学びたいけど学べない『介護研修難民』問題を解決したい

介護福祉士の国家資格取得のために必須の『実務者研修』を受けたくても受けるのに遠方まで通わなければならない地域の『介護研修難民』問題を解決するために、移動型カレッジの開講場所を増やします。

現在の支援総額

676,000

33%

目標金額は2,000,000円

支援者数

33

募集終了まで残り

14

学びたいけど学べない『介護研修難民』問題を解決したい

現在の支援総額

676,000

33%達成

あと 14

目標金額2,000,000

支援者数33

介護福祉士の国家資格取得のために必須の『実務者研修』を受けたくても受けるのに遠方まで通わなければならない地域の『介護研修難民』問題を解決するために、移動型カレッジの開講場所を増やします。

【京丹後・名古屋・日光! 怒涛のロードムービー開幕】  「あのわかりやすい学びを届けたい!」 そうと決まれば、そこからは早かったです。 私の「即決・即実行スタイル」は昔から変わりません(笑)。 すぐに理事長に掛け合い、稲岡を非常勤講師として迎え入れる承諾を取り付けました。  目前に迫る日光でのスクーリング。 実は、そこですぐに稲岡を教壇に立たせたわけではありません。その時のメイン講師は「私」だったからです。  そこで始まったのが、稲岡による「私への猛特訓」でした。 「僕のやり方を、そのままコピーしたらエエやん」  その言葉通り、毎晩のようにオンラインを繋ぎ、稲岡の授業をひたすら聴いて叩き込まれる日々。 ただでさえ新しい概念ばかりで、私の頭は完全にパンク寸前……いや、ほぼパンク状態でした。  そんなギリギリの私と関わっていて見かねたのか「栃木にボクも行くか~」と、稲岡が言い出したのです。  日光の開講は本当に怒涛の展開でした。 なんと稲岡は、自分の拠点である「京丹後(京都)」を出発し、「名古屋」に寄って私を拾い、そのまま一気に「日光(栃木)」まで行ったのです。 日光に無事着いて良かった…で終わりではないんです…そこから授業が始まるのです。 9時間の初日の授業を終えて(その日の夜は早く休んでいましたが)次の日も9時間の授業をし、終わったらすぐに、せっかく遠くまで来た日光を後に名古屋経由で丹後へ帰るという強行軍をやってのけたのです。 ほぼ寝ずの運転をしながら次の授業の話を助手席で聴きながら「この人、体力どうなってるの……?」と呆れつつも、その圧倒的なサポートにどれほど心強く助けられたことか。  こうして、京丹後・名古屋・日光を駆け抜ける、急ごしらえの「即席チーム」による初めてのスクーリングが幕を開けたのです。


【いきなり、くりゆらができたわけじゃない(笑)】  あの会議室での30分間で、私の心を完全に掴んだ稲岡のレクチャー。 でも、そこから「よし、一緒に法人を作ろう!」とすぐになったわけではありません。物語には、ちゃんと(笑)ステップがありました。  当時、私は5年近く勤めていた特別養護老人ホームを辞める気なんて、これっぽっちもありませんでした。仕事への愛着もありましたし、自分の生活だってあります。  けれど、「あの素晴らしい学びを、今すぐうちの受講生たちに届けたい!」という衝動だけは、どうしても抑えきれませんでした。  そこで私が取った行動は、自分が運営していたスクールに、稲岡を「非常勤講師」として速攻で迎え入れることでした。 ちょうどその時、目前に迫っていたのが「2期生」のスクーリング。しかもその会場は、系列施設がある……なんと、日光(栃木県)。 名古屋から日光へ。ただでさえ大移動のドタバタが予想されるスクーリングに、出会ったばかりの規格外な男・稲岡の授業を、いきなりぶち込むことを決めたのです。 こうして、急ごしらえの「即席チーム」が誕生しました。 これが、のちに「くりゆら」を共に動かすことになる、私たちの凸凹コンビとしての本格的なスタートだったのです。


