見沢ねぶた祭2025の様子はこちらからご覧いただけます! ▼
約10台のねぶたが商店街を練り歩きます!
この日のために青森からも仲間が集まってきます!
夜運行、出陣前の様子
沿道にはたくさんの方が待ってくれています
私たちが活動している岩見沢は人口約7万人の小さな街ですが、だからこそ、地域の力や繋がりが大きな原動力になります。
「岩見沢を盛り上げたい!」
「この街に新しい文化を根付かせていきたい!」
そんな思いを胸に、企画・制作・広報・当日の運営まで、学生が中心となりながら、市民の皆様のお力を借りて、夏に向けて準備を頑張っています。
ねぶた制作も手作り!3か月以上かけて作ります!
時にはタイヤを取り付けたり!
みんなの手で祭を作り上げています!
学生が中心となり、地域の皆様と一緒に試行錯誤しながら、岩見沢らしい祭になれるように、文化を育ててきました。
青森県出身の内海が気が付いたこと。
18歳まで青森県平川市に住んでいて、大学進学を機に北海道岩見沢市に移住してきました。
振り返ってみると、地元では小さい頃から「ねぷた」に関わってきました。青森ではやはり「ねぶた」「ねぷた」の文化が根付いており、幼い頃からお囃子の練習に参加したり、楽器に触れられたりと、祭りが身近にある環境で育ってきました。
ねぷた祭り出陣前の内海兄弟(左)私(右)兄

おかげで「ねぷた」が大好きになり、地元を離れた今でも祭期間は「ねぷた」のために地元に帰るくらい大好きです!
そんな経験から、「ねぶたのために帰りたくなる岩見沢にしたい!」と思うようになりました。
何が足りないのだろうと考えた時に、
・日常的にねぶた文化に触れる機会が少ない
・子どもの頃にお囃子やねぶた制作に参加するきっかけとなる場が無い
という青森との違いに気が付きました。
子どものころからねぶた文化に触れることができて、大人になっても関わり続けたいと思える環境をつくっていきたい。
小さなまちだけど、100年続く大きな文化をつくりたい。
そんな思いでこのクラウドファンディングを立ち上げました。ぜひ応援していただけますと幸いです。
「岩見沢ねぶた祭」は、コロナ禍の2021年から始まり、2025年で5回目を迎えました。
と言いつつも、実は最初の2021年の開催には、時代を超えて想いが繋がったエピソードがあります。本当の始まりは1990年代に遡るのです。
実は、岩見沢ねぶたのルーツは1995年。

岩見沢の夏のお祭りであった「あやめまつり(現・彩花まつり)」の千人踊りと呼ばれていたパレードの山車として出陣していました。当時は、JR北海道の運転士の方や北海道教育大学の学生が中心となって、制作・運行をしていました。お隣の新篠津村の「青空まつり」にも出陣していた記録もありました。しかし、大学の学科再編などでねぶた制作が困難となり2000年代の初めに歴史は途絶えました。
そして、2021年。岩見沢でのねぶた運行を復活させようと、当時大学生だった青森県出身の藤本実行委員長のもと、学生と市民の皆様の協力で、復活開催が実現しました。
▼当時の様子はこちらからご覧ください!▼
現在、5回目の開催を終え、私たちは、復活から「継続」の段階に来ています。
「一度きりのイベント」ではなく、「100年続く岩見沢の文化」に育てたいと本気で考えています。
しかし、技術を伝えていくための環境や備品は十分ではありません。
「もっと地域の子どもたちにねぶた文化に触れてもらいたい」
「もっと市民の皆さんが関われる祭にしたい」
そんな思いがあっても、十分に実現できる環境ではありません。
文化を残すには「技術」が必要で、その技術を伝えるには「道具」や「環境」が必要と考えています。
そこで今回は、皆様のお力を借りて、
「未来の岩見沢ねぶた文化の後継者を育てる」
「祭に関わる人を増やし、これまでの物語をこれからも紡いでいく」
そのために、環境を整えていくことを決めました。

私たちがこのプロジェクトで実現したいことは、「岩見沢ねぶたの文化を継承すること」です。
そのために、『技術と文化を継承していける環境づくり』を目指します。
これまでも、岩見沢市内の小中学校に出向いて出前授業を実施したり、岩見沢東高校の行灯行列の制作指導に協力したり、祭会場内でお囃子の体験会を開いたりしながら、岩見沢ねぶたの歴史や魅力を、体験を通じてリアルに感じられる企画を実施してきました。
岩見沢東高校での説明の様子
小学校での出前授業の様子
祭会場内でのお囃子体験会様子
なぜ既に取り組んでいる中で、新たな環境づくりが必要なのか?
