学びたいけど学べない『介護研修難民』問題を解決したい

介護福祉士の国家資格取得のために必須の『実務者研修』を受けたくても受けるのに遠方まで通わなければならない地域の『介護研修難民』問題を解決するために、移動型カレッジの開講場所を増やします。

現在の支援総額

220,000

11%

目標金額は2,000,000円

支援者数

26

募集終了まで残り

34

学びたいけど学べない『介護研修難民』問題を解決したい

現在の支援総額

220,000

11%達成

あと 34

目標金額2,000,000

支援者数26

介護福祉士の国家資格取得のために必須の『実務者研修』を受けたくても受けるのに遠方まで通わなければならない地域の『介護研修難民』問題を解決するために、移動型カレッジの開講場所を増やします。

 前回は、大手カレッジの「マニュアル至上主義」の指導に対する悶々とした想いをお話ししました。 今回は、そんな葛藤の日々の中で訪れた、当カレッジの「事務局」とのドラマチック……とは程遠い、なんとも不器用な出会いの時のお話です。 「カレッジを作ろう」なんて、まだ1ミリも思っていなかった頃。とある研修で一緒になった人に誘われ、大阪の岸和田市で開催される認知症の研修に向かっていました。人と話すことには慣れかけていたとはいえ、中身はまだバリバリの人見知りです。 初めて来る岸和田の土地で、会場の建物まではすぐにたどり着けましたが、部屋がわからず、建物内を行ったり来たりウロウロと探していました。何度目かのエレベーターに乗ったまさにその時です。 扉が閉まる直前、エレベーターに乗り込んできた私に、先に乗っていた女性が突然、笑顔で元気よく声をかけてきたのです。「こんにちは!」……えっ?!誰??? フリーズしました。 「(知らない人だ…)」  「(でも、同じ研修に参加する人なのかなぁ?   だとしたら、挨拶しないと失礼かなぁ?)」  「(それにしても…元気過ぎて…圧が…)」 人見知りと焦っているのが混ざり合った結果、口から出た精一杯の返答は、 「あ、あぁ……どうも」 後になって「すごく不愛想だった」と言われましたが、その時のボクにはその一言で精いっぱいでした。 前回の投稿で、事務局がボクの第一印象を「怖い人、関わらないでおこう」と書いていましたが、その裏側で、ボクはボクで「よぅ知らない人に親しげに声かけられるなぁ」と別の意味で震えていたのです。 でもまぁ、この出会いが今につながるとは… さて、次回は事務局が「は?」と思っていたのが「ん!?」に変わったと言っていたので、そのあたりの話をしてもらおうと思います。


【ついに、その時がやってきた】  そんなもやもやを抱えながらも、相変わらず名古屋と東京を行ったり来たりする日々。 私は特別養護老人ホームに籍を置きながら、研修事業部として初任者研修や実務者研修の計画を立て、自らも講師として教壇に立っていました。 認知症紙芝居の伝え手として活動する中で、私は【本当に伝わる伝え方】を少しずつ肌で実感するようになっていました。だからこそ、余計に胸の奥の迷いが膨らんでいきます。  「自分が今やっている研修は、ただ単にテキストをなぞるだけのもの…このままでいいのだろうか……」  「暮らしを支えるプロ」を育てるための、本当の教育とは何なのか。 一人で答えの出ない問いを抱えていた、まさにそんな時でした。 訪れたのは、大阪府岸和田市で開催された「認知症紙芝居の全国大会」 実は、SNSを通じてその人の存在だけは一方的に知っていました。  全国大会の会場に向かうため、エレベーターに乗っていた時のことです。 扉が閉まる直前、慌てて滑り込んできた大柄な男性がいました。  そう、その人が稲岡でした。  同じ認知症紙芝居のメンバーだという親近感(ただそれだけだったのですが)、私はごく自然に、「こんにちは!」と声をかけたのです。  けれど、その時の稲岡の表情と、返ってきた言葉だけは今でも忘れられません。  「えっ?!……あ、どうも」 ……まさかの、そのひと言だけ(笑)。 全くの愛想なし。 おまけに見上げるほどの高身長でしたから、私の第一印象は「は?なんか怖い人……かかわらないでおこう!」でした。  代表の稲岡は「人とのつながりを大切にする人」なんて言われていますが、私と代表のリアルな出会いは、お世辞にもドラマチックとは言えない、なんとも不器用で冷ややかなものだったのです。 少し長くなってしまいましたね。 次回は「は?」が「ん!?」になったお話です。


