がんステージ4克服!肉レシピ(豚・鶏・牛)店オープン支援プロジェクト

私は2021年4月に上咽頭癌ステージ4と診断され、抗がん剤と放射線治療でほぼ消失したが、2年後に肺に転移し手術をしてもらった。退院して知り合い、テニス仲間、兄弟姉妹、姪っ子に料理を作って喜ばれた。特にデミシチュー、おでん、牛すじ煮込みが人気でした。お店を旭川に開いてがん患者含め笑顔を増やしたい。

現在の支援総額

378,000

7%

目標金額は5,000,000円

支援者数

31

募集終了まで残り

10

がんステージ4克服!肉レシピ(豚・鶏・牛)店オープン支援プロジェクト

現在の支援総額

378,000

7%達成

あと 10

目標金額5,000,000

支援者数31

私は2021年4月に上咽頭癌ステージ4と診断され、抗がん剤と放射線治療でほぼ消失したが、2年後に肺に転移し手術をしてもらった。退院して知り合い、テニス仲間、兄弟姉妹、姪っ子に料理を作って喜ばれた。特にデミシチュー、おでん、牛すじ煮込みが人気でした。お店を旭川に開いてがん患者含め笑顔を増やしたい。

蓋を開けた瞬間、赤ワインと深煎りのデミグラスが混ざり合った、芳醇な香りがふわっと立ち上がった。3日間赤ワインに漬け込まれた豚肉は、スプーンを当てただけでハラリとほどける。口に含めば、繊維が舌の上でとろけ、肉の深い旨味と赤ワインのコクが一気に広がる。これはもはや「肉」ではなく「旨味の結晶」だ。えのきがソースをたっぷり吸い込んで旨味を増幅させ、にんじんとじゃがいもが優しい甘みで全体を包む。そしてブロッコリーが、その濃厚な世界の中でちょうどいい清涼感を添えてくれる。クラファン1番人気、納得の一皿。食べながら、思わず目を閉じた。

