講師としての違和感を抱えながらも、運営の仕事は加速していきました。
次なるミッションは、なんと「東京」でのスクール開講。 外部コンサルも私も、拠点は名古屋。東京なんて縁もゆかりもない土地でしたが、立ち止まっている暇はありませんでした。
東京でスクールを運営している方々に何度もアプローチし、自ら泥臭く人脈を作っていく日々。夜行バスで名古屋と東京を往復し、早朝に帰ってきては特養の相談員として働く……。 今思えば、体力的にはかなり無茶をしていました。
それでも、はじめて「名古屋」という井の中を飛び出した蛙(私)は、外の世界の広さに圧倒されながら、日々を楽しく飛び回っていました。
そんな中で出会ったのが、「認知症の紙芝居」でした。それは、私の運命を大きく、大きく変える出会い。 「これを、私が一生をかけて伝え続けるんだ」 そう直感しました。
私はこれまで、愛嬌と誠実さとまじめさだけで、なんとかここまで来ました。
でも、介護福祉士として、プロの仕事はそんなに甘いものじゃない。学ぶことの大切さを、心の底から痛感したのがこの時でした。
けれど、世界が広がれば広がるほど、あの「小さな違和感」もまた、無視できないほど大きくなっていったのです。
「形を作るだけじゃなく、暮らしを支えるプロとして、本当に価値のある教育を届けたい」 今の組織のあり方と、自分の理想。
その想いが臨界点に達しようとしていた時。私はついに、その後の運命を変える「あの人」と遭遇することになります。
次回:ついに登場。福祉の人らしくない福祉のひと、代表理事。