実は、岩見沢ねぶた祭で使用している様々な物品が青森県からの借り物という実情です。
例えば、祭のお囃子に使用している太鼓は青森公立大学や青森県平川市や借り物です。祭の前日にトラックで岩見沢まで運んでいます。
青森から到着した太鼓を運ぶ様子
祭自体は成り立ちますが、市民や子供たちに参加してもらうための事前の練習会ができなかったり、地域のイベントでお囃子を披露することだってできないのです。
今の現状では、次の世代へ伝えていくことも、市民や子供たちに祭に参加してもらうきっかけをつくることもままならない環境です。
そこで私たちは、今回のクラウドファンディングを通じて、太鼓をはじめとした楽器や、ねぶた制作に使用する各種備品、跳人と呼ばれる踊り手の衣装などを購入・整備し、岩見沢ねぶたの文化を継承していくための土台を築きたいと考えました。
環境を整えることができれば、
〇市民の皆様や子供たちが参加できるお囃子の練習会の開催
〇地域のイベント、学校や施設などでお囃子を披露
〇ねぶた制作ができる体験型のワークショップの実施
などの参加型の取り組みを、祭期間だけではなく、年間を通じて開催することが可能です。
市民の皆様と一緒に、技術・文化を紡いでいくこと。そんな環境を整えることで、誰もが様々な形で岩見沢ねぶたの文化に関わることができる、そして様々な立場で祭に参加することができると考えています。
岩見沢ねぶたの文化や技術に触れる機会を作り、後継者を育ていく。
これこそが私たちがこれから目指していく次のステップであると考えています。
岩見沢ねぶたに関わる人が増えることで、この街に住み続けたい、帰ってきたいと思う人も増えると思います。
歴史が浅い岩見沢ねぶた祭。まだまだ皆様には知られていないかもしれません。
でも、岩見沢ねぶた祭にもっともっと多くの人が関わり、支え合いながら文化を繋いでいくことで、きっと良いことがこの街に起きると信じています。
持続可能な祭へ、持続可能な岩見沢へ。第1歩を、踏み出していきます。
リターンは、限定グッズの他、ねぶたの送り(背面)にお名前が入るプランなどもご用意しています!
※発送タイミングは前後する場合がありますので予めご了承ください。
今回のクラウドファンディングで集めた費用は、岩見沢ねぶた文化の継承に関わる事業にのみ活用いたします。岩見沢ねぶた祭開催に関わる運営・会場費用等には使用いたしません。
◎お囃子に関わる備品の購入:250万円
◎ねぶた制作に関わる備品の購入:100万円
◎ワークショップ等の開催に関わる会場費や備品の購入:65万円
◎手数料他:85万円
1月 ねぶた制作開始
2月14日(土) クラウドファンディング終了
6月 ワークショップ・お囃子体験会/練習会の開催
7月 新作ねぶたのお披露目・お囃子を披露するイベントの開催
8月28日(金)~30日(日) 岩見沢ねぶた祭 2026の開催
9月 各種リターンの発送
10月以降~ 2027年に向けたワークショップ・体験会などの実施
岩見沢ねぶた祭は、2026年8月で6回目の開催を迎えます。
道内の他のお祭りと比べると、まだまだできたばかりの小さなお祭りかもしれません。
それでも、北海道教育大学の学生を中心に、たくさんの地域の方が関わり、青森からもたくさんの方に来ていただき、みんなで楽しみながら、少しずつ形をつくってきました。
祭の最後に参加者全員で全力で跳ねるのも岩見沢らしい文化になりました
松野市長にも毎年参加いただいています!