魂のデミグラスシチューに見た、三部作の頂点食には、作り手の人生が溶け込む。一杯の料理は、その人の哲学、歩んできた道、そして未来への眼差しを映し出す鏡となる。私たちは今、二瓶さんという一人の料理人が紡ぎ出す物語の、幸福な読者である。第一章、九州の魂と旭川の風が出会った「もつ鍋」。第二章、継ぎ足しのタレのように深みを増す人生を体現した「牛すじ煮込み」。そして今、第三章の幕が上がる。その名も、「デミグラスシチュー」。先に結論から言おう。二瓶さんがクラウドファンディングで複数の料理を返礼品として出した中で、このデミグラスシチューは堂々の人気ナンバーワンに輝いた一皿である。もつ鍋も、牛すじ煮込みも、すべてが最高に美味しかったと断言した上で、個人的に、この三部作の頂点に立つ一皿だった。修正点など、どこにもない。完璧だ。これは、単なる料理の話ではない。一人の人間が、何度も折れそうになりながら、それでも前を向き続けた、魂の記録である。馬面の男が放った、伝説の一言まず、この物語を語る前に白状しなければならないことがある。二瓶さんから「絶対に馬い」という一言を聞いたとき、私は一瞬、頭の中に疑問符が三つほど浮かんだ。「馬い?」「馬?」「もしかして食材が…?」。しかし、その謎はすぐに解けた。二瓶さんは自他ともに認める馬面の持ち主であり、しかも本人がそれを実に気に入っているというのだ。ちょっと待ってほしい。馬面を「気に入っている」。普通、馬面と言われたら傷つくものではないか。しかし二瓶さんは違う。馬面を誇りとし、馬面をブランドとし、馬面を料理の品質保証にまで昇華させてしまった。「馬面の俺が作るんだから、馬いに決まってる」。これはもはや、馬面界の革命である。世界中の馬面たちよ、二瓶さんを見よ。馬面はコンプレックスではない。才能だ。ブランドだ。生き様だ。さらに深読みすれば、馬といえば競馬の世界では「名馬」という言葉がある。名馬は走り続ける。どんな障害があっても、どんな逆風が吹いても、ゴールに向かって走り続ける。二瓶さんもまた、人生というレースを走り続けてきた名馬だ。北海道からアメリカへ、カナダへ、イギリスへ。そして九州の味に魅せられ、旭川に戻り、大病を経て、今また新たなゴールに向かって走っている。ならば、その名馬が作る料理が「馬い」のは、もはや必然である。馬面に乾杯。笑いながらも、心のどこかで「この人、ただ者じゃない」と確信した瞬間だった。81歳が放った、もう一つの伝説ここで、もう一つの伝説的な言葉を紹介しなければならない。二瓶さんのテニス仲間に、81歳の方がいる。81歳。テニスをしている。その時点でもう十分すごいのだが、この方が牛すじ煮込みを食べて、こう言ったというのだ。「肉肉しい(にくにくしい)」。私はこの言葉を聞いた瞬間、しばらく固まった。「肉肉しい」。辞書を引けば「憎々しい」、つまり腹が立つほど憎たらしいという意味だ。しかしこの文脈では、明らかに最上級の褒め言葉である。肉が、肉として、これ以上ないほど肉らしい。肉の存在感が、憎たらしいほど圧倒的だ。そういうことだ。81年間生きてきた人間が、その語彙の引き出しの奥の奥から取り出してきた言葉が「肉肉しい」。これは、単なる感想ではない。81年分の人生経験と味覚が凝縮された、最高の批評だ。二瓶さんの料理は、81歳のテニス仲間を「肉肉しい」と言わしめた。これ以上の勲章が、どこにあるだろうか。ポイントは、愛ある日、二瓶さんに聞いてみた。「この料理、ポイントはどこですか?」と。返ってきた答えは、一言だった。「愛があること」。思わず笑いそうになった。しかし次の瞬間、その言葉がじわじわと胸に染み込んできて、笑えなくなった。二瓶さんが好きなドラマに、「愛し合ってるかい!」という名台詞で知られる作品があるという。その言葉が、彼の料理哲学の根っこにある。愛し合ってるかい。食材と愛し合い、食べる人と愛し合い、料理という行為そのものと愛し合う。そういうことなのだと思う。馬面で、愛がある。これほど強い組み合わせが、この世にあるだろうか。3日間、誰も知らない場所で「これ、豚肉を3日前から赤ワインで下準備してるんだよ」。その言葉を聞いて、私は思わず手を止めた。三日間。それは単なる72時間という時間ではない。しかし、その言葉の重さに気づいたのは、食べ終わってしばらく経ってからだった。私がこのシチューを口にするはるか前から、二瓶さんはすでに動いていたわけだ。私が何も知らずにテニスをして、サウナで汗を流して、ぼーっとテレビを見ていた3日間、二瓶さんは赤ワインと豚肉と向き合い、コトコトと火を守り続けていた。誰かに褒められるわけでもなく。誰かに見られているわけでもなく。