【目からウロコ。 これが「暮らしを支えるプロ」を育てる教育だ】 「介護過程ってね――」  そう言って、稲岡はホワイトボードに向かい、マーカーを握りました。  ホワイトボードに次々と描かれていく、〇や□や矢印。そして、これまで何度も教科書で見聞きしてきたはずの、聞き慣れた介護ワードたち。  それらが稲岡の手によって図式化されていくのを見た瞬間、私の中で信じられないことが起きました。 「なにこれ?すごい……!」 これまで点と点でバラバラだった知識が、まるでパズルのピースが綺麗にハマるように、カチッ、カチッと音を立てて繋がっていく。 さっきまでの不安や格好つけも全部どこかへ吹き飛んで、気が付けば夢中になってホワイトボードに釘付けになっている私がそこにいたのです。  「あ……そういうことだったんだ……!」 テキストの文字をただ追うだけでは決して分からなかった、現場の『暮らし』に直結する介護過程の本質が、一瞬で立体的に頭の中に飛び込んできました。 3ヶ月前、名古屋の井の中を飛び出した私がずっと求めていた答えが、まさにこのホワイトボードの上にありました。  「暮らしを支えるプロを育てるって、こういうことだ」 胸の奥をずっと塞いでいた分厚いもやもやが、跡形もなく綺麗に晴れ渡っていった研修前の30分。 この感動と確信が、私を「くりゆら」という次のステージへと突き動かす、決定的なエネルギーになったのです。 次回:チーム誕生。こうして私たちは「同じ船」に乗ることになった。


【研修前の30分、人生の分岐点】 岸和田での衝撃的な(?)出会いから3ヶ月。 有言実行、本当に稲岡が私の勤務先である特養へと来てくれました。これが、後に続く私たちの活動の「名古屋初上陸」の瞬間です。  当時、私は「講師」という仕事に対して大きな壁にぶつかっていました。資格を取らせるためだけの、中身の薄い講義。「これでいいのかな」という終わりのないモヤモヤ。  ……と、ここまでは研修のお話のようですが、実は、私の運命を大きく変えたのは、その後に始まった研修そのものではなかったのです。  本当に人生の分岐点となったのは、研修が始まる前の、誰もいない会議室でのわずか30分間でした。 実は稲岡が名古屋に来る前から、私は少し悩みを話していました。 そしてあの日、目の前にいる彼に、ずっと胸の奥に溜まっていた泥臭い本音を、一気にぶちまけたのです。  「実務者研修の講師をしてるけど、本当は何をしていいか分からない」「介護過程って、一体なんなの?」 テキストをなぞるだけ。とりあえず資格を与えたらいい。そんな中身のない状態で、何も理解できていない私が教壇に立っていていいんだろうか……と。 専門職としてのプライドも、先生としての格好つけも全部捨てて、恥を覚悟で話しました。  当時、大手カレッジで同じく実務者研修の講師をしていた稲岡は、私の話をじっと聞いたあと、「僕はこんな風に教えているよ」と、今まで見たり聞いたりしたことのない方法で話してくれました。 研修前の静かな会議室。時計の針がカチカチと進む中、私を包んでいた分厚いもやもやが、スッキリと晴れていくのを感じていました。 次回:目からウロコ。これが「暮らしを支えるプロ」を育てる教育だ。


 【ん⁈なんだか面白そう】 全国大会と懇親会が終わり、そのまま二次会の会場へ。 案内されたのは、居酒屋の2階。 そこに参加者の皆さんがぎゅうぎゅうにひしめき合っていました。  そこで、私が尊敬する先生から、こんな声をかけられたのです。 「研修事業をやってるなら、ジョージくんのお話しを聞いてみるといいよ」 (……え? ジョージくんって、さっきのエレベーターの愛想なしの大きい人ですか?)  心の中で大きなため息をつきつつ、正直「遠慮したいな……」という気持ちでいっぱいでした。 でも、お世話になっている先生の紹介だし、お話くらいは聞いておこう…そんな後ろ向きなスタートだったのを覚えています。  ところが、同じテーブルにつくと、稲岡はエレベーターの時とは180度違っていました。タブレットを片手ににっこり笑って、本当に楽しそうに、自分自身の学びについて熱く披露してくれたのです。  その話を夢中で聞くうちに、私の中の感情が少しずつ、でも確実に変化していきました。 「は? なんだこの人……」から、「ん?! これって、ものすごく面白いかも!」へ。  基本、良いと思ったら即決断・即実行の私。気づけば、こんな言葉が口から飛び出していました。 「……うちの特養で、研修をしてもらえませんか?」 あちこち動きまわり始めていた稲岡にとっても、この「名古屋進出」の提案は魅力的だったようです。エレベーターでの最悪な第一印象から、わずか数時間。その3ヶ月後には、私の住む名古屋の特養で研修を行うことが決まっていました。


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