私たちはこの岩見沢ねぶた祭を「続ける」だけではなく、関わる人を増やし、ねぶたの技術や文化を次の世代へと受け継ぎ、「100年先も岩見沢に根づく祭へと育てていきたい」と強く思っています。
その実現のためには、今こそ動き出す必要があると決意しました。
今の私たちに必要なのは、
「岩見沢ねぶたに誰もが関われる場を増やし、技術や文化を実際に体験しながら学べる環境を整えること」です。
その土台づくりを、ぜひ皆様と一緒に進めさせてください。
皆様からのご支援を、ただ道具を揃えるために使おうと思っているわけではありません。
皆様おひとりおひとりのご支援は、岩見沢ねぶたの技術と文化をさらに育み、岩見沢ねぶた祭を次の世代へ受け継ぐ担い手を生み出していくパワーになります。
100年先も岩見沢のまちに、
ねぶたの技術と文化を残していくために。
応援をよろしくお願いいたします。

最新の活動報告
もっと見る
岩見沢は、もう一つの故郷。【episode.04 大倉 芽依】
2026/01/21 09:00私にとって岩見沢は、もう一つの故郷。私が生まれ育ち、18歳まで住んだ場所は、県内1の少子高齢化、人口減少が進んだ、人口は5000人の地域でした。そんなまちに住んでいた私の命題は地域活性化になりました。高校受験でも大学受験でも、語ることは「まちを活気づけたい。」ということ。そんな私に、学生が祭りで地域を盛り上げている活動をしている岩見沢の大学を高校の先生が勧めてくれた。コロナだったこともあり、書類だけで通った私。18歳でひとり、初めて北海道に、岩見沢に来ました。友達も知り合いもいなくて、4月は一人でずっと泣いていました。誰かと関わらないと!って、寮の友達ができ、サークルに入り、「岩見沢ねぶたプロジェクト」に入りました。そこからみるみる私の輪が広がりました。私がこのまちを大好きになったきっかけが、ねぶた祭りでした。この活動は、私にたくさんのものをくれたと思います。ゆうへいさん、ちひろさん、そういちろうさん、先輩たちが作ってきたこの祭が大好きになりました。初めて岩見沢にきて、一緒に岩見沢ねぶた祭を、つくってくれた、てとらさん、こうしさん、せなさん。えーすけさん、北辻さん、前野さん、、、もっともっーっといます岩見沢で出会った大好きな人の名前を出すとキリがありません。この祭を通して出会った大切な人たちがたくさんいて、祭を継承していく人がいて、私が全く知らない学生がまたこの祭を作っていって遠くからでもいろんな形で岩見沢に関わって、帰れる場所になっていく、そんな祭。今まで、たくさんの新聞に取り上げられ、数えきれない活動をして、今の「岩見沢ねぶた祭」があります。広報部として活動してきましたが、地域の人と関わり、この祭をそんな素敵な人たちと一緒に作り上げて、岩見沢を見てきた私は、関係人口の1人となりました。岩見沢に住んでいる人、応援している人、関わっている人が1人でも増えるよう、私は岩見沢をこれからも愛していきます。そのきっかけが「岩見沢ねぶた祭」です。応援のカタチは様々。祭の継続には資金が必要です。ねぶた祭に欠かせぬお囃子の音を、活気を絶やしたくない。クラウドファンディングでこの祭を岩見沢を応援していただきたいです。2024年度卒業生 メンター 大倉 芽依 もっと見る
岩見沢がなくなってほしくない。【episode.03 植松 歩楽】
2026/01/20 09:00【まちづくりと岩見沢ねぶた祭】まちづくりって難しいなと思いながら生活してます。私のまちづくりのゴールってなんだろう。多分私が今ねぶた祭を頑張ってる理由は、「岩見沢がなくなってほしくないから」なんだと思います。自分が育ててきたものには愛着が湧きます。私が生まれ育った札幌はこのままでも大丈夫な自信があるけど、岩見沢は、私がもっと大きくなってもこのまま残っている自信がないです。この愛着がある岩見沢を止めたくない。せっかく藤本さんが押してくれた“再生ボタン”を、止めたくないです。「岩見沢がなくなってほしくない」「藤本さんが押してくれた再生ボタンを止めたくない」この2つの気持ちは、まちづくりの原点そのものだと思います。まちは“つくる”ものだと言われるけど、本当に難しいのは“続ける”ことだと考えます。誰かが止めたら、動かなくなってしまう。別に誰も止めたくて止めてるわけではないのに。だからこそ、今私が感じている「愛着」や「止めたくない」という気持ちは理屈ではなく、生きている人の温度があります。それは、プロジェクトのゴールよりもずっと深い理由になっているのではないかと思います。藤本さんが押した再生ボタンは、「岩見沢ねぶた祭」だけじゃなく、この街がもう一度動き出すきっかけだと思います。