ただ、食べてくれる人の顔を思い浮かべながら、一人で鍋の前に立ち続けた3日間。その孤独で、静かで、愛情に満ちた時間が、このシチューの底に沈んでいる。ふと思う。二瓶さんは、その3日間、何を考えていたのだろう。世界を飛び回った若い頃のことだろうか。九州のもつ鍋屋で、醤油ダレを仕込んでいた日々のことだろうか。それとも、旭川医大の白い天井を見上げながら、「まだやりたいことがある」と歯を食いしばったあの日のことだろうか。きっと、全部だ。この3日間は、二瓶さんのこれまでの人生が、静かに鍋の中に溶け込んでいく時間だったのだと思う。その事実に気づいた瞬間、笑いが引っ込み、胸の奥がじんわりと熱くなった。一口目の衝撃、そして昇天届けられた一皿は、これまでの二作とは明らかに異なるオーラを放っていた。深い藍色の器の中に横たわるのは、艶やかな暗褐色のソースの海。その中心に鎮座する豚肉の塊は、見ただけでわかる。これは、ただ者ではない。まず、ソースを一口。最初に感じるのは、デミグラスソース特有の深いコクと甘み。しかしそれだけではない。一拍置いて、赤ワイン由来の気品ある酸味と渋みが、まるで後から登場する名脇役のように颯爽と現れる。そしてその奥から、じっくりと炒められた玉ねぎの、とろけるような甘みが全体を包み込んでくる。玉ねぎはすでに形を失い、ソースの一部となって溶け込んでいる。しかしその存在感は、どこまでも確かだ。これが、このシチューの骨格を作っている。いよいよ主役の豚肉にスプーンを入れる。驚いた。抵抗というものが、まるでない。スプーンがすっと肉の繊維に入り込み、いとも簡単に塊を解きほぐす。口に含めば、ハラリ、と音を立てるかのように肉がほどけ、次の瞬間には舌の上でとろけて消えていく。しかしその後に残る旨味の余韻が、これがまた凄い。豚肉の濃厚なコクが、赤ワインの風味を纏いながら、口の中でいつまでも踊り続けるのだ。思わず目を閉じた。これは食べ物ではなく、体験だ。そして、完璧な脇役たち。ほっくりと甘いじゃがいも。ソースをたっぷり吸い込みながらも、シャキシャキとした独特の食感を残すえのき。鮮やかなオレンジ色で、噛むたびに優しい甘みを添えるにんじん。そして、ブロッコリー。脇役のように見えて、実はこの一皿の影の主役だ。濃厚なデミグラスの海の中で、このブロッコリーの一口が、なんと清々しい息継ぎになることか。そして確信した。これは間違いなく「馬い」。二瓶さん、あなたの言葉に嘘はなかった。馬面の誇りにかけて作られたこの一皿は、その名に恥じない、いや、その名を遥かに超えた完成度だった。馬面万歳。馬面に乾杯。これほど馬面に感謝したことは、生まれて初めてだ。料理の向こうに見えた、一人の人間食べながら、私はふと考えた。この料理は、いったいどこから来たのだろう、と。北海道旭川で生まれ、20代はシステムエンジニアとして世界を飛び回り、ある日ひょんなことから居酒屋の世界へ。九州の味に魅せられ、もつ鍋の醤油ダレを作り続けた長い年月。結婚、離婚、メンタルの崩壊、故郷への帰還。テニス、料理、大切な人たちの笑顔。そして2021年、旭川医大での宣告。上咽頭がん、ステージ4。その言葉の重さを、私は正直、想像しきれない。でも、このシチューを食べながら、少しだけわかった気がした。治療が終わり、「またいつどうなるかわからない」という言葉を胸に抱えながら、それでも二瓶さんは3日前から仕込みを始めた。赤ワインで豚肉を漬け込み、玉ねぎをじっくりと炒め、えのきを丁寧に加え、火加減を調整し続けた。その行為の一つひとつが、「私はまだここにいる」という、静かで力強い宣言だったのではないかと思う。料理を作るということは、未来を信じるということだ。3日後に誰かが食べてくれると信じなければ、3日前から仕込むことなどできない。二瓶さんはその3日間、未来を信じ続けていた。自分の料理を誰かが食べて、笑顔になる瞬間を信じ続けていた。それは、「愛し合ってるかい!」という叫びに似ている。誰かのために、何かを作る。誰かに、美味しいと言ってほしい。誰かの顔が、笑顔になってほしい。その想いの積み重ねが、3日間の炎になり、とろける肉になり、深いソースになった。二瓶さんの料理の「ポイント」が愛だというのは、比喩でも冗談でもなく、文字通りの事実だったのだ。気づいたら、目の奥が熱くなっていた。スプーンを置いて、しばらく動けなかった。美味しいとか、すごいとか、そういう言葉が全部どこかへ飛んでいってしまって、ただただ、「ありがとう」という気持ちだけが胸の中に残った。こんな気持ちにさせる料理を、私は今まで食べたことがなかった。

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