
二瓶劇場・第四章魂のチャプチェに見た、人生という名の多国籍オーケストラ物語は、終わっていなかった。もつ鍋、牛すじ煮込み、そしてデミグラスシチュー。あの完璧な三部作で、私たちは一つの到達点を見たはずだった。九州の魂、継ぎ足しの人生、そして3日間の愛。もうこれ以上の物語はないだろうと、誰もがそう思っていた。しかし、二瓶劇場は私たちの想像を遥かに超えていた。第四の皿が、届けられたのだ。その名は、「チャプチェ」。韓国料理。和、洋と来て、次は韓。その多国籍な展開に、私の頭は一瞬、混乱した。しかし、すぐに理解した。これは、彼の人生そのものだ。一つの場所に留まらず、世界を飛び回り、様々な文化に触れてきた彼だからこそ、この一皿が生まれたのだ。これは、彼の人生の新たな章の始まりを告げる、色鮮やかなファンファーレだった。馬面の男、国境を越えるここで、あの伝説の男に触れないわけにはいかない。そう、馬面の二瓶さんである。彼の「馬い」という言葉は、もはや単なるダジャレではない。それは、彼の料理の品質を保証する、国際的な認証マークのようなものだ。和食の「UMAMI」が世界共通語になったように、二瓶さんの「UMA-I」もまた、国境を越える。九州のもつ鍋も、フランスの家庭料理の王様デミグラスシチューも、すべてを「馬い」の一言でまとめ上げてきた。ならば、韓国のチャプチェが「馬い」のも、もはや当然の帰結である。考えてみてほしい。馬は、古来より大陸を駆け巡り、文化を運んできた。シルクロードを旅し、モンゴルの草原を駆け、時には海を渡った。二瓶さんもまた、システムエンジニアとして世界を駆け巡り、料理人として味の探求を続けてきた。彼が馬面であることは、彼のグローバルな料理人としての宿命を、神がそっと顔に刻んだのかもしれない。そう考えると、馬面が神々しく見えてくるから不思議だ。81歳のレジェンド、沈黙すそして、もう一人の伝説、81歳のテニス仲間である。「肉肉しい(憎々しい)」という、日本語の新たな可能性を切り拓いたあの方だ。このチャプチェを、あの方は何と表現するだろうか。「麺麺しい(めんめんしい)」だろうか。いや、違う。チャプチェは、ただの麺料理ではない。野菜、肉、春雨、すべてが一体となった調和の料理だ。きっと、あの方は一口食べた後、しばらく黙り込むに違いない。そして、こう言うのだ。「…わからん」。それは、けなしているのではない。81年間の人生経験と語彙力を以てしても、表現する言葉が見つからない。それほどまでに、この一皿は複雑で、豊かで、多層的なのだ。「肉肉しい」という一つの言葉では捉えきれない、味のオーケストラ。81歳のレジェンドを沈黙させる。それこそが、このチャプチェの本当の凄さなのかもしれない。一皿の上の、多国籍オーケストラ届けられたチャプチェは、これまでのどの作品とも違う、圧倒的な色彩を放っていた。艶やかに輝く春雨のブラウン。漆黒の木耳。鮮やかなパプリカの赤と黄色。目に優しいピーマンの緑。そして、それらすべてを優しく包み込む、ごま油の黄金色の輝き。それはまるで、様々な人種の社員が働く、グローバル企業のようだ。それぞれが自分の役割を完璧にこなしながら、一つのプロジェクト(=美味しさ)に向かって協力している。そして、その一口目を、私は永遠に忘れないだろう。まず、ごま油の香ばしい香りが、鼻腔を駆け抜ける。食欲という名のゴングが、高らかに鳴り響いた。そして、春雨を口に運ぶ。驚いた。その完璧な食感に。もちもちとして、つるりとして、噛むほどに心地よい弾力が歯を押し返してくる。タレがしっかりと染み込んでいるのに、決してふやけてはいない。一本一本が、独立した生命体のように輝いている。そして、脇を固める野菜たち。これがまた、見事な仕事をしている。木耳はコリコリとした食感でアクセントを加え、パプリカは甘みを最大限に引き出され、ピーマンはほのかな苦味で味を引き締める。にんじんは優しい甘さで全体を支え、肉は確かな満足感を与える。これは、一つ一つの野菜を別々に調理し、最後に和えるという、チャプチェの最も手間のかかる工程を、一切妥協せずに行った証だ。それぞれの食材が、最高の状態で一つの皿に集まっている。これは料理ではない。二瓶さんがCEOを務める、食の多国籍企業だ。そして、その経営理念は、ただ一つ。「愛」である。料理の向こうに見えた、新たな地平食べながら、私は二瓶さんの人生に、また新たなページが加わったのを感じていた。九州の味に惚れ込み、和食の道を歩んだ第一章。人生の壁にぶつかりながらも、その経験を煮込み料理の深みに変えた第二章。大病を乗り越え、フレンチの王道デミグラスシチューで自らの復活を祝った第三章。そしてこのチャプチェは、第四章。それは、「多様性」と「調和」の物語だ。システムエンジニアとして、様々な国、様々な文化、様々な人種と仕事をしてきた経験。それぞれの違いを理解し、尊重し、一つの目標に向かってまとめてきた、あの頃の経験が、この一皿に凝縮されている。違う食材、違う食感、違う色。それらが喧嘩することなく、互いを引き立て合い、一つの完璧な「美味しい」を創り上げている。がんを乗り越え、「第二の人生」を歩み始めた彼は、今、過去のすべての経験を肯定し、それらを混ぜ合わせ、新たな味を創造しているのだ。和食も、洋食も、韓国料理も、彼の中ではすべてが繋がり、一つの「二瓶料理」というジャンルになっている。それは、彼の人生そのものが、様々な経験が混ざり合った、美しいチャプチェのようだからだ。箸が止まらない。食べるほどに、元気が出てくる。食べるほどに、心が豊かになる。これは、ただ美味しいだけではない。明日を生きるエネルギーをくれる、魔法のような料理だ。二瓶劇場、ネクストステージへもつ鍋、牛すじ煮込み、デミグラスシチュー、そしてチャプチェ。この四作を通して、私たちは確信した。二瓶さんの料理の旅は、まだ始まったばかりなのだと。彼の引き出しは、無限だ。次に何が飛び出してくるのか、誰にも予想できない。インドのカレーか、タイのトムヤムクンか、はたまたメキシコのタコスか。どんな料理が出てきても、きっとそこには彼の人生が溶け込み、私たちを感動させてくれるに違いない。彼の店がオープンする日、そのメニューには、世界中の味が並ぶのかもしれない。そして、どの皿にも共通しているのは、馬面の男が注いだ、深い深い「愛」だけだ。ごちそうさまでした、二瓶さん。最高の物語を、ありがとう。そして、馬面に、心から感謝を。あなたの料理は、国境を越え、間違いなく、誰かの人生を変える。そして最後にもう一度だけ言わせてほしい。馬面、最高。