ねぶた祭りのおかげでできた友達や繋がりが沢山ある。そして今、この祭りを再生し続けられるのが私たちです。私のゴールはきっと、「まちが動き続けるための熱を絶やさないこと」ねぶた祭りは、そのための火種のひとつであり、それを守るのが実行委員の役割だと思っています。祭りは“形を残す”だけでは続かない。人と人がつながり、「やろう」という気持ちが受け継がれてこそ続いていくんだと日々考えてます。今は再生させた祭りを、私たちが継いで、広げている。 しかも、ただ真似するのではなく、自分たちの想いで動かしている。ここが大切だと思います。それはもう「再生の次のフェーズ」。再生 → 継承 → 発展。今私が感じている「止めたくない」という気持ちは、次の世代へ託す“熱”になっているのかもしれません。今はただ、岩見沢の一員になれていることが嬉しいです。お祭りは完成した形に見えて、本当は参加する人によって毎年形が変わるもの。だからこそ、いろんな学生や地域の人が「ちょっと手伝ってみようかな」と思える雰囲気をつくることが、お祭りの命を長くするんだと思います。運行ディレクター 植松 歩楽 もっと見る
生まれも育ちも青森市。物心ついた時からねぶたがありました。【episode.02 川村 晃生】
2026/01/19 09:00私は生まれも育ちも青森市で、物心ついた時からねぶたがありました。家の目の前をねぶたが通るというすばらしい立地に恵まれ、小さい頃から熱狂的なねぶた祭を毎年楽しみにしていました。幼稚園の頃は兄と自転車を10分ほど漕いでねぶた小屋を見に行って絵を描いたり、解体の時にはねぶたの一部をもらいに行ったりしていました。今考えると、よくあんなに炎天下で通っていたなーと思います。小学校に入ると、地域ねぶたに参加することができるようになり、そこで初めてお囃子を演奏する側になりました。小さい頃は身体中に響くような大きな音が怖かった太鼓を自分で叩き、大きな掛け声で観ている人を巻き込むのがとても楽しくてたまらなかったのを今でも覚えています。冬でも太鼓のリズムを口ずさむほど太鼓が好きになり、本祭にも出るようになりました。難しいところもあったけれど憧れの場所で太鼓を叩けて幸せでした。高校は地元の青森を離れ、ねぶたに接する機会がなくなりました。ねぶたのシーズンになると喪失感を感じ、親から送られてくるねぶたの写真を見て「ねぶた行きたいなー。」と、しんみりしていました。岩教大に進路が決まり岩見沢について調べると、ある記事を見つけました。それは、「岩見沢ねぶた祭」について。岩見沢にねぶたがある。しかも学生主体。3年間ねぶたから離れていた私は「俺がやるしかない。」と本能的に責任感を感じ、身体に衝撃が走りました。大学に入学し、当時の実行委員長であるハヤトくんに1人で「ねぶたやりたいです」と気持ちを伝えに行きました。実際に活動に携わり、異なる専攻の学生が「ねぶた」をツールとして一生懸命岩見沢を盛り上げようとしている、そんな姿を実際に見て「岩見沢ねぶたって、おもしろい。」と感じました。そんな岩見沢にはいいところがあります。それは「ちょうどいい」ってことです。岩見沢って、「ちょうどいい」んです。必要最低限のお店があり、不自由なく生活できるし、札幌方面にも、旭川方面にも、ちょっと頑張ればどこへでも行けちゃいます。もうちょっといろんなお店ができてくれたら嬉しいのですが(笑)あとはとにかく人が良くて優しい!何かと助けてくれることが多い!けど、ちょっとシャイ。お祭りの時もシャイな人が多いので祭のときはもっとはっちゃけてほしいんです!めっちゃ煽ってる声が大きな男子がいたらそれは自分なので、ぜひ乗ってきてくださいね!私が思う岩見沢ねぶたの将来の理想は、ねぶたのために岩見沢に帰ってくる人が増えたらいいなと思います。それだけ岩見沢にねぶたの文化が芽生えたら青森人としてうれしいです。ここからは個人的な夢ですが、企業にねぶたを出してもらったり、国道12号線でねぶたを運行したり、最終的には青森ねぶた祭に岩見沢ねぶたとして出陣したい!なんて大きな夢を1人でみたりしています。私は大学でサッカー部にも所属しており、部活動が多忙でなかなか活動に参加できないのですが、ねぶたの仲間たちはそんな自分を理解し、いつも歓迎してくれます。いろんなわがままを言っても受け入れてくれる仲間には感謝しかありません。そんな仲間のためにも、本場のねぶたを経験している自分だからこそできることを必死にやっているつもりです。岩見沢ねぶたプロジェクト囃子方 岩鳴 川村 晃生 もっと見る




コメント
もっと見る