 講師としての違和感を抱えながらも、運営の仕事は加速していきました。 次なるミッションは、なんと「東京」でのスクール開講。 外部コンサルも私も、拠点は名古屋。東京なんて縁もゆかりもない土地でしたが、立ち止まっている暇はありませんでした。  東京でスクールを運営している方々に何度もアプローチし、自ら泥臭く人脈を作っていく日々。夜行バスで名古屋と東京を往復し、早朝に帰ってきては特養の相談員として働く……。 今思えば、体力的にはかなり無茶をしていました。 それでも、はじめて「名古屋」という井の中を飛び出した蛙(私)は、外の世界の広さに圧倒されながら、日々を楽しく飛び回っていました。  そんな中で出会ったのが、「認知症の紙芝居」でした。それは、私の運命を大きく、大きく変える出会い。 「これを、私が一生をかけて伝え続けるんだ」 そう直感しました。 私はこれまで、愛嬌と誠実さとまじめさだけで、なんとかここまで来ました。 でも、介護福祉士として、プロの仕事はそんなに甘いものじゃない。学ぶことの大切さを、心の底から痛感したのがこの時でした。  けれど、世界が広がれば広がるほど、あの「小さな違和感」もまた、無視できないほど大きくなっていったのです。  「形を作るだけじゃなく、暮らしを支えるプロとして、本当に価値のある教育を届けたい」 今の組織のあり方と、自分の理想。 その想いが臨界点に達しようとしていた時。私はついに、その後の運命を変える「あの人」と遭遇することになります。  次回:ついに登場。福祉の人らしくない福祉のひと、代表理事。


【「くりゆら」ができる前、私は○○でした】 代表が自身のルーツを遡っている間、私も少しだけ時計の針を戻します。 「くりゆら」が影も形もなかった頃、私は特別養護老人ホームのケアマネジャー兼、生活相談員として働いていました。 ユニット型の小さな特養。日々の仕事にはそれなりにやりがいを感じていましたが、心のどこかで「なんとなく満たされない想い」を抱えて過ごしていました。 そんな時、当時の理事長から飛び出したのが、「人材育成が大事だ!別会社でスクールを立ち上げよう」というお話。 実は、小さい頃から「先生」という職業に密かな憧れがあった私。後先なんてこれっぽっちも考えず(笑)、「私に講師をやらせてください!」と一番に手を挙げました。 すぐに「介護職員初任者研修」のスクールが立ち上がり、私は講師としての第一歩を歩みだすことになったのです。 今の「事務局」としての私に繋がる、大きな転換点。 さて、もうすこしVol.2が続きます…。


【なぜ今、私は筆を執ったのか】 「文章苦手な代表が、がんばってる……」 現在、クラウドファンディングの活動報告で連載されている代表理事のストーリー。それを一番近くで、そして一番ハラハラしながら(?)読んでいるのは、間違いなく事務局である私でしょう。 代表が語る「くりゆら」の歩みは、いわばこの組織の正史。でも、その光の裏側には、事務局という立場からしか見えなかった景色、数々のドタバタ劇、そして代表に巻き込まれていった「私自身の人生の物語」があります。 今回、あえて「アナザーストーリー」としてこの文章を綴ろうと決めたのには、2つの理由があります。・「くりゆらが実現したいこと」を伝えたいからバラバラだった個人の「点」が、どこで交わり、今の形になったのか。そのプロセスを描くことで、私たち「くりゆら」が目指す未来の手触りを伝えたい。・未来の自分たちが立ち返る場所を作りたいからクラウドファンディングという挑戦の真っ只中にいる今。数年後、私たちがさらに遠くへ行った時、この原点の記憶をいつでも取り出せるように。記憶の整理をしながら、ここを「心の拠り所」として残しておきたい。 代表がまだ「法人設立前」の昔話を語っている今だからこそ、私も「くりゆら」に出会う前の、自分の話を少しだけ始めてみようと思います。これは、代表のストーリーとどこかで重なり、時にぶつかり、そして今に繋がる、もう一つの物語です。


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